西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

フランク・ロイド・ライト作「カウフマン邸」(落水荘)

2006-12-10 | 住まい・建築と庭
「落水荘」についての私の昔のブログ:http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/01030fd25cc4fe18cc6f72ffed1abba1
NHKTVでビデオに撮ってあったフランク・ロイド・ライト作「カウフマン邸」(落水荘)を見た。そこに住み込んでいた家政婦ウェンディの語りによる演出である。落水荘のオーナーはピッツバークでデパートを経営していたカウフマン氏で、家族は奥さんと息子の三人だった。彼等は煙の都・ピッツバークから時々離れて暮そうとペンシルベニア・ベルランのこの森の中の地に別荘を造ろうとして建築家フランク・ロイド・ライト(1867~1959年)に設計を依頼した。ライトはアメリカ中部の草原地帯に生まれ、その風土の影響で、プレリー(草原)住宅と言う水平に長い線を持つ住宅を設計していた。ライトは1923年に日本で帝国ホテルを設計したが、その設計料の大半を浮世絵購入にあてたと言われたほどで、生涯にわたり6千点を収集した。実は、その浮世絵の中に、この落水荘のヒントになった絵があった。写真のそれで、前北斎為一作「諸国瀧廻り」の中の「木曽海道小野ノ瀑布」である。北斎77歳の1833年の作である。施主のカウフマン氏は設計を見て「私は、瀧を見て過ごそうとしたのに・・」と不満を言ったらライトは「瀧を眺めるのではなく瀧と共に暮すのです」と言ったらしいが、後にカウフマン氏も納得したようだ。1934年に設計にかかり1937年に完成した。この落水荘には幾つか特徴がある。(1)1階の広いリビングは天井が低く窓が大きい。これは若干の内部の「圧迫」が意識を外へと自然と向かわせることを計算している。(2)1階、2階、屋上と広いテラスがついている。この上から瀧を眺めおろすことも出来る。これも日本の外部の自然に近づく「縁側」の仕掛けを学んだかもしれない。内部からテラスへは段差がなく内外使ったパーティがしょっちゅう行われチャップリンやアインシュタインも来たようだ。(3)リビングから水辺に直接降りる階段があり、カウフマン氏のお気に入りだったようだ。アインシュタインもここを訪れたとき、ここを降りてはしゃいで服のまま水に飛び込んだらしい。(4)他の日本の影響として暖炉にかける湯沸しが日本の囲炉裏の自在鍵のようなもので引っ掛けられている。ソファに「座布団」がのっている。(5)外部の自然と内部を「つなぐ」有機的建築。外部の岩石(この家が出来る前は、カウフマン氏はこの上から瀧を眺めるのが好きだった)を内部の暖炉前まで引き込んだ。
(写真は、前北斎為一作「諸国瀧廻り」の中の「木曽海道小野ノ瀑布」)

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