西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

ロンドン報告(13)博物館・美術館訪問-1ロンドン博物館

2005-09-24 | ロンドンの思い出(LSE時代など)
ロンドンには多数の博物館・美術館があって、それらを見出すといくら時間があっても足りない。今回、私は3箇所だけ行った。博物館はロンドン博物館、美術館はテート・モダンとナショナル・ギャラリーだ。
ロンドン博物館は都市としてのロンドン史の博物館で、ロンドンを研究対象とする限り一度は行かないといけない博物館である。地下鉄Barbican駅のすぐ近くだ。今回、私がここへ行く目的は、中にローマ時代の殖民市だった頃の部屋があり、その部屋から外のローマ時代の要塞の遺跡が見えるように窓が下に向けてつけてあるのを写真にとること、近くにあったはずのE.Howardのblue plaque(青銘板)の写真を撮ることだった。ロンドン博物館は「London Wall」の140番地にあり、その通りの最後の番地で、すぐ前の通りの向こう側が1番地だった。名前の通り、この辺りはローマ時代、ロンドンがLondiniumと呼ばれた時代の城壁があった所で、ロンドン博物館は、そのすぐ外に位置している。そのために、そこから身近に城壁の遺跡が見える訳だ。その写真は上手く取れたのだが、探せど探せどE.ハワードのブループラークは見つからなかった。多く再開発が進んでいたので埋没したかもしれない。時間がなく遠く見える「バービカン・センター」にも今回行けなかった。

清太郎さんの森(巣植えの森)

2005-09-24 | 時論、雑感
今朝NHKTV10時過ぎの番組で「清太郎さんの森(秋田)」を見た。一斉造林の間伐方式から「巣植え方式」に個人的工夫で転換して成功しつつある事例だ。秋田の佐藤清太郎さんの事例である。
実は、この番組はロンドンにいる頃、ホテルのテレビ(NHK国際放送)で既に見ている。清太郎さんは間伐で2/3の杉が「無駄」になると思い、広葉樹の間に杉を植えた。巣植えと言う。こうすると夏は広葉樹に太陽を遮られて杉は横に伸びない。冬は広葉樹の葉が落ちて太陽にあたり上に伸びるとのことだ、広葉樹の落葉が他の生物の温床になり又保水力も増すようだ。
林野庁もようやく「資源の循環利用」だけでなく「水土保全林」「森林と人の共生林」を言い出したようだが、私はかなり以前に第一次産業の意義として「食糧自給」のほか「国土保全」「国民的レクレーション」をあげていたのが、ようやく現実的になってきたのだな、と思った。

ノルウエー報告(8)フィヨルド・ツアー-6(バス、列車でベルゲンへ)

2005-09-24 | 訪問場所・調査地
ボートがGudvangenに着いた頃は大雨だった。こんな所をボートからバスへ重いスーツケースを運ぶのはたまらない。オスロからベルゲンへ別便で送ったのは、一寸高かったが「正解だったな」と思った。バスでここからVossまで登った。途中、凄い瀧があり、可愛いホテルで休憩した。庭から下方の集落や遠い瀧の水しぶきもみえた。VossからNSBでベルゲンに向かった。途中に止まったBulkenの左手向こうの風景もフィヨルド航行の時に頭に浮かんだ仮説に合致するものだった。
山を背景に森林があり、その下に林と牧草地が斑にモザイク状に見え、住宅も建っている。川(?)の縁は、平地に近いが樹木や林を残した牧草開発をしている。昔イギリスで見たほぼ牧草ばかりという風景と異なっていたのである。はたして、その後イギリスはどのようになっているだろうか。これは今回イギリスに行って確かめる一つの目的だった。
夜8時半頃にベルゲンに着いたが本当の大雨になっていた。これが歴史的なものとは、後で分かった。

ノルウエー報告(7)フィヨルド・ツアー-5(フィヨルド航行)

2005-09-24 | 訪問場所・調査地
フロムからGudvangen(グドヴァンゲン)まで2時間半ほど大きなボートでフィヨルドを航行した。海面は前に説明したように波静かで鏡のようであり、ボートは静かに進んだ。本当は、この航行がツアーのハイライトで、甲板に登って感嘆の声を上げるべきなのだが、あいにく冷たい雨が降りしきり、行く手も霧でかすんで、仕方なくキャビンの窓から左右の「崖」を眺めつつ行った。
お蔭で注意深く崖方面の観察が出来、一つの仮説が頭に浮かんだ。良く見ていると、崖から多数の瀧が垂直に長く落ちていて日本では見られないし、世界でも珍しい風景だと思った。そして中腹や山すその海岸縁まで猫の額のような平たい緩い傾斜地を利用して多数の牧草地が見え羊も見えた。家も所々に建っている。その間は自然の林である。そこで思った。「ノルウエーは地勢上も,林や森を根絶やしにして牧草地を作り牧畜により動物性蛋白質を確保したイギリスのような方法をとらず、日本の棚田ならぬ「棚牧草」や「裾牧草」を開発して牧畜をしながらも漁業もして動物性蛋白質を確保し、林や森林を残したのではないか・・」このことはベルゲンに行ってから安達さんらに確かめることにした。

ノルウエー報告(6)フィヨルド・ツアー-4(MyrdalからFlam)

