西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

オリンピックをテレビ観戦

2008-08-13 | 時論、雑感
8日に開幕の北京オリンピックをテレビ観戦している。

思い起こすと11歳(小学校5年、1952年)の頃にヘルシンキオリンピックをラジオで聞いて以来、メルボルン、ローマ、東京、メキシコ、ミュンヘン・・・、とラジオ(メルボルン)、白黒テレビ(ローマ1960年)そしてカラーテレビ(東京大会1964年より)で観戦してきた。

特に水泳は、古橋、橋爪、山中と世界的泳者が次々に現れたので惹きつけられた。平泳ぎは、日本の「お家芸」で、最初、飛び込んで50メートル近く水中で泳ぐ「潜水泳法」なども日本人の「発明」(古川 勝選手など)である。45メートル辺りでポッカリ浮かぶとトップを泳いでいるのであった。水中でイルカのように泳ぐには息が続かないといけないが、それが可能ならば、抵抗が少なくて早く泳げるのだ。

それは、その後禁止になったがミュンヘンでの田口選手の「縦キック」の完成とか、イーブンペースで泳ぐとか日本人が工夫した泳法がその後、国際標準になっている。

今回の北島康介の泳ぎを見ていると、過去の日本人先輩の伝統が生きていると思った。

もう一つ、夏だから水泳をプールと共に見るので「涼しい」感じだが、こういう立派なプールを国中に設置できるのは経済的「先進国」、と思った。中国は、そこに入りつつある訳だ。かってはアメリカ、オーストラリアそして日本が三大水泳大国だったが、今やそれらにヨーロッパ諸国そして中国、韓国の東アジア諸国が加わってきたのかな、と思った。

基礎的生活力の点検

2008-08-12 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日から「夏休み」(お盆休み)の所も多い。私の職場もそうで、今週の後期に名古屋の孫達(3人+親)が「遊び」に来るので、その準備に余念がない、というと格好いいが、実際は妻の指示で家中整理といったところだ。

私の「基礎的生活力」がチェックされる機会でもある。

「炊事」・・・毎日、朝食は「つくっている」と報告しているが、まずこれは簡単。納豆を冷蔵庫から出して粘りを出し、醤油をかけ、一方、大根おろしをつくって混ぜる。(消化しやすくする)ご飯を「チン」して少し準備。野菜・果実ジュースを200ccコップに入れる。トマトを一個洗って四つ切。ヨーグルトとコーヒーの準備。   昼食、夕食は妻が準備している現状。時々、夏なので昼食に素麺を茹でて食べるときがあるが、それは私が茹でる。卵を茹で、キュウリなますをつくることもある。まだまだ冷蔵庫を覗いて、ああこれがあるからあの料理をつくろう、という域に達していない。

「洗濯」・・・夏なので毎日大量の洗濯がある。時々「干す」手伝いをしている。干す場所は2階ベランダ、脱衣室、浴室である。雨がきそうだとベランダのは取り入れて脱衣室に移す。夕方の「取り込み」の半分くらいは私がやっているが、最後の「収め」はやれていない。

「掃除」・・・掃除機をたまに使う。今朝も、台所にゴキブリが出たので吸い取った。そこまではいいのだが、掃除機の紙袋を替えるのが難しい。各社の掃除機に合う紙袋なので、家の掃除機に合わせて「調整」しなければならない。初めてやった。

「介護・育児」・・・日常やっていない。今度の孫の世話は「育児」になるのかな。

「お洒落」・・・外出に帽子を被る程度。もう少し積極的にトライ!

「買い物」・・・自分で計画的に買い物に行くことはない。妻のメモに従って買いに行ったり、妻の助手(運び手)で付いて行く事もある。

「近所づきあい」・・・自治会や管理組合の会合の大半は私が出ている。左右や裏の隣人とは道で挨拶したり、駄弁ったりは出来る。

まあ、総合的に「3」位かな。皆さん(特に男性)はどうですか、この一週間はチェックのいい機会ですよ。

延藤安弘さんから『ユイタとアガイのわったあ家(や)~』来る

2008-08-10 | 友人、付き合い
2日ほど前、大学院時代同期の延藤安弘さん(愛知産業大大学院教授・NPO法人まちの縁側育くみ隊)から絵本、『ユイタとアガイのわったあ家(や)~』(金城明美著)が送られてきた。関連の延藤さんブログ「安弘思遊記」:http://enside.exblog.jp/
http://enside.exblog.jp/9386479/


沖縄のシーサーのアガイ君から東京のユイタ君に「家」が贈られた話だ。赤がわらと竹、続いてチャーギという沖縄の木が送られてくる。最後に小さな箱が送られてくる。それは自然の守り神の「アオダイショウ(蛇)」だった。

