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東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

今戸人形「鳩笛」 (尾張屋春吉翁 作)

2010-09-27 20:30:17 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010734 最後の今戸焼の土人形の作者であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)による鳩笛です。

鳩笛は全国各地に分布していて、子供の無事な成長を祈る玩具であるという風なことを読んだことがあります。

鳩は神社仏閣の境内にいますが、浅草寺の境内の鳩の群れは昔から特に知られているようで描かれた錦絵や石版画、古い絵はがきを見ても正面に観音堂があり、その手前の両側に赤い日傘をさした頬かむりのお婆さんが鳩にやる豆を商っている様子が見られます。

また、浅草寺みやげに鳩の形をした土人形や玩具がいろいろあったようで子供の食膳に供えると胸のつかえに効能があるとか言われていたようです。

浅草で売られていた鳩笛にはいろいろな種類があったと思われます。鉛の釉薬をかけたものが近世遺跡から出土することが多く見られるほか、画像のような素焼きに彩色したものもいろいろあったのでしょう。

この尾張屋春吉翁による鳩笛は関東大震災の後に作られたものですが、驚くのはこの配色が人形の吉徳さんに残されている天保年間の人形玩具の彩色見本帳に描かれている鳩笛の色の指定と酷似していることです。春吉翁は教わったとおりの配色を墨守していたのでしょう。

この鳩笛も従来の2枚の割型で作られているのだと思うのですが、型の合わせ目がどうなっているのかしげしげ眺めても不思議に思っています。尾から翼の付け根まではわかるのですが、頭から嘴にかけてが謎です。目が出ぱっているのですが目の周辺に合わせたような痕が見えません。嘴から後頭部にかけてバリをならした痕のようなものが見えるのですが、、。まさか3枚の割型という手の込んだやり方だとは思えないのですが、、。

今戸焼「施釉の鳩笛」についてはこちら→

 

 

 

 

 

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今戸人形「おいらん」 (尾張屋春吉翁 作)

2010-09-27 19:50:12 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010733 最後の今戸の土人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)による作です。

昔の今戸の土人形の中でも特に知られた代表的なものでしょう。 全国各地に伝わった土人形にもおいらんはありますが、ここ今戸は近くに新吉原の遊郭も控えており、土産やプロマイド的に憧れの対象として求められたのでしょうか?

春吉翁によるこの人形よりもひとまわりもふたまわりも大きな同じ形の伝世品の写真を観たことがありますが、実際に手にして観ているのはこのサイズです。

不思議なことに、春吉翁やその養父である兼吉翁による人形はかなり有名だったり、出回っている人形であるのに、近世の考古遺跡から出土したという例をまだ観たことがない種類もかなりあります。

このおいらんの人形も不思議と出土品を見ませんでした。ところが一昨年だったか通院の帰りに本郷通り沿いの東京大学管理の土地の発掘現場に偶然遭遇して見学させてもらったところ、これとほぼ同じサイズの出土品がありました。

俎板帯の緑色に塗られているところには、よく見えませんが、ポコポコとした彫りがあるのです。俎板帯の図柄なのですが、一体何を描いてあるのか長年疑問に思っていたのですが、色の取れてしまった出土品を見てもよくわかりませんでした。

春吉翁による人形の彩色は実に美しく、きらきらと宝石のようです。

 

 

 

 

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今戸人形 「月見兎」 (尾張屋春吉翁 作)

2010-09-22 00:11:24 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010638 最後の今戸人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)の作られた土人形です。今戸の土人形の中でもよく知られているものです。

目と耳はスカーレット染料で塗られていて、着物は朱のような顔料、羽織は群青の顔料です。赤でも色を使い分けています。帯は金色のものと緑のものと黒のがあります。

可愛らしい人形なのですが、「その昔、遊女が妊娠しないように、無事月のものを拝めるようにという呪いで求めた」という内容の解説がされている本が多いです。

こうした内容の解説のもとは有坂与太郎の著作に出てくるのがはじめなのではないでしょうか?有坂与太郎はこれをどこから聞いたのでしょうか?当時の古老から聞いた話なのか、あるいは遡って何かに記録されていることなのか?出典についてはっきりと書かれていないので気になります。

