西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

「きっこのブログ」=2億円らしい

2006-03-02 | 時論、雑感
昨日のGyaOのニュースで「きっこのブログはいくら」というのをやっていて、2億円とのことだ。「ヘー」と思った。確かに毎日長くて読むのも「しんどい」が、読んでしまったら、この子って凄い情報源を持っているな、と思うと共に話題を軽やかにあちこちに飛ばす教養も感じる。毎日読んでいると、それこそリトル教養人になるのではないか。

「秋さらば今も見るごと」の解釈-『萬葉集』を学ぶ-3

2006-03-02 | 生活・空間・芸術と俳句・川柳・短歌・詩
『萬葉集』巻一の最終歌(八十四番)は天武天皇皇子の長皇子(ながのみこ)の「秋さらば 今も見るごと 妻恋ひに 鹿(か)鳴かむ山ぞ 高野原の上」である。私が現在住んでいる「高の原」の命名根拠になった和歌である。このことについては既にブログに何度か書いた。(05年11月20日、06年1月12日、同1月15日、同1月17日参照)
この「秋さらば今もみるごと」の解釈について、二つあげてみたい。一つは中西 進さんのもので、この和歌の現代語訳は「秋になると、ほらご覧のようにきまって妻恋いの鹿の声がひびく山なのですよ。この高野原の上は。」となっている。(中西進著『万葉集 全訳注原文付(一)』(講談社文庫)による)ところが、伊藤博(いとう・はく)著『萬葉集 釈注一』(集英社文庫)によると伊藤訳は「秋になったら、今もわれらが見ているように、妻に恋い焦がれて雄鹿がしきりに鳴いてほしいと思う山です。あの高野原の上は。」となっていて、中西訳と異なっている。中西訳は、秋に詠んだ歌、伊藤訳は、秋を思って詠んだ(春の)歌になっている。これは、志貴皇子(しきのみこ)の「石走(いはばし)る 垂水(たるみ)の上(うへ)の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも」(巻八の巻頭歌)という有名な春の歌とセットになっているとの解釈だ。私はこの伊藤説、伊藤訳に魅かれるが、このように一首一首味わっていくときりがない万葉集である。

日本の高校生の生活意識ー米中韓との比較ー

2006-03-02 | 時論、雑感
今朝の新聞で、(財)日本青少年研究所が発表した高校生の意識調査の結果を見て「愕然」とした。「現在の希望」では、日本の選択率は低い、「友人関係がうまくいくこと」で4割を切る。「成績がよくなる」は、米中韓とも7割台だが日本は3割弱。「なりたい生徒像」では、日本は「クラスのみんなに好かれる生徒」48.4%、米中は「勉強がよく出来る生徒」米83.3%、中79.5%、韓国は「自分に貸されたことを確実にこなす生徒」70.0%である。「希望する学歴」では、米中は高学歴志向、日本は最低。「親子関係」では、他国より濃密ではない。「生活意識」では、「食べていける収入があれば、のんびりと暮らしたい」肯定率は日本が最も多い。日本の高校生は頑張るというが、具体像がない。中国、韓国の頑張りは「いい大学に入る」ための「勉強」である。(以上「調査結果レジュメ」より)
まあ、豊かな生活になり生活不安が少ないからと言っておられるのであろうか。(ニートやフリーターを見よ!)「いい大学に入る」ことはおいても、もう少し勉強もして欲しいと思うのは、私だけではあるまい。

城下町の四条件、村上、金沢

2006-03-02 | 地域居住学
2月27日のブログで越後・村上の吉川美貴さんの話を書いた。村上は、現在人口3万人余の城下町とのことだ。その時、吉川(きっかわ)さんは、城下町の4条件ということを言われた。(1)城跡があること。(2)武家屋敷があること。(3)町屋があること。そして(4)寺町があること。というのである。私も城下町・金沢の出身である。確かに、それらはあるな、と思う。ただ金沢の「町屋」は、はっきりしていないのではないか。城跡は、確かにあるし、付属して兼六園も有名である。武家屋敷も、長町あたりにまとまって残っている。寺町も犀川の西にある。私の生まれ育った住所も今は寺町だ。(本来は櫻畠さくらばたけである)だが、町屋と言われても・・と思ってしまう。東の廓などは有名だが、「町屋というには・・」といった感じだ。とにかく「ある」と思うのではっきりさせたい。何せ私は金沢出身といっても高校まで「ほんの18年」しかいなかったし、町全体を見回す余裕などなかったので、これからだ。(写真は、金沢・武家屋敷通り)