西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

高槻市のブランド化について

2011-12-14 | 2005年4月以降(平女、高槻、学研都市等)
高槻市は、京都、大阪のちょうど中間にあって「どちらつかず」の印象もある。

で、それでは拙いと何年か前から高槻市が主導して我々「有識者」や市民、業界代表、市の行政マンらで「高槻市のブランド化」について議論してきている。

僕は、歴史と環境との豊な「繋がり」をアピールしたらどうか、と言っている。歴史では、今城塚(いましろづか)古墳が一番有名、継体大王(天皇)陵ではないか、と学会では定説になりつつある。

大化の改新に関しては、高槻辺りに「中臣(後の藤原)鎌足」が住んでいて、彼は中大兄皇子(後の天智天皇)の「呼び出し」に応じて明日香南の「談山神社」裏山(かたらい山)に出かけ、史上最初の「談合」をしたのだ。

古代のみならず中世、近世でも色々な人材が高槻に住んだり通り過ぎたりしている。これらを調査し、色々全体歴史との「つながり」を明らかにしていったらどうか、と思う。

環境では、何といっても芥川(あくたがわ)である。淀川に流れ込む支流ではあるが、環境美化の住民運動が、全国の「グランプリ」を最近受けたようだ。

まあ芥川を「縦の線」、今城塚古墳を「横の起点」として盛り上げていきたいものだ。

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