島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

春の垂木台地

2013-03-17 14:36:34 | 植物
お昼から雨が降り始めた垂木台地です。
朝、雨が降る前に園内を巡回してきて、色々な植物を撮影してきました。

ちょっと前から園内のアオモジも咲き始め、丁度見頃を迎えています。
写真は展望台にあるアオモジをなんとか背景に平成新山を入れようと撮影したものです。

園内のヒサカキがようやく咲き始めました。
花が小さくて、蕾なんだか開いているんだか判断に苦労しました。
キランソウの開花も今日確認しました。

最後にツクシです。
あとは、フデリンドウを見つけなければ。
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キブシ

2013-03-16 14:23:00 | 植物

山歩きに出掛けました。
とある場所に行くための道を探しに出掛けたのですが、結果的に目的地には着けず、迷子のように山の中を彷徨っただけでした。
その時に見つけた「キブシ」です。
漢字で「木五倍子」と書きます。
読み数と文字数が合致しません。(“五倍”で“ブ”?)
山野の日当たりの良い林縁や谷沿いの斜面に多いキブシ科の落葉低木です。
ソメイヨシノのように葉に先駆けて花が咲きます。
花期は3~4月、早春を告げる代表的な樹木で、写真のように淡い黄色の花を枝から垂れ下げて咲かせます。
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文化財ジオツアー3

2013-03-15 15:19:43 | イベント
昨日までの強風が嘘のように今日は静まり返っています。
日差しが暖かい垂木台地です。
さて、長かった文化財ジオツアーの報告も今回で最後です。

昨日の続き、江東寺から始まります。
先生が指しておられるのは、江東寺の山門です。
ですが、この門を一旦解体して綺麗して建て直す際に出てきた記録によると、島原城の門だったことが分かりました。
島原城は明治7年の廃城令により民間に払い下げられています。
小浜にある歴史民俗資料館の門がそれであることは有名ですが、この山門も元は島原城の一部だったとは知りませんでした。

アーケードの中に入っていき、島原市指定の史跡「宝篋印塔型流死供養塔」を訪れました。
ここは昨年(2012年)2月17日にアップしています。

さらにアーケード内を進んでいき、元エレナ一番街店があった場所に着きました。
ここは「別当中村家跡」として知られており、かの坂本龍馬が長崎に向かう途中に立ち寄ったとされています。
また伊能忠敬が島原の測量を行う時に宿泊したとの記録もあります。
当日はまだ「島原城下ひなめぐり」が開催されていました。
アーケードを突き抜けて、ゆとろぎの湯へ到着、観察会を終了しました。
知らないことがてんこ盛りの内容でした。w
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文化財ジオツアー2

2013-03-14 13:15:57 | イベント
話がぶつ切りになっちゃってますが、ついてこれるでしょうか?
島原カトリック教会を見学して、裏にある通りへ脱けました。

急に古民家が建ち並ぶ通りに出ましたが、こちらが昔は大通りだった旧島原街道です。
こちらに並んでいる古民家には共通の特徴がありまして、写真に写っていない右側に玄関があるのですが、その玄関にはお正月でもないのに注連縄が飾ってあります。
そして、今先生が指している裏口には、入ってすぐに仏間があるそうです。
おかしいですよね?通りに面した場所に仏間を配置するなんて。
これはどちらも「家はキリスト教ではないですよ」ということを意味しているらしいのです。
島原の古くからの民家には一年中注連縄を飾っている所がありますが、由来ははっきりせず、そういった意味もあるのではないかとの説です。
いかにキリスト教の弾圧が厳しかったかがうかがわれます。

さて、旧島原街道から江東寺へ移動しました。
写真は、史跡「松倉豊後守重政の墓」です。
2009年11月7日の記事で紹介済みです。
ここ江東寺には超有名な「涅槃像」がありますが、私たちが注目したのはこちら!

その涅槃像の向かいにある「ソテツ」です。
このソテツには由来があり、島原の乱の際に原城で天草四郎が愛でていたと伝えられるソテツを福岡藩や直方藩から出陣していた将兵が戦勝記念に持ち帰ったとされています。
そのソテツは福岡県の岡湊神社境内で大きく育ち、福岡県の天然記念物に指定されています。
そこから株分けされ、原城跡と島原の乱で戦死した板倉重昌の墓がある江東寺に植えられました。
植物なのに大移動を繰り返す珍しいソテツです。
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フサアカシアと平成新山13

2013-03-13 11:52:16 | Weblog
今日のたるき台地は、えらい荒れようです。
雨はふったりやんだりを繰り返し、かなり強い風が吹き荒れています。
この前の春の嵐に続く、第2弾ですかね。
さて、まゆやまロード沿いのフサアカシアが見頃を迎えています。
先日、天気の良い日に撮影しておいて良かった。w
左奥に薄ぼんやりと見えるのは、平成新山です。
昨年が3月30日の「更新再開」の記事でアップしているように、かなり開花が遅かったのですが、今年は例年並ってところでしょうか。
他にもアオモジや、スミレ、ホトケノザなど春の植物が開花を始めています。
クサイチゴも白い花を咲かせ始めていました。
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マグダレナ林田