こうした内容の古い記述をちょこちょこ探しているのですが、まだみつかりません。ご存じの方がいらしたらご教示いただきたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

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今戸人形「客引き河童」 (尾張屋春吉翁 作)

2010-08-31 22:59:55 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010617 最後の今戸焼の人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)作の土人形です。

この人形も今戸焼の土人形としてはよく知られているものです。以前、このブログでご紹介した「河童の火入れ」と構図はだいたい同じです。

このポーズとしてなぜ「客引き」と呼ばれているのか、詳しいことは聞いたことがないので不思議に思っています。

火入れの河童同様、尾張屋さんの河童の肌の色は不思議な色です。単純な深緑色の顔料ではなく、染料を使っているのか、青みがかって照りがあります。あるいはベロ藍に他の色を混ぜたものなのか、、、?

有坂与太郎の著作を読みますと、この河童の人形は「小まじり」という種類に属するものだそうです。「中まじり」という種類に属する人形もあり、これらの区別は人形のサイズから来ているらしいです。

明治15年まで浅草寺境内あたりには床店という仮設店舗があり、「丸〆猫」もそうした床店で売られていたそうですが、他にも露天で商う人もあったようです。お客さんの前に商品を陳列するときに、「半紙を斜めにずらして三角形に折り、その上に人形を並べ、中まじり、小まじりといって5つ位で百文で売っていた。」という春吉翁の証言が記録されています。そのような様子が写真や絵に残っていれば見てみたいです。

ちなみに「大まじり」という言葉はなくて、大きな人形はひとついくらで売られていたそうです。

 

 

 

 

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今戸人形「狐拳」(三すくみ)(尾張屋春吉翁 作)

2010-08-31 22:29:05 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1011024 最後の今戸焼の人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)作の土人形です。

この人形は今戸焼の人形の中でも特によく知られている型だと思います。

狐は鉄砲を持っている猟人にかなわない、猟人は庄屋にかなわない、庄屋は狐に化かされる。囃しながら、それぞれのキャラクターのポーズをとって勝ち負けを楽しむ拳遊びを人形化したものです。

拳を打って遊ぶことは、江戸時代から盛んだったそうで、虫拳(ナメクジ・ガマ・ヘビ)、三国拳(御釈迦様・大日如来・孔子)、虎拳(母・虎・和藤内)などと並んで狐拳は藤八拳の三すくみの遊びのひとつだったようです。モダンなところで、野球拳、じゃんけんなどがあります。

今戸焼の土人形の中では、虫拳のおもちゃがあるのを確認していますが、他にもあったのかどうか、、。

人形としては狐拳のものが圧倒的に多く、いろいろな種類のものがあるようです。

尾張屋春吉翁による面描きや丁寧な彩色は素晴らしいと思います。特に面描きの筆の穂先が鋭く走っているのがすごいです。庄屋さんの帯の部分は染料でしょうか?不思議な透明感と照りがあります。狐の袖なしと猟人の袴の色は同じ顔料だと思うのですが、一方には照りをつけ、また一方はマットな仕上げになっているのはどうしてなのか以前から不思議に思っています。

 

 

 

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今戸人形 「子守狐」(尾張屋春吉翁 作)

2010-08-29 21:08:21 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010220 最後の今戸焼の人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)はたくさんの種類の今戸人形をお遺しになられています。

そのどれもが手慣れた筆のタッチ、今戸らしい配色できらきらとして美しく、表情に情感があります。

この「子守狐」もそのひとつ。構図としてもポピュラーなものとして知られているのではないでしょうか?

何といってもお母さん狐と子供の狐の表情。母性といったものに溢れていると思います。こうした表情を筆先でさらりと描けるというのがすごいと思います。

柘植の横櫛なのでしょうね。黄色の発色も微妙な色。着物の配色もいかにも今戸人形といった感じです。

不思議なことに、この型のお人形の出土品はまだ観たことがなく、明治時代あるいはそれ以前の伝世品も伝わっているのか知りません。

しかし、春吉翁一代の創作とも言われていないので、古い型なのだと思います。

 

 

 

 

 

 

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浅草と深草

2010-08-13 23:58:58 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010594 以前からずっと気になっていたこと。

