私は京大4回生から大学院修士課程を修了するまで3年間、銀閣寺前町のⅠさん宅の2階に新しくつくられた6畳間に下宿した。大谷大学から京大大学院文学研究科に進学してインド哲学を専攻していた高校同期の松原 洋君(その後、金沢工大教授)も隣の部屋に下宿していた。サンスクリット語で仏典を読んでいて「凄いなあ」と思ったものである。その下宿は、銀閣寺の真ん前4,5軒目といった所にあり、午前10時過ぎに大学に出て行くときは、下から上がってくる観光客を「かきわけて」電車道まで出ないといけない感じだった。実は、この銀閣寺へも「知る人道」があって、ただで入ったことがある。一度だけだ。大学の建築史の講義で、書院造りの祖形があると聞いていたが、学生時代にはしっかり見ておらず、それを確かめるのは大分後のことである。又、銀閣寺前町は「大文字の山焼きの町内」でもあり、一夏、山の上で燃やす薪を運んで、火をつける手伝いをしたこともある。暑かったが、山の上から逆に京都市内のネオンや明かりが暗くなるのを見たのである。
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