2013-03-10 13:07:23 | 人物
島原カトリック教会からもう一人。
イグナチオと扉を挟んで、右側にある像です。
内堀兄弟より遡ること14年、1613年に有馬川の中洲で8人の信者が火あぶりにより殉教しました。
その8人の中の一人が、像のマグダレナ林田です。
マグダレナが火あぶりにされている時、縛っていた綱が焼き切れました。
普通だったら一目散に火の中から逃げだすところでしょうが、マグダレナは自分を焼いている足元の薪を手に取り、頭上へ捧げて「神よ この火を祝福してください。」と祈りながら殉教したそうです。
像はその時のポーズを表しています。
ちなみにマグダレナは、この時19歳でした。
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眉山登山会50

2013-03-09 15:56:42 | 眉山
記念すべき?50回目の眉山登山会を開催しました。
開催前にとんでもないハプニングが私を襲ったのですが、それはまた機会がありましたらお話致します。
さて、かなり暖かい日が続いている島原ですが、昨日からの黄砂の影響で視界があまり利きません。
折角、山頂まで登っても平成新山の輪郭や焼山が見える程度で、島原市街地すら薄ぼんやりとしか見えませんでした。
本来なら山頂からの景色で「うわー」と言わせる所なのですが、残念です。
植物も春の植物には早かったらしく、ヤブツバキの花やアカガシのドングリ、かろうじて残っていたアオキの実を紹介しました。
まあ、なにはともあれ、3週連続イベント週間も今年度のイベントも全部終了しました。
あとは年度末の報告書を作って、早めに来年度のイベントを考えなければいけません。
終わっても、終わらないな~。
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内堀兄弟

2013-03-08 13:21:31 | 人物
1627年、島原藩主松倉重政のキリシタン弾圧により、16人のキリシタンに棄教を迫る拷問を加えました。
その16人の中に、島原地区の世話役パウロ内堀作右衛門の3人の息子がいました。
バルタザルと18歳のアントニオ、そして5歳のイグナチオです。
「キリスト信者は人間ではない、だから指は10本もいらないだろう」との理由から親指と小指をのぞく三本の指が両手から切り落とされました。
その後16人は裸にされて真冬の有明海に次々と投げ込まれました。
そして、死にそうになると引き上げられを何度も何度も繰り返し、棄教を迫られました。
「お父さん、こんな大きな恵みを神に感謝しましょう。」
これは次男アントニオが海の中から父に告げた信仰告白として記録されています。
父作右衛門もその一週間後に雲仙で殉教しています。
教会の扉の左には、そのイグナチオの像がありました。
よく見ていただくと三本の指がないことが分かると思います。

「島原の乱」や「キリシタン弾圧」は言葉として知ってはいても、こんなに酷い、そして私たちが普通に暮らしてる場所のすぐ近くで起こっていたとは、まったく知りませんでした。
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文化財ジオツアー1(島原カトリック教会)

2013-03-07 13:29:31 | イベント
時を遡りまして、やっと文化財ジオツアーの報告を致します。
まずはセンターの研修室にて事前学習です。
当日めぐるルートの確認と、古地図と照らし合わせて現在と島原大変前の地形の違いを頭に入れました。
バスで移動し、耳洗亭にて下車、白土湖へ向かいました。

白土湖のジオサイト看板にて島原の湧水について学びました。
それから写真の奥に写っています「島原カトリック教会」を見学しました。

写真はその数日後に改めて訪問して撮影しました。(太陽の光の角度が違います。)
あるのは知っていましたが、信者でもない私たちが立ち入ってはいけないものだと思っていたので、初めて敷地内に入りました。

敷地内には何体かの銅像が建っていました。
写真は、遣欧少年使節の四人のうちの一人、「中浦ジュリアン」です。
中浦ジュリアンについては、西海市に中浦ジュリアン公園があるらしいので、そこを訪れた時に改めて記します。
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教えてもらった 清水川

2013-03-06 13:23:24 | 歴史・史跡
2月13日の記事でアップした清水川ですが、文章の最後に平成町に移設されたことを書きました。
移設された場所が分からないことを知り合い数人に聞いていました。
その中の数人が探しに行ってきたらしく、場所を教えてもらいました。
場所は雲仙岳災害記念館(通称;がまだすドーム)の敷地内でした。
何度も災害記念館には行っているけど、そんなのあったっけ? 記憶にありません。
実際に聞いた場所に行ってみました。
(表紙の写真)
あるじゃん。
全然気付かなかった。
しかも割りとちゃんとした解説板も設置してあります。
時々イベントの講師をお願いする長井さんに聞いてみると、昔は水も流れていたそうです。
さらに意外なことに記念館のパンフレットにもしっかりと記載されていました。
「灯台下暗し」とはまさにこのことです。
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