西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

ノルウエー報告(2)ベルゲンの大雨

2005-09-22 | 時論、雑感
9月13日は朝からオスロ発でフィヨルド見学しつつベルゲンに行った。フィヨルド周辺見学の時は小雨で霧がかかっていたが、夜に鉄道でベルゲンに着いた時は大雨になっていた。次の日も雨で、案内していただいたAさん(日本人)は、「こんな大雨、30年住んでいるが出会ったことがない」と言われた。奥さん(ノルウエー人)から聞くと、1917年以来の大雨、土砂崩れもあり死者も行方不明者も出たとのことだった。この大雨はハリケーン「カトリーナ」の次のハリケーンが東にそれて大西洋を越えてやってきたためと言う。88年振りとは驚いた。ベルゲン近くは山や谷が多いが、大雨なら谷部に雨が溜まることもあることについて少し抜かった点もあり、道路が川や池のようになったらしい。
未曾有な災害は何処でも何時でも襲うものだとノルウエーで思った。

ノルウエー報告(1)ノールウエーは木の国か

2005-09-22 | 訪問場所・調査地
私は、今まで北欧へはフィンランド、デンマーク、スウェーデンには行ったがノルウエーは今回が初めてだ。ノルウエーの第二の都市Bergen(ベルゲン)に知り合いがいたためでもある。オスロの国際空港に夜に着いて、先ず気付いたのは空港建物の床が木であったことだ。手すりもそうだった。見上げる柱は鉄筋コンクリートのようだったが背の高い梁は恐らく集成材の木だった。外国人が、その国に入ってくるときに先ず通るのが現在ではまず国際空港であり、それは国の「顔」である。
私はノルウエーが木を強くPRする姿勢を最初に感じたのである。空港から急行の鉄道で19分のオスロ中央駅まで行った。その列車の椅子の背中、手すり、側板も木であった。後日乗った鉄道の中間駅のプラットホームの待合室も木のフレームであった。ベルゲン市役所の人に聞いたら、最近は公共建築で4、5階のものでも木で作るという。実際にみたベルゲン近くの森や林は、大きく言うと西斜面で木の育ちは余り良くなかったが、オスロ北方(オリンピックのあったリレハンメル辺り)ではスウェーデンに劣らない森があるとのことだ。

ロンドン報告(6)バリアフリー

2005-09-22 | 地域居住学
イギリスに着いてスタンステッド空港からリバプールストリートまで「ONE」の鉄道に乗り、地下鉄リバプール駅に移り、地下鉄サークルラインでホテルのあるハイストリートケンジントン駅まで乗り、ホテルに行くまで重いスーツケースを階段をえっちらおっちら上下しなければならず、大変だった。
帰りに関空からJRの「はるか」で京都まで来て、近鉄に乗り換え高の原駅で下りてタクシー乗り場に行く間に階段を重いスーツケースを持ち上げて運ぶことはなかった。エスカレーターやエレベーターが完備していた。日本では点字ブロックがいたるところにあり、かえって足やスーツケースの車が引っかかることもある位だ。
ロンドンでは、地下鉄駅でも車いすOKの駅は限られている。
今のところ、ロンドンより日本の(大阪~京都)の方がバリヤフリー度が高いと思った。

ロンドン報告(5)ダブルデッカー

2005-09-22 | ロンドンの思い出(LSE時代など)
ロンドンのバスの多くは例の赤い二階たてでダブルデッカー(二重床)と言う。今回は意識してこれに乗った。と言うのは地下鉄路線は覚えれば便利だが、真っ暗な地下ばかりを走っていてはロンドンの町の様子が分からず、乗り換えも面倒である。それに比べてダブルデッカーは、路線が分かれば目的地に一本で行ける場合が多いし、二階の前に座れば町の様子が良く分かる。
それと朝9時半を過ぎると「安い1日チケット(1ゾーンで4.7ポンド千円ほど)」が地下鉄駅で買え、それで地下鉄だけでなくダブルデッカーもふんだんに乗れたのである。まちづくり、ロンドンの町に関心があるのなら、ダブルデッカーの2階フロントに陣取るに限るであろう。