今戸焼が生れたのは浅草。今戸人形の発生の母胎となった京都・伏見人形のふるさとである伏見には深草という地名がある。古い文献には「深草焼」という名称も残っている。

浅草深草。「浅い」と「深い」。余りにもシンメトリックに対称的な地名。どちらかが何かを基準にして対比的に名づけられたかのよう、、。

浅草については、、、

「江戸東京学事典」によると
「浅草の地名の由来には、諸説があり、アイヌ語のアツアクサ(海を越すという意味)にちなむとか、チベット語のアーシャ・クシャ(聖のおわす所の意味)に由来するなど。定説は「江戸往古図説」が「往古下谷より此わたりへかけて平地にして武蔵野の末にて草もおのづから浅々しき故浅草と云しなるべしといへりさもあらんか」と述べているらしい。(以上よそのHPから引用させていただきました。)

深草については、、

「寛永14(1637)年刊の『洛中絵図』(以後発刊年省略)に深草町とある。町名の由来は不明だが、「地名の国語学的分類」(以後「地名分類」と略す)では、町内に深い草地があったなど土地の状況からの命名と推定される。」。(以上もよそのHPから引用させていただきました。)とありますが、いつまで遡ることができるのか明記されてはいないのでよくわかりません。

しかし浅草についてはまた、、

「往古、草深い武蔵野の中で浅草の一画は茅や芝草ばかり浅々と生い茂っていた草原だったので、京都の深草と対比して「浅草」の地名が生まれたのであろう……これが定説だそうだ。(他にも諸説ある)」(以上もよそのHPから引用させていただきました。)ので、やはり深草に対して浅草という名前がつけられたものでしょうか?

ただ浅草と最初に呼んだ人は「深草」を知っていて、それに対比させてつけたのであれば、深草との何かしらの共通点をもって名づけたのでしょう?それは何なのでしょうか?川でしょうか?

江戸の古い川柳に「かはらけ(土器)は 浅い深いの土で出来」というのを読んだことがあります。

浅草の地名は浅草寺の創建以前に遡るとされているので、今戸焼の起源とされている時代よりもはるか昔です。しかし、浅草寺の創建以来、瓦や土器類の需要はあっただろうと思われますし、今戸焼以前にそれらを作る人はいたのではないか、と考えれば、土師の存在を想像でき、伏見、深草あたりの土師の流れを汲む人たちが「深草」に対して「浅草」と名付けたとしても不思議ではないと思いますがどうでしょう。はからずも、浅草寺縁起に土師中知(はじのなかとも)という三社様のひとりの名前が出てきます。

私は歴史に疎く、学問にも疎いので、あくまで勝手に空想しているまでのことなのですが、これらについてわかる本があったら読んでみたいです。

画像は左が古い伏見人形の「子抱き」です。新しくても明治はじめ、あるいは江戸末に遡るものでしょうか?黄色い部分は「きはだ」の煮出しのように見えます。右は尾張屋春吉翁作の今戸人形の「子抱き」で関東大震災以降の作ですが、この型自体はもっと昔に遡るものでしょう。いづれにしても、今戸人形が伏見人形からの抜き型から生れたたということがわかる一例です。

 

 

 

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今戸人形 「娘河童」 (尾張屋春吉翁 作)

2010-08-13 12:25:04 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010593 暑さの厳しい中、涼しげな今戸焼の土人形でもご紹介しようと思い、抽斗の中から取り出してみました。

この人形は最後の今戸焼の人形師だった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)自ら創作されたと言われている型の土人形のひとつです。生粋の江戸っ子でいらっしゃる上に箱庭細工の名人でもいらっしゃった訳で、発想の洒脱さ、面白さは流石だと思います。

笊に入ったキュウリは2枚型だとひっかかって抜けないので、別型で抜いて、本体に貼りつけてあります。芸が細かいです。

顔や手の部分の色は以前ご紹介した「河童の火入れ」同様、独特の色遣いで、単に深緑色の泥絵具を塗ったのとは違って、不思議な発色です。

 

 

 

 

 

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今戸焼の「笑い物」

2010-05-21 21:41:38 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010212 写真の人形は江戸後期の出来の今戸焼の土人形だと思います。「行水する婦人像」で同じ型の人形が本郷の東京大学構内からも出土しています。