これらでユイタ君が家を組み立て、アガイ君が訪ねてくる。「沖縄の家と一寸違うが「ステキだ」と二人は「守り神」に守られ、ぐっすりねむりましたとさ」という話だ。作者の金城さんは沖縄の小学校の先生。「家やまちの絵本コンクール」最優秀賞をとった絵本、中々味があると思った。

私は、家やまちの絵本を収集している延藤さんに「『三匹の子豚』のような話だと、藁葺きや木造住宅は「駄目」でレンガ住宅が「良い」みたいなイメージを日本の子供に与えないか。日本では、日本の木造住宅もいいもんだ、みたいな絵本が必要では・・・」と手紙を書いたのに応えて送ってくれたのが上記の絵本、日本の地方色豊かな住宅の物語である。

私は、この住宅は、生き物が「棲み合う住宅」ではないか、と延藤さんに礼状を書いた。

ロシア、グルジアを空爆

2008-08-09 | 時論、雑感
平和の祭典、オリンピックが北京で開幕した8日、地球の別の地域では、又、戦争が始まった。グルジア(西は黒海に面し、北にロシア、南にトルコなどに面する)から分離独立を目指す南オセチア自治州(ロシアが後ろ盾)でのグルジアとの武力衝突にロシアが介入し、グルジア全土に空爆を開始、グルジアの「後ろ盾」とも言えるアメリカがロシアに停戦を呼びかけ、EUも動き出している。

アメリカは近くのイラクで戦争をしているので、説得力がない。まあEUがどの程度圧力を加えられるか、である。

中国でのチベット問題、新疆ウイグル地区の問題も、民族独立問題だ。戦争によらず、平和裏に民族独立を認める道はないのだろうか。

(写真は、ロシアのグルジア空爆-Asahi-comよりー)

残暑お見舞い申し上げます

2008-08-08 | 時論、雑感
立秋も過ぎましたね。

残暑お見舞い申し上げます ですね。

心なしか朝夕、少し涼しくなりましたかね。蝉の声も段々小さくなっていきますね。夜にはやがて秋の虫の声が聞こえてきますね。

季節の変わり目、真夏のままの生活態度だと風邪を引いたりしますね。健康に留意し、元気に秋に向かっていきましょうね。


田口信教選手のトコトン冷静努力

2008-08-07 | 時論、雑感
今日、テレビで水泳・平泳ぎの田口信教さん(1972年ミュンヘン・オリンピック100m平泳ぎ金メダル獲得、現・鹿屋体育大学教授、57歳)の、ミュンヘンでは絶対金メダルを取ると目標を定め、冷静に研究し、考え抜かれた泳法改造、並々ならぬトコトン練習、生活態度を見て「凄い」と感心した。

田口さんは、1968年メキシコ大会で自ら編み出した足の「縦キック」を準決勝でバタフライのドルフィンキックと見間違えられ泳法違反で失格、その時の記録が優勝タイムより良かった事を支えに次のミュンヘン大会では絶対勝つと綿密な計画を立て次々実行し、絶対勝つ体勢を作っていった。

見間違えられた「縦キック」を改良して飛沫が上がらないようにし、最も良い記録を出すのは、ぎりぎりのところでのイーブンペース(同じペース)で泳ぐことだと発見し、100mの行きも帰りも同じペースで泳ぐ練習を繰り返し、腕のかき4割、足のキック6割だったのを腕のかき6割、足のキック4割に変えて腕のかきを強くし、かき方も水の抵抗力最少のやりかたを見つけ、ロケット・スタートと言われるスタートを身につけ、「運」も味方に付けるため「一日一善」でごみを拾ったり、電車でお年寄りに席を譲ったり、あらゆることをした。

1972年のミュンヘン本番では、予選では、対抗馬の選手達の目をくらませるため、前半猛烈な勢いで泳いで、後半を「流して」、予選を難なく通過、準決勝で初めてイーブンペースで泳いで見事に決勝に進出、決勝では更に「秘密兵器」であるそれ以前に見つけていたが使わなかったスタート台を両腕でつかんで前傾姿勢でのロケットスタートの体勢(ルール違反でないことを事前に確かめる!)、いたたまれずフライングのアメリカ選手を尻目に(対抗馬のフライングまで読んでいた?!)、その間3℃水温の高い後ろの飛び込みプールに自ら飛び込んで体を温め、次に実際にロケットスタート、前半はイーブンペースなので7位でターン、「これではあかん!」と日本チームの誰もが思ったが、後半もきっちりイーブンペースを守り、前半飛ばしすぎの他の選手を次々抜いて世界記録でゴールイン、冷静な判断、そのペースを守り抜く厳格な練習のたまものだった。

