陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

お休みのお知らせ

2007-03-17 20:44:43 | weblog
インフルエンザに罹りました。
良くなるまで休みます。
「ポールの場合」楽しみにしてくださってるかた、しばらくお待ちくださいね。
ということで、それじゃ、まだ。

趣味の話

2007-03-16 22:33:43 | weblog
以前、知り合いのお医者さんが弾くピアノを聴いたことがある。

自分が習いに行っていて、定期的に発表会があるような人だったら、あるいはほかの楽器でも、バンドを組んでいるような人だったらまた別なのだろうけれど、そうでなければなかなかアマチュアの演奏というのは聴く機会はない。

わたしも駅前でお兄ちゃんがバリランバリランと単純なコードをかき鳴らしているのが耳に入ってくるぐらいで、聴くのはいつもプロの演奏ばかりだった。

だから聴いてしばらくは、どうしても違和感があった。
音楽を聴くときはたいていひとつのフレーズを聴きながら、つぎのフレーズを予測し、待ちかまえてしまうものだ。それが予想している音とぴたりぴたりと重なれば、心地よく聴くことができる。予想を上回る音が聞こえてくると、びっくりしたり、おおっ、と興奮してしまったりする。
ところがわたしの内側にある「予想」というのは、たいていそれまでにCDなどで聴いて蓄積された音の記憶がもとになっているわけだから、どうしても期待するのはプロの演奏家の音なのだ。だからしばらくは、その人の演奏を聴いていても、予測する音と耳に入ってくる音がずれている感じ、思ったところに来ない感じは続いた。

ところが曲も半分を過ぎると、その演奏にも慣れてくる。
その人は高校までレッスンに通っていて、コンクールで優勝したら、音楽の道に進もうとまで考えていた人だから、もちろん基礎的な訓練をかなり積んでいた、ということもあるだろう。音の隅々までゆるがせにしない端正な演奏であることがわかった。たとえそれがわたしがふだん聴いているような音ではないにしても、わたしはそれを聴いて十分楽しめたし、なによりもいいものを聴かせてもらった、という気持ちになったのだった。

つまり、その人の演奏というのは、たとえ多くの時間と労力を割くことができないにしても、音楽をいつくしみ、長い年月をかけてピアノを弾くことを大切に考えてきた、そんなものだったのだ。

以前、「卒業の風景」でもちょっと書いた校長先生からこんな話を聞いたことがある。

あるときその先生の友だちが、ピアノを始めた、という。だから先生は、ベートーヴェンのソナタをなにか弾いてくれ、と頼んだ。すると、その友だちは、とんでもない、自分のピアノは趣味だから、気に入った曲の一部をちょっと弾くとか、映画音楽なんかの簡単なアレンジが弾けるとか、そんなものだ、と答えた。
それに対して、校長先生は、そんなピアノだったらやめてしまえ、と言った。

それがいったいどういう話の脈絡だったのか、それに続きがあったのか、まったく記憶はないのだけれど、わたしはそのときほんとうにそうだなあ、と思ったのだ。以来、わたしが「趣味」ということを考えるとき、根底にあるのは、この「そんなピアノだったらやめてしまえ」になってしまった。

これは正しいか、正しくないか、という問題ではないのだ。
その人が「趣味」というものをどういうふうにとらえ、自分の生活に織りこんでいくか、ということだから、この校長先生とはちがう考えの人もたくさんいると思う。

趣味だから、そんなに堅苦しく考えないで、もっと楽しめればいい、というふうに。
あるいは、そんな余分なものに、そこまでの労力と時間など、割く必要はない、という考え方だってあるだろう。

それでも、わたしたちはどうしたって好きなものときらいなものはあるし、好きなものに対しては、もっと近づきたい、深く知りたい、自分のものにしたい、と思うようになる。趣味というのがそういう気持ちから生まれてくるものであるとすると、何かを始めて、もっとうまくなりたい、と願うのは、当たり前のことなのだ。それを、あらかじめ自分から制限を加えていこうとする気持ちの働きというのは、わたしにはよくわからない。

もちろん誰もがそれを職業にできるところまで行けるわけではない。
昔からNHKの講座には「趣味の園芸」というのがあって、TV番組そのものは見たことがないけれど、いつもおもしろいタイトルだな、と思ってきたのだ。だって、「趣味の~」とわざわざ断ってあるのは、その番組ぐらいだもの。
それでも、たとえ趣味であろうがなんだろうが、花は丹精して育ててやれば、きれいな花を咲かせることができる。趣味だから、といって、水やりをさぼれば、枯れてしまう。
花を育てることにおいて、「趣味」であるか「プロ」であるか、というのは、何ら変わるものではないだろう(コストパフォーマンスなどの面では大きな違いがあるだろうけれど)。