ロンドン報告(4)National Railway Services

2005-09-22 | ロンドンの思い出(LSE時代など)
今もBritish Railway(英国鉄道)というのがあるのかどうか知らない。恐らく日本の国鉄が幾つかのJRになって民営化されたのと大同小異ではないのだろうか。私達がノルウエーのベルゲンからイギリスに着いたスタンステッド空港の駅からロンドンのリバプールストリート駅まで乗ったのも、別の日キングスクロス駅からケンブリッジに往復したのも「ONE」という「会社」の鉄道だった。ロンドン北東を担当する会社のようだった。キングスクロス駅からケンブリッジまでノンストップ45分ほどのサービスも新しいのではないか。
ノンストップというとパディントン駅からヒースロー空港までの「EXPRESS」も1998年から出来て、毎時間ほぼ4本が出ており、15分で空港に着く。14ポンドとやや高いが、最近は便利になったな、と思った。

ロンドン報告(3)地下鉄路線

2005-09-22 | ロンドンの思い出(LSE時代など)
1982~1983年にかけてはバーネット区のMill Hill Eastに住んでいたので地下鉄Northern Line(北部線)の世話になった。その路線は北部の住宅地とBank 駅などビジネス中心に一本で行けて便利だった。
都心繁華街中心は、ピカデリーサーカスかオックスフォードサーカス或いはコベントガーデンかもしれない。それらを通ってロンドンをたすき掛けにピカデリーラインとベーカールーラインが走る。National Rail Servicesのターミナル駅をぐるりとめぐるのがサークルライン(環状線)、中央を左右(東西)に走るのがセントラルライン(中央線)である。一応全体図が頭に入っていれば、ぐるりと回らずにショートカットで乗り継げる。しかし連絡通路が大変長い所もあり、それらを全て把握するには今回の1週間は短かった。

ロンドン報告(2)横断歩道

2005-09-22 | ロンドンの思い出(LSE時代など)
ロンドンの横断歩道で信号が青になる前に平気で横断している人が殆どなので、何故か観察すると、仮に赤でも自動車が来ないことが確認されれば渡るということのようだった。そのために横断歩道から車道に入る地面に「Look right→」とか「←Look left」とか更に「←Look both ways→」と白地で書いてあって、それに従い、右左を見て自動車が来ないか、来ていても渡る間には未だ来なくて安全と判断すれば自己責任で渡るということだ。それと、私は、安全のため青信号で大体渡ったが、その青信号時間が極めて短いことも赤でも安全と分かれば渡るのだな、と思った。
それにしても横断しようとしていて車に対する信号が見にくかった。日本で見るような方向に車道信号がなかったのである。

ロンドン報告(1)Stand on the right再説+

2005-09-22 | ロンドンの思い出(LSE時代など)
8月19日のブログ(ロンドンの思い出)に、ロンドンでは地下鉄のエスかレターに乗る前あたりに「Stand on the right」と書かれていた(1983年から、1990年頃まで)と書いた。今回2005年には、やはりそれは書かれていたが、次のようになっていた。トップに一寸丁寧にPlease stand on the right(どうか右側に立って下さい)とあって、その下に青地に白く三項目、一つはHold the handrail Keep clear of the edges(手すりを持て 端っこをあけなさい)、二つ目はTake extra care with children(子供に特別の注意を(例えば抱っこ、この絵が描いてあった))三つ目はDoggs must caried (犬は抱っこで)、そして最後に赤字に白で一項目No smoking(禁煙)だった。とにかく左側は急いでいる人のために空けておけ、ということだ。
ところが、連絡通路はKeep left(左側を歩け)である。
8月21日のブログ(言語遊戯)に、Mind the gap(隙間に注意)ということも書いたが、今回Piccaddily Circus(ピカデリーサーカス)駅で、Mind the gap between the train and the platformと放送していた。これだとはっきりする。車内放送は頻繁にするようになったらしい。Keep clear at the door(ドアから離れて立ってください)ということも言っていた。

帰国挨拶

2005-09-22 | ロンドンの思い出(LSE時代など)
ここ10日間、毎日20人以上の方々にアクセスして頂きありがとう御座います。新たな記事がないので、ゆっくり遡って読んで頂けたかもしれません。
実は私達は、ノルウエーのベルゲン、フィヨルド観光と久しぶりのロンドンにセンチメンタル・ジャニーを兼ね行っていました。向こうからインターネットカフェで、ブログを書こうかなと思いましたが、日本語は「ペースト」でしか書けず、面倒なので、帰ってゆっくり書こうかなと思っています。とにかく無事帰ってきました。