うーん、何事もこういう風に準備すれば「百戦危うからず」であろう。

今度の北京大会ではどうかな。伝統を引き継ぐ北島選手らに注目したい。

「お通じ」のリズムの変化

2008-08-06 | 生活描写と読書・観劇等の文化
一寸変な話だが、私は今まで長年「お通じ」のリズムははっきりしていて、毎朝、朝食後とほぼ決まっていた。ところが、最近は、少し「乱れている」感じ、毎日のリズムが2日に延びることもある。それと、今までは、楽に「通じて」いたが、最近は意識して踏ん張り大腸の蠕動運動(ぜんどううんどう)を刺激しないと、「通じて」くれない。

これは、どうしてであろうか。まあ、年齢と共に蠕動運動が鈍くなっているのではないか。それと、最近、意識して朝食のメニューや昼夕食も食べ物をを変えたりしているので、腸の方で戸惑っているかもしれない。それと、野菜は多くなった感じだが穀類が減って、蠕動運動を促す食物繊維が少なくなったせいかもしれない。

少し様子をみて変調が続くようだと、専門の人に相談しなければなるまい。

広島原爆の日

2008-08-06 | 時論、雑感
今日は何の日?最近の若い人に「8月6日は?、8月9日は?、8月15日は?、12月8日は?」と聞いて、正確な答を言える人が減っていると言う。残念なことだ。

8月6日は広島にアメリカ軍によって世界で初めて実際に原爆が投下された日だ。14万人がその年のうちに亡くなった。1945年のことである。あれから63年が経った。被爆体験者の平均年齢が75歳と言う。被爆体験を風化させないために少なくともこの日には、体験者の声を聞き、歴史を思い起こそう。

もうすぐ「長崎の日」も来る。そして、8月15日も。

戦争について、考える日々だ。憲法第九条についても思いをいたす月だ。
戦争は、無垢な人々を巻き込んで殺傷し、人々を生木を裂くように別れ別れにし、不幸のどん底におとしめる・・・、戦争は何があっても防がねばならない。

今日は、一日、そのことを肝に銘じたい。

ブログ通信簿より

2008-08-05 | 時論、雑感
gooブログでは、最近「ブログ通信簿」というのを始めたらしいので、試しにトライしてみた。一日一回だけトライできる。最近の10件のブログを「分析する」ようだ。

結果:主張度3、気楽度4、マメ度5、影響度3
マメ度5は当然か、ほぼ毎日更新しているのだから。気楽度4は、話題が多様で(カテゴリーをみても分かる)要するに気楽に書いているのである。
主張度、影響度3 余り「こうあるべき、こうに違いない」と主張していないと見られたか、実際にはさりげなく事実で主張している積もり。

私の性別、年齢判断:女性、58歳
うーん「女性」と見られたか。女子大にいたし、今もいるので影響あるかな、語り口などに・・・。58歳とは10歳ほど若く見られて良い。今後も若い気分で・・・。

通信欄:「あなたは「環境委員」タイプです。人当たりがよく皆から好かれるでしょう。よく話題にしている家族の知識や経験をいかして、学者を目指しましょう。」とある。「58歳の女性が、家族学の学者を目指すのかな・・・」

時々、面白いので「マメに」お知らせします。

音楽と生活

2008-08-05 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日、奈良女子大の音楽サークル「ピアノフォルテ」から何時ものように原稿依頼があった。私が未だ奈良女に勤め学生部長をしていた11年ほど前から役目柄書かせてもらっていた「挨拶(エッセイ)」が割りと好評のようで、学生部長を辞めた以後、定年退職している今まで毎年、原稿依頼が来ている。「学生」とのこういう「つながり」もいいもので喜んで書いている。10月締め切りだが、この夏には書いてしまおうと思う。

で、夕べ地域SNSのオフ会があって、「音楽と生活」といったテーマで思い出話などを喋る機会があった。問題提起者の問題意識は、「日本人って音楽を気軽に生活に取り入れてないのじゃない、もっと裃脱いで取り入れたら・・・」というものだった。私は、金沢の子供時代の家での尺八や琴の音楽環境と学校での洋楽教育の狭間の話と8年前に行ったアフリカ、ガーナ、アクラのガーナ大学での太鼓と踊りでの歓迎の体験の話をした。日本人はシャイとの話だが、私は一旦「羽目」が外れると同化(どうか)して一緒に楽しむタイプ、アフリカ人の中に入って大いに体をくねらせて踊った。血が騒いだ。ああ日本人も元はと言えばアフリカを出て延々日本列島に着いたのだ、と感慨無量になったことを思い出した。