最終的に、どこまでいけるか、が問題なのではない。
その人が、自分がすきなことに何を見出すことができて、どんなふうに関わっていけるか、年月をともにしていくことができるか、なのだ。

時間をかけて、それとの関係をゆっくりと深めていくこと。
そのためには献身だって、地味で退屈な作業だって必要だし、さぼりたくなる心に鞭打つことも必要だ。
「趣味」を「趣味」として成り立たせるためには、「趣味だから」という言い訳は通用しないのではないだろうか。

ウィラ・キャザー 「ポールの場合」最終回

2007-03-15 22:36:54 | 翻訳
「ポールの場合」その10.

 翌朝ポールは、ズキズキと痛む頭と脚のために目を覚ました。服も脱がずにベッドに倒れこみ、靴もはいたまま寝入ってしまったのだった。脚も腕も手首から先までもが鉛のように重く、舌も喉もからからで灼けつくようだ。肉体が疲れ果て、神経の糸が切れたようなときにだけ、発作的に頭が冴え返るようなことが起こるのだが、いまもそのような状態になっていた。静かに横になって目を閉じ、さまざまなことどもが潮流となって自分を洗うにまかせた。

 父親がニューヨークにいる。「どこかしけたところに泊まってるんだ」とひとりごとを言った。玄関前の階段で過ごした何年もの夏の記憶が、黒い水となって、押しつぶそうとでもするかのように、のしかかってきた。もう百ドルも残ってない。いまになってあらためて金がすべてであり、金こそが自分が望むものを憎むものことごとくから隔ててくれる壁でああったことを理解した。終わりが近づきつつある。ニューヨークに着いた最初の輝かしい日から、そのことは考えていたし、始末をつける方法さえ用意していた。いまはサイドテーブルの上にある。昨夜、夕食を終えて朦朧とした状態で戻ってきて、取りだしておいたのだ。だが、金属の表面がチカチカと反射して目に痛かったし、その形状も好きになれなかった。

 痛みをこらえながら立ち上がり、ときおり襲ってくる吐き気をこらえながら、ごそごそと動いた。あのおなじみの憂鬱が何千倍にもなったかのようだ。世界中がコーデリア街になってしまっていた。だが、どういうわけかもはや何も怖いものがなく、心はひどく穏やかだった。おそらく、あの暗い片隅をのぞきこみ、ついにその正体を突きとめたからなのだろう。そこで見つけたものはまったくひどいものだったけれど、にもかかわらず、これまでずっと怖れていたほどにはおぞましくはなかったのである。いまではなにもかもがはっきりしていた。自分はうまくやってのけたのだ、生きるに足る人生を生きたのだ、と感じながら、半時間ほども拳銃をじっと見つめていた。やがて、これはちがう、と独り言を言いながら、階段を下り、馬車に乗って船着き場へ向かった。

 ニューアークに着いたポールは、汽車を降りてからまた馬車に乗って、ペンシルヴァニア線沿いに走って街を出るように言った。道路には雪が深く積もり、広々とした野原にも、深い雪だまりができている。そこかしこに枯れ草や干からびた雑草の茎が、奇妙なほど黒々と、雪の上に突きだしていた。すいぶんひなびた場所に入りこんでから、ポールは馬車を帰し、線路沿いに苦労しながら歩いていった。さまざまなことが、てんでんばらばらに頭に浮かんでは消えていく。その日の朝に見たなにもかもが、実際の絵のように、脳裏につなぎとめておこうとするかのように。二台の馬車それぞれの御者も、コートに挿している赤いカーネーションを買った歯の抜けたおばあさんも、切符を買った駅員も、フェリーに一緒に乗り合わせた客のひとりひとりも、細かな表情までも、しっかりと記憶にあった。目前に迫る死活的な問題に立ち向かうことのできない彼の心は、一心不乱になってこうした人々のおもかげを、みごとな手際で選り分け、まとめていたのだった。ポールにとってそうした人びとは、世界の醜悪な側に属するもの、自分の頭を苦しめ、舌を灼く苦々しさの一部だった。かがんでひとにぎりの雪をすくうと、歩きながら口に入れたが、それさえも熱をもっているようだ。やがて小高くなっている場所にたどりつく。そこでは足下の先六メートルほどのところを線路が走っていたので、そこに立ち止まって腰をおろすことにした。