現在の眼からすると、おおらかで罪のないほほえましい人形だと思いますが、作られた当時としてはかなりお色気の強い人形だったのではと思います。錦絵に中には「和印」と呼ばれるかなりきわどいものがありますが、そうしたものに比べれば、毒気も少ないでしょう。

このような行水をする姿の人形は他にも出土例があります。

今戸人形の発生の源となった京都の伏見人形には「笑い物」というジャンルの人形類があり、「お客大明神」とか「火吹き竹」といった陽物を形にしたものがあれば、「松茸おかめ」など暗示したもの、「子抱きのおかめ」のように直截的に陰部を露わにした人形まであります。

東京の近世遺跡から出土した人形の中にも

「子抱きのおかめ」の今戸版がありましたし、「火吹き竹」と同巧のものが見られます。

記録されている尾張屋・金澤春吉翁の懐述の中には「金松」と呼ばれる花柳界の客寄せの縁起ものの人形を作っていた、とありますが、名前からすると伏見の「お客大明神」のようなものだったのかどうか、、、?まだそれらしきものを見たことがありません。尾張屋さんの作でこの手のものは、「猫抱きおかめ」の猫と松茸を入れ替えた人形があります。

先日、金澤家を訪ねて、「金松」について伺ったのですが、それらしき人形は見たことがないというお話でしたが、つい先ごろ、江戸東京博物館に寄贈されたという人形の中には、一体「笑い物」と思しき人形があったということでした。現物を直接拝見したわけではないのですが、春吉翁の作として知られている「おかめ女郎」(これは笑い物ではありません。)とよく似た構図で、それよりもひとまわり大型で、底を裏返して見ると、それらしき彩色がしてあった、とうことです。何れ新資料として公開されるかも知れません。しかし、底の部分は公開はされないのではないでしょうか?

東京大学の構内から出土した「子抱きのおかめ」は以前、人に勧められて再現を試みたことがありましたが、出土品なので、彩色は残っておらず、問題の部分の配色はどうなっていたのだろうかと戸惑いました。

おそらく、春吉翁作の件の人形がその謎を解く鍵を握っているのではないかと思います。

 

 

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貴重な一日

2010-05-16 21:01:32 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010393 最後の今戸人形師であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)。これまで春吉翁に関しての記事を採り上げてきましたが、今日春吉翁のご親族である金澤家をお訪ねしてお話を伺うことができました。

今から20年前、春吉翁のお孫さんでいらっしゃる武佑さんにお目にかかる機会を得ましたが、20年ぶりに再会でき、その間読みかじり、聞きかじりしたことを更に深めることができました。

春吉翁がまだご健在で今戸人形を製作されていた頃、その片腕として仕事を手伝っておられた娘のはなさんは平成16年にお亡くなりになられたそうですが、その生前武佑さんの奥様が、はなさんの当時について語られていたことをカセットテープに録音されていたものをお聞かせくださり、また春吉さんと一緒ににお住まいになられていた武佑さんのお話を限られた時間ではありましたが、メモすることができました。

また、私にとって気がかりであったこと。春吉翁の作られたお人形を手本として再現していることについてもご承諾くださり、ほーっと安心しました。はなさんは、春吉翁が亡くなられた後、同業者に真似されることが嫌で悩んでおられたそうですが、現在、春吉翁の存在やお作りになられた人形について知っていらっしゃる方も少なくなってきているので、春吉翁の作には及ばずとも尾張屋さんの今戸人形の雰囲気や尾張屋さんの歴史を世に伝えるためには、はなさんも喜んでおられるだろうというお言葉をいただき、感謝感激です。

また、手元に残された人形は江戸東京博物館へ寄贈されたとのことですが、半製品の一部を見せてくださり、春吉翁の仕事の手順を垣間見る思いでした。

お聞きしたお話の中には、これまで美術書などに記録として残されていない内容も含まれていてびっくりしました。何れまとめて、内容の聞き間違いがないか確認していただこうと思っています。金澤家の皆さま、本日はありがとうございました。


今戸焼の土神輿

2010-05-14 18:41:55 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010023 テレビのニュースを観ていたら、もう「三社祭」なんですね。季節の移り変わりの早さにはびっくりしてしまいます。