この話をアレンジして書くことに決めた。

早石 修先生に出会う

2008-08-03 | 時論、雑感
昨日、京都に出かけた帰りに野崎光洋先生(滋賀医大名誉教授、平安女学院大名誉教授)と地下鉄・丸太町駅の上辺りに来たら、向こうから「年配」の「好々爺」が近づいてきて野崎先生に「元気そうだね」と声をかけた。野崎先生は、一瞬あって「早石先生ではありませんか。このお近くにお住まいですか。いやーお元気ですね」と応じていた。私は野崎先生に紹介されて挨拶した。

後で野崎先生にお聞きすると、野崎先生は私より10歳年上で77歳、早石先生は更に一回りほど上で88歳、来年「数え」で卒寿とのことだ。野崎先生が滋賀医大教授の前には京大医学部で助教授をしておられ、その時の教授が早石 修先生なのだった。京大医学部では医化学教室教授を長く勤められ(1958-1983)、私の工学部建築学科の学生・院生時代(1960-1966)、助手時代(1970-1974)もづっと医学部教授をしておられ、名前は存じ上げていた。今も「睡眠」の研究をしておられるらしい。

いやー早石先生や野崎先生のお元気さ加減にあやかりたいものだ。

(写真は、早石 修先生)

平女・明治館の補修工事竣工オープン

2008-08-02 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
本日(2008年8月2日)平安女学院(京都)の明治館の補修工事が終わり竣工式があった。過去にもブログで何度も明治館については書いている。
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/4dc29af7950d2d158d1e1b61905fd854
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/b346c74456ad03b5ab53818b5cbc0f9f
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/4bb9da8e27674bc1863a1a2ca1996e8f
http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/5adf794475bd7f8ef00558f0ae5622eb

今日の竣工式は、10時より2階の「講堂」であった。山岡景一郎理事長の解説では、この明治館は、1895年(明治28年、113年前)イギリスのハンセルの設計により出来上がった、平安女学院の第一号校舎であり、イギリス積みの赤レンガ造りであった。アン女王様式といわれ、曲線の破風(gable)に特徴があるようだ。
建築以来、風雨と数度の大地震により傷みが激しくなっていたが、2004年6月24日に国の登録有形文化財に指定されたことを契機に、卒業生、同窓会の援助等で2005年度より本格的保存改修工事に着手、3億5千万円を使い、本日、竣工式を迎えたのです。

 今後、重要文化財への「指定替え」もありえるとのことです。今後の活用は、国際観光学部の講義室、メモリアル・ルーム、校友会事務室、集会室・サロンとのことです。市民にも公開したい、と言う。中に保全工事をした様子(構造体や屋根裏補強等)が分かる部屋もあり、建築の良い「教材」も提供しています。こういう風に近代建築であっても改修保全して活用することは、現代生活と歴史との「つながり」をも意味し、見て回りながら豊かな気持ちになりますね。

 機会があれば是非御覧下さい。9月以降、随時公開されると思います。御所の直ぐ西で近くです。同じく赤レンガの平安女学院の教会が目印です。

(写真は、補修工事中の平安女学院・明治館)

国際家政学会(IFHE)のこと

2008-08-01 | 時論、雑感
オリンピックのある年は、同時に国際家政学会もある年だ。4年に一度で今年がそうである。今年が注目されるのは、国際家政学会(IFHE)創立100周年にあたるためだ。100年前に創立されたのがスイスでだったので、100周年記念(centenary anniversary)もスイスで行われた。

4年前は、日本の京都(国際会館)で行われ、私が現地実行委員長をつとめたので思いで深い。また、その準備のため8年前の2000年にアフリカのガーナのアクラに行ったのも思い出に残っている。

今年は、是非スイスに行こうと思っていたが、色々なことで行けなくなってしまった。4年前には「4年後には・・・」と公言していたので妻には「がっかり」させてしまった。4年後はオーストラリアのシドニー、是非行きたいものだ。時差も殆どなく、体調管理は難しくないだろう。オーストラリアも初めてだ。

21世紀は、老若男女が自立し連携もはかるべき世紀であろう。「炊事、洗濯、掃除、育児、介護、お洒落、買い物、近所づきあい」が出来てこそ「自立」である。
易しいようで難しい。家政学が改めて注目される所以であろう。

今後は、近所づきあいの中に「近所の助け合い」が入ってくるだろう。何でも「行政に頼む」という「大きな行政」時代は過ぎているからである。