西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

寺の建築、仏像そして花

2010-04-17 | 住まい・建築と庭
最近、妻が高校以来の友人達と5人で談山神社から明日香村を経由して今井町までタクシーで回ったようだ。それで、5人は、それぞれ関心が違っていて、一番多い関心が「花」、次が「仏像」、そして「建築」は自分以外は関心ほとんどなし、とのことだった。ただし、建築を含めた風景(中景や遠景か)には皆関心を示したようだ。

これを聞いて、色んなことを考えさせられた。

寺や神社には、本来は宗教的関心から行くべきものではないのか。ところが、誤解を恐れずに言うと、和辻哲郎の『古寺巡礼』から、仏像志向になったのではないか。まあ、寺めぐりが美術紀行のようになってきたのである。

そして、お寺などの「営業努力」から「花めぐり」にもなってきたのではないか。とにかく春夏秋冬色々な花を売り物にしている。

これを考えていて「ハッ」と気づいたことがある。

花は、一時期に一斉に咲かない。四季にうまく分散している。これは蜜を吸う虫や鳥のことも考えているのである。咲く花が四季に分散しているから、蜜を吸う虫や鳥は1年中飢えないのだ。それは、自分のことを考えていることでもある。とにかく花粉を受粉しなければならないからである。

この論理は、人間にも適用されているのだな、と思った。四季折々あちこちに違う花を咲かせる神社仏閣があるからこそ、人間はそれに惹かれて四季折々あちこちを訪問するのである。

これを社会全般に広げると、年中行事の全国分散、地域分散の論理になるな、と思った。

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