画像は、昔今戸焼で作られていた「土神輿」を再現してみたもの。焼き物で神輿を作るという発想がユニークだと思います。

手本は毎回ご登場いただいている、今戸焼の土人形の最後の作者であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)作のものです。

都内の近世遺跡からの色のとれてしまった出土品にも含まれていることがあり、大小さまざまな形の神輿が作られていたことがわかります。

尾張屋春吉翁の作は、担ぎの棒が挿し込まれているという例を見たことがないんですが、お人形の吉徳さんに伝わっている天保年間の人形玩具の配色手本帳を見ますと、春吉翁の作品の配色と似ていますが、その上担ぎ棒も挿しこまれていて、棒の配色も指定されているのです。棒の上の面は緑青で、側面はたいしゃ色です。それとおりに塗って本体に挿しこみました。

今戸焼の土神輿は三社祭だけに限らず、江戸市中、近辺あちらこちらのお祭りで子供向けに売られた際物玩具であったと思います。これをぶつけ合わせたり、誤って落としてしまえばすぐに割れたり欠けたりしてしまうのが、今戸焼の儚さですが、それを惜しげもなく買い求めて遊んでいた江戸の子供たちは淡泊で潔いところがあったのかもしれません。

お神輿の掛け声はやっぱり「わっしょい」でしょうね。

ちなみに招き猫の一番古い作例と言われている丸〆猫ですが、売られていたのは、ここ三社様(浅草神社、旧浅草権現、三社権現)の鳥居横らしいです。今から十数年前、TV番組で私の再現した丸〆猫を採り上げてくださり、その1シーンとして、私が三社様の拝殿で拙作の丸〆猫を奉納するというのがありました。当時、三社様のご神職様ともお話しさせていただきましたが、ご存じないようで、その後も丸〆猫についての縁起について取り立ててPRされることもないようなので、もったいないというか欲がないんだな~と思っています。文献にも錦絵にも残っているものなのですけれど。まあ、三社様にとっては招き猫ひとつの伝説もそれほど重要ではないんでしょうね。なにしろ浅草寺創建にまつわる由緒あるお社ですし、本殿拝殿も震災、戦災から類焼を免れた重要文化財で、また江戸三大祭りのひとつを執り行われる浅草の要なのですから。


落語 「今戸の狐」から

2010-05-12 23:09:54 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010387 皆さまご存じの落語「骨の賽」(今戸の狐) 。

以前、知人から寄席の招待券をもらうことが多かったので、割とよく出かけたものですが、この演目は生で聞いたことがないんです。古今亭志ん生師匠所演のCDだけは持っていて聞いています。他の演者のは知らないのですが、細部など違うのでしょうか?

あらすじについては、私などが今さらと思うので省略します。2007_0101_000000p1010388 ここでは、噺の中に出てくる今戸焼の狐について長年不思議に思っていることを記したいと思います。内職で狐の絵付けをしている場面。これは昔、今戸焼の陶工の中に「木地屋」と呼ばれる人がいて、土人形の素焼きまでを専門として、業者が素焼きを仕入れ、別の人間が内職で色付けしていたという話と内容が合います。

噺の一番終わりの場面で、遊び人が勘違いして良助の家に上がり込んできて、戸棚の中の狐についてのやりとりで「金貼り」「銀貼り」という言葉がでてきます。遊び人にとっては「金張り」「銀張り」という博打の符牒が良助が内職で仕上げた狐の仕上げの種類との「金貼り」「銀貼り」と重なってくるところが面白いところですが、この「金貼り」「銀貼り」に相当する今戸焼の狐を私は未だかつて見たことがありません。金箔や銀箔を土人形の一部に貼りつけるのか、それとも全体に貼りつけるのか、、?箔を立体に貼りつけるのは結構面倒な作業のはずです。

2枚目の画像の手前に見える小さな狐のひとつ、黒ずんで見えるのは、これはまがい金泥(真鍮粉)を膠で溶いて塗ったものです。金泥には赤口、青口とあって、いずれも塗ったときにはきれいに輝いていますが時間が経つと酸化するのか真っ黒になります。こうしたまがいの金泥による仕上げは、歳の市で売り出される恵比寿大黒や寒紅の売り出しのおまけの紅丑などによく見られ、またこのような小さな狐に塗られる作例は見られます。しかし箔を貼ったものは見たことがありません。あるいは、どこかに残っていたら、後学のため、見せていただきたいと思います。

