西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

茨木のり子さんの死(詩)

2006-03-08 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
詩人の茨木のり子さんは2月19日に亡くなられたようだ。享年79歳。私は、茨木のり子さんの詩を殆ど知らない。しかし、今日『毎日』の「みんなの広場」で岐阜の後藤順さん(52)が「茨木のり子さんの詩を読もう」と呼びかけている。読んでみよう。
実は私は2000年元旦の『朝日』の天声人語で茨木のり子さんの「時代遅れ」という詩を知った。「車がない/ワープロがない/ビデオデッキがない/ファックスがない/パソコン インターネット見たこともない/けれど格別支障もない/そんなに情報集めてどうするの/そんなに急いでどうするの/頭はからっぽのまま」強烈な皮肉だ。大変印象が強かったので、この詩をその年の卒業式の後の奈良女子大住環境学専攻の卒業生たちの謝恩会で、はなむけに披露したことを思い出した。
(中央が在りし日の茨木のり子さん)

中学時代の立川 進君

2006-03-08 | 諸先生・諸先輩・同輩・諸後輩の思い出
中学時代の立川 進君の家の印象は強かった。当時(1955年、昭和30年頃)、金沢の私の周りでは皆無だった「中廊下式」の住宅だった。お父さんが、日本銀行金沢支店に勤務されていたので、その社宅であった。泉野町(?)ではなかったか。風呂屋のすぐ近くで何軒か社宅が並んでいた一軒である。平屋であった。玄関のから真っ直ぐに中廊下があって、左右に部屋が「ぶら下がっている」格好だが、突き当りの左(北)が台所、右(南)が茶の間、茶の間に続いて(戻って)西に座敷、玄関から入って左が立川君とお兄さんの部屋、右が客間、中廊下の中ごろ左が洗面所、浴室、トイレで、茶の間、座敷の南が縁側で庭に面している、という感じだった。中廊下を介して部屋がつながっているのは便利だな、と当時、子供心に感じた。立川君は、その後、一度、私が豊田高専に勤めた時(1967年頃)に私の独身官舎にやってきたが、その後、ご無沙汰である。今どうしているだろうか。