ここは小学生の頃よく遠征していたところ。小学校の友達の間では「赤土山」の名前で通っていました。でも「八幡山」という人もいました。
公にはてっぺんに「若宮八幡神社」という祠がお祀りされているので「八幡山」でしょうか。祠のそばに大きな銀杏の木があるのは、昔ながらです。
昔に比べると木が鬱蒼とした気がします。以前はもっと禿げ山のようだったような、、。赤土の上を段ボールを敷いて滑って遊びました。山の裏側もすっかり木陰となって遊歩道までできています。子 供の頃この辺りにいくつも防空壕が残っていて、そこいらに怪しげな雑誌が散乱していたのを思いだします。
そういえば、当時あけびの蔓が茂っていて、春に若芽を摘んでおひたしにして三杯酢で食べました。
私の小学校の学区域だと「八幡山」といえば、ここなのですが、隣の赤羽小学校の学区域になると、赤羽の八幡神社を指しているんです。
梅雨が明けた、との知らせ。晴々とした、という気持ちはありますが、この暑さ。土いじりも手につかず、どこかへ行きたい、と思っても、電車もどこも混んでいるような気がして、体の調子の悪い身の上では、出かける決心もつきません。
ママチャリで外へ出てみました。ここは北区豊島の隅田川の畔。下流から上流を撮ってみました。対岸は足立区新田。遠くに見える清掃工場の真下あたりが私の土いじりの仕事場がある辺り。
豊島や新田あたりの街並みを眺めてきたのですが、商店街も日曜日とあって閉まっているし、ガラーンとして歩く人も見えない。 この暑さとガラーンとした雰囲気で、自然とジャニス ジョップリンのあの歌が聞こえてくるようでした。けだるい午後、、、。
先日、赤羽西の自然観察園へ久しぶりに行った折、真菰(まこも)が干してあり、近々七夕馬作りの教室があることを知りました。教室を見学に行くことはできなかったのですが、飾りを観に行ってきました。
巨大な精霊馬です。正しくは馬と牛なんでしょうが、、。ここの民家は浮間から移築したもの。そしてこの精霊馬も浮間の作り方のようです。東京といってもこの辺りは昔は北豊島郡だったそうですからローカルなところだったわけですね。
七夕とお盆は一連の行事だったようですね。お供えにそうめんがあるところなど、その名残でしょう。
お盆になると、スーパーなどで、今でも小さな精霊馬セットを売り出しますが、農家の手製のものは、こんなに大きいんですね。
東京でも中心部だと、昔は草市というのがあって、人形町の草市は有名だったようです。今から20年くらい前、人形町の花屋さんで、スーパーのとは違う、とても姿のよい精霊馬を売っていたのを思い出します。
6月30日と7月1日。富士開きで富士祭。各地に富士塚がありますが、東京で有名なのは、駒込と浅草、入谷の小野照崎神社、西武池袋線江古田駅前の浅間神社ほか、まだたくさんあると思います。
うちの近所の十条のお富士さんも有名なほうだと思います。中でも一番姿の美しいのは小野照崎神社の富士塚だと思いますし、駒込のお富士さんはさすがにスケールが大きいです。
しかし、ここ十条のお富士さんも人出はかなりだと思います。富士祭といえば授与される「麦わら蛇」。「江戸二色」などにも描かれていますが、古くは「神竜」といったようです。これを求めて、飲み水の水回りのところにお祀りすると、夏場水当たりしないといわれていたとか、、。
駒込の「麦わら蛇」が一番古いようですが、浅草の「麦わら蛇」は駒込とは違ったデザインで、年賀切手にも採り上げられたのでも有名でしたが、私が知ってからは、浅草では授与されなくなってしまったと思います。駒込型の「麦わら蛇」は、駒込の他、ここ十条と小野照崎神社で授与されていますが、他でも授与しているのか、、、ご存じの方お教えください。
駒込だと「麦わら蛇」といっしょに「麦の落雁」のような打ち菓子を授与していたと思います。
普段はひっそりとしているお富士さん通りも人混みで見動きできないほどです。
目的は、大好きなみそはぎの群生がどうなっているか観るため、、。残念ながら、ありませんでした。というより、今まで咲いていたはずの木道沿いの水面が、柳の木が高く茂りすぎて日陰になってしまい、育っていないためです。みそはぎの株はしっかり確認できたのですが、、。そのかわりもじずりが田圃の畔に点在していました。みそはぎも畔に移植しておけばいいのに、と思いました。
ここも開園してからどのくらいになりますかね。日陰が多くなりました。
浮間から移築した民家の軒先には、刈り取ったマコモ?が並べて干してありました。近くに浮間の精霊馬(お盆に使う藁馬)作りの体験学習があるようなので、その仕込みなのかもしれませんね。
赤羽公園や志茂町公園に夜行くと、蛙の声が聞こえてくるのですが、ここの田圃ではどうでしょう?一度夜に来てみたい(園内へは入れませんが)と思います。蛙の大合唱、、憧れますね。