画像の狐たちは、今戸焼でお稲荷さんの奉納用に作られた「鉄砲狐」(一説に形が鉄砲の弾に似ているから)と呼ばれるもので、今戸で最も作られていた型のひとつです。地元浅草・下谷のお稲荷様はもとより、都内各地、成田山新勝寺の出世稲荷をはじめ下房一帯、相模のお稲荷様でも見かけていますし、埼玉県内でも、、。また東松山や熊谷付近、秩父地方では今戸の鉄砲狐を真似たよく似た狐も見られます。今戸には他にもたくさんの狐の種類はあったのですが、数の多さからいっても、噺に出てくる狐はこの型のものではないかと思います。作り手もたくさん、大きさもいろいろあったようですが、こうして並べてみると型も微妙に異なり、色も泥絵具だったり染料だったり、面描きのタッチも違います。お人形の吉徳さんに伝わっている天保年間の人形玩具の色手本にも配色が示されていて、台座のしましまは丹と群青、狐の足元は黄色(石黄?)と指定されています。2007_0101_000000p1010209

塗りが新しいものでも、型自体は台の低い型が古い型であると、誰かに聞いたことがあります。

3枚目の画像は私が再現を試みたものです。

ちなみに「骨の賽」ならぬ「土の賽」は今戸で作られていたようです。

なお

落語「今戸の狐」のあらすじや解説については

茶屋金兵衛さんのブログをご参考になさってください。

当ブログ落語「今戸焼」についての記事はこちらです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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尾張屋春吉翁 今戸焼土人形作り風景

2010-05-08 13:49:47 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010259 有坂与太郎著「おもちゃ葉奈誌 今戸人形」(昭和5年)に掲載されている写真です。この写真から当時の今戸焼や今戸人形についての様子がいろいろと伺うことができます。

手前の焚き口のところにいらっしゃるのが春吉翁。また後ろにいらっしゃるのが春吉翁の妻女のつるさんでいらっしゃいます。窯の形は小型ではありますが、今戸焼に使われていたという典型的な形のもの。後ろの炉部分には天井がなく、中に素焼きする箱庭細工や土人形の生地を詰め込んでから上から筵なんかで蔽いをして水で湿らせて焼けないようにしたんでしょうか。土台は耐熱煉瓦を敷いたり、炉内も煉瓦を積み上げ、周りを鋤を入れた荒木田土などを塗り重ねてこのように形作ってあるのでしょうね。

春吉翁の左に見える笊には箱庭細工らしきものや、小型の人形が見えます。焚き口の上には割型が見えます。これは大黒様でしょうね。春吉翁作のこんなに大きな大黒様の実物はまだ見たことがありません。しかし恵比寿大黒の人形は今戸焼の土人形の主力製品のひとつだったようで、お酉さまの市をはじめ歳の市では必ずさまざまな形のものが売り出されていたみたいです。

焚き口には燃料となる薪の他に、焚きつけに使う鉋くずのようなものも見えます。後ろに樽のようなものが見えるのは、中身は何なんでしょうか?水なのか、粘土の室なのか?P1010272

春吉翁には「清さん」というお弟子さんがひとりいらっしゃって、仕込んでいたらしいのですが、夭折されてしまい、その後は弟子はとらなかったそうです。

製作には春吉翁ご本人と娘の花さん、それからご近所の女性が手伝いに通っていたということです。

今から20年前まではまだ今戸には金澤家のお宅がありましたが、何時の間にかアパートになってしまいました。

一枚目の画像の窯があったという場所は現在は駐車場になっています。私にとっては聖地みたいなところ。浅草に所用で出かけるついでには、足をのばして、駐車場であってもお参りに行っています。

 

 

 

 

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最後の今戸人形師 尾張屋春吉翁

2010-05-08 06:46:19 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010366 最後の今戸人形師であった尾張屋・金澤春吉翁については、お人形の吉徳先代・山田徳兵衛さんによる「人形百話」の中の話をお許しを得て当ブログで引用させていただきました。

