西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

黄檗山万福寺

2005-11-09 | 京都の思い出(学生時代)
京大の宇治分校は、京阪電車宇治線の黄檗駅が最寄り駅だった。現在はJRにも黄檗駅があるが、1960年当時は国鉄で、京都方面から来ると木幡の次が宇治で、黄檗はなかった。「黄檗」とは、近くの山手にある黄檗山万福寺に因む。江戸時代、中国から渡った隠元禅師の創建、中国明朝風の壮大な伽藍、伽藍配置である。「門を出れば日本(門を入れば中国)」と言われる。隠元の日本にもたらしたものは、黄檗宗は勿論だが、隠元豆・西瓜・蓮根・孟宗竹・木魚などである。同じ宇治市五ケ庄の宇治寮から万福寺への我々だけの知る「抜け道」があって、ただで入れてもらったこともある。卒業20年位の時に、万福寺門前で普茶料理を皆で食べたのではないか。また行きたいものだ。今度は、勿論、堂々と山門から入ろう。

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