中学時代の立川 進君の家の印象は強かった。当時(1955年、昭和30年頃)、金沢の私の周りでは皆無だった「中廊下式」の住宅だった。お父さんが、日本銀行金沢支店に勤務されていたので、その社宅であった。泉野町(?)ではなかったか。風呂屋のすぐ近くで何軒か社宅が並んでいた一軒である。平屋であった。玄関のから真っ直ぐに中廊下があって、左右に部屋が「ぶら下がっている」格好だが、突き当りの左(北)が台所、右(南)が茶の間、茶の間に続いて(戻って)西に座敷、玄関から入って左が立川君とお兄さんの部屋、右が客間、中廊下の中ごろ左が洗面所、浴室、トイレで、茶の間、座敷の南が縁側で庭に面している、という感じだった。中廊下を介して部屋がつながっているのは便利だな、と当時、子供心に感じた。立川君は、その後、一度、私が豊田高専に勤めた時(1967年頃)に私の独身官舎にやってきたが、その後、ご無沙汰である。今どうしているだろうか。
最新の画像[もっと見る]
- カリン・レヒナー(ティエンポ の姉)とセルジオ・ティエンポ (レヒナーの弟) 10年前
- 最近、時々『文藝春秋』を読む 11年前
- 縦長四角形と横長四角形 12年前
- 「梅ちゃん先生」見る楽しみージオラマー 12年前
- 天草の洋(なだ)に泊(はく)す 頼 山陽 13年前
- 深井純一さんの思い出 13年前
- イエロストーン公園のコヨーテとオオカミに思う 13年前
- ル・コルビュジェツアー企画案 13年前
- ル・コルビュジェの「メッセージ」(BS・TBS)見る-5地中海カップ・マルタン小屋 13年前
- ル・コルビュジェの「メッセージ」(BS・TBS)見る-4ロンシャン礼拝堂ほか 13年前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます