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東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

地口ゑ手本から②

2010-04-04 10:33:47 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

041 「今戸のあねさま」の実物です。「地口ゑ手本」の絵と同じ後ろ姿を撮ってみました。

お話しましたように、「裃雛」とか「ドガミシモ」とも呼ばれる男女一対の土人形の女雛のほうです。このような伝世の人形以外にも各地の近世遺跡から大量に出土しています。錦絵にも描かれていることが多く、それだけポピュラーだったことが偲ばれます。

この写真の人形の配色を見ますと、黄色はキハダを煮だした黄色い汁と蘇芳を煮だした赤紫色とを使い合わせて発色させています。

天保年間の人形・玩具の配色見本を見ますと、既に群青や朱色、丹色などの色が主流になっているので、それより古いやり方なのではないかと思います。天保以降から明治までの裃雛は裃やうちかけ部分を群青、着物部分を朱色、新洋紅、スカーレット染料で塗られた例が圧倒的に多くむしろこうした配色のほうが現代の人からのイメージに強いのではないかと思います。

不思議なのは、なぜ女雛ばかり単体で「あねさま」と呼ばれていたのか、男雛はどう呼ばれていたのか、ということです。裃雛についてはまたの機会に採り上げてみたいと思います。

裃雛前面の画像はこちら→

描かれた「地口ゑ手本」はこちら→

 

 

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地口ゑ手本から①

2010-04-03 07:24:05 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010253 ボロボロになった和綴じ本。初午の稲荷祭だとかお祭に掛ける「地口行灯」というものがあります。現代でいうところの駄洒落、とかボキャブラといった類の滑稽な言葉遊びを絵に仕立て、木枠に貼って飾るものです。必ず「元句」(もとになる言葉)があり、それをもじって滑稽な言葉にします。行灯に描かれた絵と言葉を観て、元句を思い出し、その脱線のしかたを楽しみます。

「地口ゑ手本」はそうした遊びが昔から流行っていた物証でもあるし、際物屋が描く地口絵(描いたものを商品として売り、買って木枠に貼って飾る。)の虎の巻であったことが興味深いと思います。

私の手元の「ゑ手本」ですが、表紙は「芳春画」とあり、中身の絵師は「龍斎 英一戯画」とはあるものの、版元や発行年についてのページが失われているので時代はわかりません。

その中の見開き、、、、

右ページ

「お手がなるなら銚子とさとれ」 (元句)

「後家が這うなら 養子とさとれ」

後家さんの姿の悩ましいこと、、!

元句は諺なのかよくわかりませんが、この手の言葉は音曲などに残っていますね。

「お手がなるから 銚子の替り目と 上がってみたれば お客が三人庄屋ポンポン(コンコン?) 狐拳」(清元 「申酉」 本外題「再茲歌舞伎轢」(またここにかぶきのはなだし)文政九年初演)というのがありますね。

左ページ

「じだい我等は都の生れ」 (元句)

「じだい あねさま 今戸の生れ

元句は長唄「風流 船揃」(安政3年初演)の一節のようです。「今戸のあねさま」というのは裃雛の女雛のことで伝世の人形はもとより、近世遺跡からの出土品の数も膨大で、今戸焼の人形のベストセラーのひとつだったと思われます。後ろに描かれている手あぶり火鉢もまた、今戸焼っぽいですね。

川柳「柳多留」に「村の嫁 今戸のでくで 雛まつり」というのが有名ですが、「今戸のでく」というのは「裃雛」のことを指しているのだと考えられます。

それにしても、この「ゑ手本」はていねいに元句まで説明して種あかししてますが、大抵は地口と絵だけで、自分で元句を考えることが遊びのひとつです。

絵と同じ構図の裃雛の後ろ姿の画像はこちら→

裃雛の画像はこちら→

 

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国芳と毬猫 その2

2010-02-21 21:00:04 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010236 以前入手した色の完全にとれてしまった今戸の毬猫が手元にあり、それを手本として型を起こしました。配色は先の国芳の錦絵を参考としましたが、よだれかけの部分は絵では朱色になっていますが、江戸時代に作られた伝世の座り猫などのパターンから、キハダを煮出した黄色を重ね塗りし、上から砂子を振りかけてみました。本家伏見の伝世品と配色はだいたい同じかと思いますが、毬部分は錦絵のように山型を描きました。伏見だと、まがい金泥で丸を描いているのがよくあります。塗る前にとても気になっていたことですが、普通の座り猫よりも尻尾が長いのです。そうすると、腿のところに置く墨のぶちと尻尾が重なってしまいます。伏見だと尻尾を虎のように黄色と墨の縞にしたり、平気に墨が重なっていたりしますが、錦絵をよく見ると、今戸では尻尾を避けて向かって右斜めにぶちを入れています。小さなことですが、改めて感心しながら真似してみました。


国芳と毬猫

2010-02-21 20:39:24 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

P1010067_2  人形の吉徳さんの資料室に有名な国芳の錦絵「江戸じまん 今戸のやきもの」が残されています。今戸焼を描いた錦絵はいろいろと存在しますが、風俗と人形をズームアップしたものとしては、屈指の作品だと思います。しかも描かれている人形の種類は実際に遺跡から出土したり、代々の作者によって作られ、伝世しているものがほとんどです。まさに今塗られているのは毬猫。この人形は伏見人形がルーツと思われ、各地の人形産地でコピーされているものが多いのですが、その今戸版は、近世遺跡からの出土例は多いものの、色のしっかり残っている人形をまだ見たことがありません。しかし、この国芳の表現から大方の配色がわかります。毬の部分に黄色地に朱で描かれた山型の二重線ですが、描く途中と考えたらよいか、それともこれだけなのか気になります。大抵、目玉は別として、ぶちなどの墨入れは一番最後にするのが無難ではないかと思うのですが、既にぶちを入れてから、他の色を置いているのは、絵としての絵空事なのでしょうか?猫の他にも鳩?や頭巾被り(庄屋)、三方狐、鉄砲狐らしきものも見え、実際に当時

作られていたと考えてよいと思います。


はじめてのブログです。

2010-02-21 01:42:19 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010015 PCにもまだ不慣れな人間ですが、HPで書ききれないことなど記していきたいと思います。どうぞよろしくおねがいいたします。

画像は羽織狐。はじめて作った人形第1号です。最後の今戸人形師といわれた尾張屋春吉翁(明治元年~昭和19年)作の人形を手本として作ったものです。今戸ではその昔たくさんの人形製作者がいたということです。人形を専業とした家、日用雑器等製作の傍ら人形も作ったという家もあり、その種類はどのくらいあったのか数えきれません。戦後は今戸での窯業の元締め的存在であった3軒の白井家の中で唯一今戸に留まって焼きもの作りを続けられている白井孝一氏が趣味家の需めに応じて、尾張屋さんの人形から型取りされた型で人形を作り現在に至っています。戦後も60年余り、一家で続けてこられたからこそ今でも今戸焼の灯は消えずにいるのです。 関東大震災や東京大空襲、水害等により何度も今戸焼の生産者はら罹災を受けており、その都度、今戸を離れて墨田、葛飾区へ移住し生産を続けていらっしゃった方もたくさんいました。上記の元締め的存在であった白井本家である白井善次郎家も葛飾区内に移って生産されていましたし、もうひとつの白井家である白井半七家は大震災のあと関西へ移住されて茶陶の製作をされました。 現在今戸の白井さんで製作されてる人形の種類以外にも、たくさんの人形が作られていました。また同じ型であっても違う配色の人形がありました。そうしたものを再現してみたいと思ったのが、私の土いじりの動機です。