東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

そとの空気

2010-12-19 16:23:48 | おともだち

2007_0101_000000p1011134 このところ、かなり冷え込むようになりました。

十五夜さんのいる部屋には暖房がないので、夜になると雨戸をたてています。そのため、完全な外気に比べれば、室内はいくぶん楽です。

でも十五夜さんは雨戸が嫌いです。閉めた途端、開けてくれといわんばかりにガラス戸に寄ってきます。「外は寒いんだから、また明るくなったらね。」というと一応は納得した顔を見せてくれるのですが、、。

朝になると早速「開けて」の催促です。外の空気を吸い込んで、窓の外を眺めています。

太陽が射してくると、戸を開けたまま撫ぜて欲しいという意志表示をします。この時間が一番好きなようです。

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元祖・招き猫発祥の地

2010-12-19 15:59:05 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1011124 浅草寺境内にある浅草神社。三社祭りで有名ですが、招き猫の好きな人にとって、ここがその発祥の地です。

最近、今戸神社のほうが「招き猫発祥の地」という触れ込みで賑わっているようですが、これは解釈の違いからそうだとも読むことができるということで、そもそも、丸〆猫(まるしめのねこ)が嘉永5年に売りだされ大流行した、と「武江年表」や「藤岡屋日記」に記されている場所は、ここ旧・三社権現なのです。

鳥居脇にたこ焼き屋さんの露店が見えます。この辺りに丸〆猫屋の床店(仮設店舗)があったと考えられます。先日、十五夜さんからのプレゼントで家にきた、広重画の錦絵「浄るり町繁華の図」に描かれている丸〆猫屋(左上部分)が、画像のたこ焼き屋さん辺りにあったと想像してみてください。但し、この錦絵は浄瑠璃の登場人物を物売りに見立ててあるので、丸〆猫を売っているのが西行法師になっていますが、記録ではお婆さんが売っていたことになっています。

2007_0101_000000p1011101 丸〆猫は今戸焼で作られたという理由からその地元こそが招き猫の発祥の地であるという理屈も否定はしませんが、やっぱりここ三社様こそが「元祖・招き猫発祥の地」ではないでしょうか。

お時間あれば「武江年表」と「藤岡屋日記」の丸〆猫についての原文をお読みください。

武江年表」原文へ→

「藤岡屋日記」原文へ→

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羽子板市

2010-12-19 15:46:19 | 散歩

2007_0101_000000p1011127 用事で仲見世へ行ったついでに、境内を急いで観てきました。

押絵の羽子板に限ったことではありませんが、こうした手工芸の手間というのは当然大変なもので、それプラス縁起物というプレミアのつくものですから、そう簡単に手の出る値段ではありませんね。

ただ、こういうものは、使われている布のよさとか顔の面相とか、羽子板の形の中に人物をどのような構図で納めるかというところに名人の技があるわけで、派手であればよいというものでもないかと思います。

浅草橋の江戸時代からの人形問屋である「吉徳」さんには明治の押絵の大名人「大和屋吟光」の手になるすばらしいのが保存されていますが、ああいうのを観たあとだと何だか、、、。

それより突き羽根や繭玉などのキッチュな色彩に眼が奪われました。神仏具を商う露店もあり、昔はこういうところで今戸焼の大黒様も並んでいたんだな、想像を巡らしました。

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浅草の朝

2010-12-19 15:31:59 | 散歩

2007_0101_000000p1011131 今朝、用事があって仲見世まで行ってきました。やっぱり混んでいますね。いつものように観音通りから行きました。

スカーツリーがもうこんなにできているのですね。正直いって、こういう巨大な建物は威圧されるようで苦手です。ふとここは上海なのではと錯覚してしまいそうでした。

それに比べると、大きくても観音様の境内の建物には馴染みがあるようで違和感は感じませんでした。

今日は羽子板市なのですね。どおりで混んでいるはずです。

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