東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

砂子燻し

2018-07-17 23:54:35 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 まがいの砂子(梨地真鍮粉青口)です。以前にはこのまま蒔き筒(粉筒・画像斜めに見える葦の筒状のもの)で振って蒔いていたのですが、ご意見やご指導いただく方があって、けば過ぎて好ましくないというご意見でした。各地の古い土人形産地の古い人形の伝世品を見ると、こうした真鍮粉を振ったものが時代を経て茶色ぽかったり黒ずんだ状態で彩色に蒔いて残っています。ただ屁理屈を言えば、時代を経た人形の味わい深さとか落ち着きというのは時間を経て化学変化して、結果として枯れた感じに落ち着いているので、江戸末でも明治でも戦前でも作られた当時の人形の出来立ては鮮やかでピカピカ光っていることを、消費者購買層の人々は「ハレ」のような気持ちで喜んでいたのではないか、と想像します。色でも植物の煮出し汁は塗ったばかりと時間を経たあとの発色が枯れていい感じになり、丹色はオレンジの鮮やかだったものが酸化して燻し銀のような色に変化するなどです。そういう理屈でいえば昔の姿は砂子もピカピカで売られていて、電気の灯りのない夜の暗い灯りの中の生活では「ハレ」的な輝きでおめでたく感じたのだろうから、砂子も燻さなくといいのではないか、という理屈になるのですが、やっぱりピカピカ過ぎるとけばくて嫌味かな?と思うところあって、燻して輝きのトーンを落として使うことにしています。

 ボールの中の黄色い液体は硫黄由来の金属加工用の燻し液を熱湯で割った状態のものです。

 そこへ砂子(真鍮粉)を匙で落とします。すごく細かく薄くて軽い(鼻息で舞い上がってしまうくらい)ので、水面に浮いてしまいます。それで、使い捨ての割りばしで溶き卵を作るように撹拌して液体をくぐらせるようにします。

 ずーっと掻きまわしているとボールの底のほうに沈んでいるのとまだ浮いているのとに分かれてきます。液体の色も紅茶のような色になってきていますね。「温泉に入る時ネックレスとか金物は外して入りなさい」とかいいますね。あれです。

 晒の布をプラスチックの笊の上に敷いて、撹拌していた液体ごと砂子を流し込んで液体を除き、液体を捨てては新しい水に戻して撹拌して、また別の晒布に流し込んで液体を捨てての繰り返しをして硫黄成分をなくしていきます。砂子は細かいので晒布でも通ってしまうのもあって勿体ないので逃げた細かい砂子も捨てないようまた晒にかけ、最終的には三角コーナー用のゴミ用の不織布水切りと晒布で二重にして逃げないようにします。

 何度も水で洗って黄色い液体がなくなったら不織布に残った砂子をそのまま乾燥させ乾いたところで水切り袋を透明なビニール袋の中でハサミで切って開いてもみもみすればビニール袋に砂子が残ります。これで燻しの終わりです。燻す前後のピカピカの違いがわかりますか?これでも結構落ち着いたのです。これから夏を境に暮れ正月に向けて忙しくなるので今のうちに砂子を燻して用意しておきます。今は古い産地の人形でもマイラーというビニール由来のピカピカの代用品が使われているところもありますし、ラメもありますが、自分としてはあまりけばくなって欲しくないので燻します。少なくとも最後の生粋の今戸人形師であった尾張屋・金沢春吉翁(明治元年~昭和19年)までは真鍮粉の砂子を蒔いて使っていました。翁の作の伝世の人形はもとはぴかぴかだったのが時間を経て黒ずんで残っています。砂子を蒔いて豪華さを演出するという手法は京都の伏見人形の流れを汲む伝承の名残なのだと思います。