西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

新井 満さんの講演会に参加-4新井さんとの会食を楽しむ

2006-06-18 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
新井 満さんの講演の後、平安女学院の山岡景一郎理事長のセッティングで会食があった。新井夫妻を囲んで夫妻も含め10人が談笑したが、色々と新井さんのお話は勉強になった。例えば、講演は演者と聴衆の共同作業、自分は聴衆の一人二人の反応に注目して話を進める。今日は真ん前の最前列におられたヴァイオリニストの佐藤陽子さん(同じく客員教授)の反応を見ながら進めた・・。少し食事が進んだところで新井さんが「自分も含め、ショートスピーチをしたらどうか」と提案され、順に「生い立ち、平女にきた事情や今日の講演で感じたことや思っていること等」を話した。新井さんの奥さんも話された。それで今日の講演の最後に「千の風になって」の詩の話だけでなく、いわば「アンコール講演」として、「私はこの町が好きだ、私は好きなあなたとこの町で過ごしたい、おばあちゃんとなっておじいちゃんのあなたと歩きたい、おじいちゃんとなっておばあちゃんのあなたと歩きたい・・」と言った、愛して長生きして一緒にこの町を歩みたい、といった趣旨の新井さんの「詩」の朗読を配したのは、奥さんの昨夜の打ち合わせでのアイデアだったことが分かった。新井さんによると、「千の風になって」だけだと、感動はして貰え、涙も誘うが、「お帰り」は気が重い感じの足取りになる。この話を最後におけば、少し上向きの軽い心で帰られる・・。さすが「電通」での総合プロデューサー経験者だと思った。
最後の新井 満さんのお話も「とれとれ」で興味があった。最近、新井さんは、ニューヨークの「ダコタハウス」に行った、と言われたがピンと来なかった。セントラルパークに接して建つこのコンドミニアム(マンション)は大変古く有名なのだとマンション専門家のKさんの指摘でわかった。新井さんは、このマンションに住むオノ・ヨーコさんと対談のために行かれたのだ。このマンションの玄関先でジョン・レノンが1980年12月8日に凶弾に倒れた。そのジョン・レノンの代表作品一つあげるとすれば、やはり「イマジン」になると言う。その後、平和と言えば「イマジン」となったのだ。新井さんが関わった長野オリンピックでは、開幕での音楽はベートーベン作曲、シラー詩の「歓喜の歌」となったが、最後までジョン・レノンの「イマジン」と争ったとのこと、今なら「イマジン」になっているだろう、と言う。この冬のトリノオリンピックの開会式にオノ・ヨーコさんが出てきて「Imagine Peace!」と叫んだのは記憶に新しい。(私も06年2月12日ブログで紹介)新井さんは、この「イマジン」の自由訳をするためにもオノ・ヨーコさんと話をしに行かれたのだ。この「イマジン」の詩(2月12日ブログ参照)は、ジョン・レノンも言っているが、オノ・ヨーコの原詩に基づくとのことだ。新井さんは、オノ・ヨーコ邸の「憧れの」ホワイト・ルームにも通された、そこはシャガールをはじめ20世紀の美術館だった、勿論ジョン・レノンが愛用のホワイト・ピアノもあった、とのこと。新井さんの「イマジン」自由訳とオノ・ヨーコ対談集は8月頃に発売と言う。待たれる。
他に、岩崎ちひろ絵の『千の風になって』も作られるようだ。これも待たれる。

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