2005-09-24 | 訪問場所・調査地
MyrdalはNSB(国鉄?)からフロム鉄道に乗り換える所だった。海抜は866m、そこからほぼ北に向かって山を下り海抜2mのFlam(フロム)に約1時間で達するのがフロム鉄道だった。ここではFlamといわば「フラム」と書いているが、ノールウエー語では、aの上に小さな○が付いていて全体として「フロム」に近い発音だったのでフロムと表記する。小雨が降り出した。真夏の観光シーズンを一寸すぎた感じだが外国人観光客多数で日本人もちらほら見えた。ドイツ人が比較的多いようだった。ドイツ語があちこちから聞こえたからだ。英語(米語)の陽気なアメリカ人老夫妻も何組かいた。この「下山鉄道」での1時間、どちら側の景色が良いか、車掌に聞いたら流石に「両方とも交互に良いよ」と答えた。しかし、私は景色が見渡せる谷川方向は進行方向の左側と睨んで左側に座った。少し行くと停車、右側に凄い瀧が水しぶきをあげて落ちているのが見え、撮影のためプラットホームがあった。ノルウエーはフィヨルドのため切り立った崖の上から垂直に長く落ちる瀧が多数らしく水力発電の先進国のようだった。進行方向左側には水力発電所の導水管が見えていた。

ノルウエー報告(5)フィヨルド・ツアー-3(Myrdalまで)

2005-09-24 | 訪問場所・調査地
荷物を送るのに手間取ったが早めに駅に来たので、列車には間に合った。3番線からのベルゲン行きで、5号車53、54番席だった。客は閑散としている。我々は(後で分かったが・・)進行方向に背を向けた二人席だったが、近くにテーブル付きの4人席が空いていたので適当にそこにも行って座り進行方向に向かって窓外を見たり写真を撮ったりした。8時11分発で、駅舎の方向にスタートしたのでビックリしたが、実はそちら方向にトンネルになっていた。Askerという駅に着いた時、車内表示に「Asker104m.o.h」というのが出たが、これは、この駅は標高104メートルにある、ということだった。10時過ぎに左手に湖か海の入り江が見える。羊の牧草地も見え、オスロ近郊では馬を飼っている牧場も見えた。住宅を観察すると、ベランダ・バルコニー付が多く、窓は縦長で小さい。冬は寒く雪もあるためだろうと思った。11時過ぎに「スナック車両」に行き、サンドイッチ、飲み物等を買ってきて早めの昼食だ。12時20分頃にFinseという駅に10分ほど停車、ここは海抜1222mで、この行程では一番高い様子だった。右手は岩山で、何と雪が残っていて寒い。車両から降りて写真を2、3枚写した。隣の席に座っていた婦人はリュックを背負ってこの駅で下りた。山歩きをするのであろう。元気だなと思った。この駅はオスロから302km、ベルゲンから161kmとの表示もあったので、オスローベルゲン間の2/3まで来ている勘定だ。12時50分頃に乗換駅のMyrdalミュルダールに着いた。

ノルウエー報告(4)フィヨルド・ツアー-2(荷物送り)

2005-09-24 | 訪問場所・調査地
9月13日、朝7時過ぎに重いスーツケースを転がしてNSB(ノルウエー国鉄か?)のオスロ中央駅に行く。ホテルが駅の直ぐ横だったので助かった。重いスーツケースを先のブログで行程説明したようにベルゲンまで、下ろしたり載せたりを繰り返すのは「大変」と思い、「宅急便」のようなものでベルゲンのホテルまで送ることにした。その事務所は、19番乗り場(一番右)のはずれにある、と案内書にあったが、見渡してそれらしきものはない。しかし「Expressgoods」という表示と矢印がホームの先をさしている。とにかく、真っ直ぐ歩いてホームの端に来て、段を下りて更に先へ、確かに荷物の発着場のような所がある。そこで聞いて、ようやく事務所が分かった。初めての外国人には分かりにくく途中で諦める人も出てくる恐れがあると思った。表示をもっと分かりやすくすべきであろう。それにしてもオスロからベルゲンまでスーツケース2個で500クローネだった。約1万円である。高い!
最初から「苦労ね」だった。

ノルウエー報告(3)フィヨルド・ツアー-1(行程説明)

2005-09-24 | 訪問場所・調査地
ノルウエーに行くならフィヨルド(Fyord)を見ない「手」はない、と思っていたので、BERGENの安達さんの推薦で、9月13日にOSLOからBERGEN1日コースのツアーをした。日本にはない自然環境に接して地球環境の豊かさを目にすると共にそれらに対するノルウエー人の巧みな対応も知り、心洗われる体験だった。順次報告していきたい。
フィヨルドについては子供時代に地理や理科で習った記憶があった。辞書には「氷食によってできたU字谷が海面下に沈み、海水が浸入してできた狭くて深い湾。ノルウェー・南アラスカ・チリ・ニュージーランド南島などに発達。」とある。もう少し補足をすると、氷河時代の分厚い氷河が海に押し出されて融ける過程で地面を削りこみ、ひきづった土は海に出たところで氷が融け沈下する、そのため湾口が浅く湾奥が深くなり波が奥に至らず静かな湾となる、ということだ。ノルウエーには凄いフィヨルドが多いようだが、私達が大きなボートで行ったのはほんの一部だった。行程を簡単に説明すると、オスロを朝8時過ぎにベルゲン行きの鉄道で出発する、12時50分頃にMyrdal(ミュルダール)に着き、ここでフロム鉄道に乗り換え、これが海抜866mから2mのフィヨルド海面近くのフロムまで1時間程で下る、そこでフィヨルド海面をボートで航行、Gudvangenに着き、そこからVossまでバスで登り、Vossで再びベルゲン行きの鉄道に乗り換え夜の8時半にベルゲンに着くという12時間余の旅だった。