春吉翁は明治元年の生まれ、先代兼吉さんのもとで今戸の土人形作りを修業され、作っていらっしゃったが、明治の終わりに新しい玩具によって今戸人形の需要が減り、土人形作りを中断。箱庭細工の製作に転じていらっしゃったのでしたが、関東大震災で被災。その後今戸の街の復興の際、人形作りを中断された折に敷地内に埋めておいた型が再び掘りだされたのを機会に、多くの江戸趣味、郷土玩具趣味の人々の需めに応じて、往時のやり方で今戸人形を再興されたのでした。昭和19年に他界されました。

尾張屋・金澤家は今戸神社(旧今戸八幡)に残る云型の狛犬基壇に刻まれている「金澤喜太郎」を初代とする今戸焼の旧家のひとつで、春吉翁で6代を数えました。

その人形たちは流石に生粋の今戸人形師だけに、小さな人形であっても手慣れた面描、明治時代まで伝わっていた今戸人形の配色を正しく伝えたものであることが、現存の作品からわかります。最後の今戸人形師であると同時に最後の名工でした。

春吉翁のお人柄や製作風景を記録したという映像があった、という話が伝わっていますが、その後フィルムがどうなってしまったのか、消息がわかりません。

この葉書はその映画の宣伝のものかと思われ、「高野洋一氏作」「昭和12年第5回コンテスト入賞」とあります。差出人は人形玩具の研究家であった有坂与太郎氏。

春吉翁の土人形作りの様子を動く姿で見てみたいものです。今もどこかでフィルムが残っていることを祈り、何時の日か私たちの前で上映されることを願ってやみません。

 

 

 

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山田徳兵衛著 「人形百話」より

2010-04-24 18:40:47 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010333 東京浅草橋にある江戸から続く老舗人形問屋の吉徳さん。代々の当主は「山田徳兵衛」を名乗っておられます。

先代の山田徳兵衛さん はご家業の傍ら、古今東西の人形玩具の研究、人形文化の普及、人形を芸術文化のひとつの分野にまで引き上げられた事、人形を通しての世界の文化交流など、生涯をとおして人形玩具界にご尽力された方です。たくさんの著作も残されています。

その中でこの「人形百話」は昭和37年から38年にかけて東京新聞に100回に分けて連載された記事を一冊にまとめられた本です。肩の凝らない文章で、たのしく学ぶことのできる一冊です。

その連載6回目のテーマは、最後の今戸人形師であった尾張屋金澤春吉翁の思い出を綴られた内容で、とても楽しく、また春吉翁の一面を垣間見ることができます。現在、吉徳資料室長をされていらっしゃる 小林すみ江先生にお願いして、このブログへ全文引用させていただくお許しをいただきました。

⑥ 今戸の土人形                    37・1・13

 今はほとんど亡びたが、浅草の今戸は、江戸ー東京における土人2007_0101_000000p1010334形の総元締めのようになっていて、その土地で売るばかりでなく、江戸中の社寺に縁起の人形を供給していた。「伊勢屋、稲荷になんとやら」という文句のある通り、お稲荷様の多いのは江戸の名物だったから、今戸焼にはキツネにちなんだ意匠のものが特に多かった。

 今戸の土人形の最後の製作者であった尾張屋こと金沢春吉さんとは、私はとくに懇意にしていたが、江戸人とでもいった風格のあるおもしろい人物であった。大正の大震災にはおたがいに丸焼けになったが、しばらくして見舞いに行ってみると、隅田川の見える焼野が原にポツンと一軒、板囲いの家が見えたが、それが尾張屋の仮バラックであった。訪ねると、その家の中に琴が一面立てかけてあるではないか。私は見舞いの言葉を述べたあとで琴のある由来をきいてみた。尾張屋は「ようやく持ち出した娘の琴ですよ」という。私は、いままでちょっとも知らなかったが、この辺にいてお琴を習わせるとはゆかしいな、とほめたところ、「いやいや、三味線を習わせようと思ったんですが、三味線だとこちとらは芸者に売りたくなるといけないと思ってお琴にしたんでさあ」と笑って答えた

(原文では傍線部分は、、、、のルビが振ってあります。)

 2枚目の画像は文章に添えられている白黒写真。尾張屋春吉翁作の人形3点(左から おいらん、不知火(不知火諾右衛門)、鉄砲狐)です。原色を観ていただこうと、手元にある同じ型の人形3点を撮影してみました。P1010104