ここも40年以上前からありますが、中に入ったことがないので、あくまで外観しか知りません。
正面にHの目印のあるところには昔はピンク色の地に脚をクロスさせたお姉さんのイラストの丸い看板がありました。
キャバレーというところを知らないので、中でどんな世界が繰り広げられるのだろう、という想像をしながら通り過ぎます。
昭和30年代の石原裕次郎さんの映画に出てくるような生演奏でダンスしたりするような上品さと伊達さと妖しさのミックスされた酒場なのか、どうなのか、、、?謎です。昔は入り口の前にその日実演に来る歌手の看板なんかありました。
母の話では、もともとここには銭湯があったということですが、私の最も古い記憶には、まだこの建物が建っていないおぼろな風景が浮かんでくるのですが、母の話からの影響で勝手に浮かんでくるイメージなのかどうか。
画像左側のならびに数年前まで「すがい」というさっぱりとしたおいしいラーメンの中華屋さんがあり、よく食べに行ったものですが、なくなってしまいました。その建物に池袋のT軒系のお店が入って、若い人がよく並んでいます。
福富氏は美術品の収集家としても有名で、特に鏑木清方のコレクションに力を入れていると何かで読んだことがあります。氏が書いた『昭和キャバレー秘史』を読みましたが、風俗史、大衆文化史としても面白い本でした。
しかし、私もキャバレーには行ったことがありません。戦前から営業している、銀座の「白いバラ」に行ってみたいと以前から思っているのですが。
ハリウッドと福富太郎さんとの関係は随分前からTVなどで観て知っていましたが、本は読んだことがありませんでした。おぼろげに錦絵のコレクターだったという認識はありましたが、鏑木清方に特に力を入れていたんですね。ちょっと前、珍しくTVのインタビューか何かで、今は本の収集に移行しているというようなことを仰っていました。私も入ったことはありませんけれど、昔は巷にキャバレーというお店がいっぱいあったのに、少なくなったのではないか?、、、。そんな中で、赤羽ハリウッドは知る人ぞ知るといった存在であるようなこと聞いたもので、、。中学生の頃、鴬谷の学習塾に通っていた頃、何軒かド派手なキャバレーがあったのを記憶していますが、先日下谷に出かけた折、なくなってしまっていました。
「白いバラ」というお店知りませんでした。老舗なのですね。キャバレーという語感は日本と西洋ではちょっと違うようですね。ライザ・ミネリのキャバレーという映画もありましたしね。
「白いバラ」は、店の外に日本地図が飾られており、県ごとにその県出身の女の子の名札がかけられていて、「あなたの郷里の女の子を呼んでやって下さい」なんて書いてあるので、子どものころから気になっていました。父が銀座一丁目に勤めていたので、よく銀座に遊びにいったんです。
一生忘れない夜でした、
飲めないにの、、いくら お付き合いでも、、少しも楽しくなくて、、疲れただけ。
確かに、ハリウッドのそばを通りすぎたとき、サックスの音が聞こえてきた憶えがあります。ダンスするフロアがあるっていうのはイメージしていました。YouTubeでローカルCMの画像を観るのがすきなのですが、大阪の「味園」という歓楽ピルの中に「ユニヴァース」というキャバレーがあるそうで、そのCMが流れていまして、その動画から、キャバレーってこういうものなのか?とイメージしています。
「白いバラ」同郷のホステスさんなんかと同じ訛りで盛り上がったりするんですかね?
席についたら同級生というのも奇遇なお話ですね。しかし昔話などできなかったのですか?
でも中に入ったことがあるということは、内側の普請とか装飾などはご覧になったわけですよね。
犬を前を通りすぎたら「見学コース」¥6?00というビラが貼ってありました。見学するのでもやっぱり入場料はそれなりなんですね。