 コートに挿していたカーネーションが、冷気でだらりと垂れているのに気がついた。花の輝かくばかりの赤さは失せていた。最初の夜に見たガラスケースに入った花もみな、おそらくはずっと前に同じ運命をたどったにちがいない。あれも花にとっては、ほんの呼吸ひとつぶんの華やかな期間だったのだ、たとえガラスの外の冬をものともせず、けんめいに咲いてみせたとしても。世間にあふれる退屈なお説教に反逆を企てると、結局はゲームに負けてしまうのだ。ポールはカーネーションを一本そっと抜き取ると、雪のなかに小さな穴を掘って、そこに埋めてやった。体が弱ってきたのか、寒さもあまり感じなくなっていたために、しばらくまどろんだのだった。

 近づいてくる列車のとどろきに目が覚めた。驚いて立ち上がると、決心だけを思いだし、自分が遅れたのではないか、と怖れた。立ったまま、歯をがちがちいわせ、恐ろしさに唇を引きつらせて笑ったような顔になって、間近に迫る汽車を立ったまま見つめた。誰か見ている者がいるとでもいうように、一、二度、神経質そうに左右に目をやった。さあ、いまだ、と飛んだ。落ちながら、馬鹿なことをしている、自分は早まったのだ、という考えが、無慈悲なほど鮮明に理解された。自分はどれほど多くのことをしのこしてしまったんだろう。これまでに見たこともないほど鮮やかな情景が、脳裏をよぎっていく。アドリア海の青い海原も、アルジェリア砂漠の黄色い砂も。

 何かが胸に当たったような気がした。彼の体は吹っ飛んでいく。弛緩した手足のまま、どんどん遠くへ、はかりしれないほどの速さで遠くのほうへ。そこで映像を作り出すメカニズムが壊れたので、平安を妨げるいくつもの情景が、急に暗闇に転じる。ポールは万物の構造の根源へと落ちていった。


The End


(※後日手を入れたのちにサイトにアップします。お楽しみに)

ウィラ・キャザー 「ポールの場合」その9.

2007-03-14 22:19:44 | 翻訳
「ポールの場合」その9.

 日曜日の朝、ニューヨークは雪にすっぽりと閉じこめられてしまった。遅い朝食を取ってから、ポールは午後になってふとしたことからイェール大の一年生、サンフランシスコ出身の不良青年と知り合った。日曜日、「ちょっとした冒険」をするためにやってきたのだという。ニューヨークの夜の世界を案内してやるよ、とポールに言い、ふたりは夕食がすむと、翌朝七時まで、ホテルには戻って来なかった。うち解け、友好的にシャンペンを酌み交わすところから始まった友情も、エレヴェーターで別れるころにはひどく冷え冷えとしたものになっていたのだった。イェール大生は、気分を一新して電車に乗りこんだが、ポールのほうはベッドに倒れこんだ。目が覚めたのは昼の二時で、ひどく喉が渇いて、眩暈もしたので、電話をかけて、氷水とコーヒー、それにピッツバーグの新聞を頼んだ。

 ホテル関係者から見ても、ポールの様子には怪しいところはなかった。それが略奪品であっても、威厳を持って着こなしており、人の注意を引くようなところなど微塵もない。ワインに酔うことはあっても、馬鹿騒ぎとは無縁で、奇術師が手品を繰りだすステッキを見つけたのとどれほども変わらなかった。ポールの貪欲さは、もっぱら耳と目に限られていて、多少いきすぎるところがあったにせよ、それが不快感を与えるようなものではなかった。最大の楽しみは、居間に坐って灰色の冬の日のたそがれを眺めることだった。自分の花や、自分の服、体を沈めるゆったりしたソファ、タバコ、そうして力の感覚を、静かに楽しんだのである。自分自身とこれほどまでに穏やかな気持ちで向き合ったことなど、これまでになかったように思う。つまらない嘘を吐く必要から解放されたのだ。来る日も来る日も嘘ばかり吐いてきたのに。それだけでも、自尊心を取りもどすことができるのだった。たとえ学校であっても、嘘を吐いて楽しかったことなど一度もなかった。自分が認められ、尊敬され、コーデリア街のほかの連中とはちがっていると主張するために吐いてきた嘘だった。自分がずいぶん男らしく、誠実な人間になったように感じ、友人の役者たちがよく口にしていたように、「役を身にまとう」ことができるようになったいまでは、大きな口を叩く必要も、気取る必要もなかったのである。きわだったことに、後悔の念がまったく起こらなかった。一点の曇りもなく黄金の日々が続き、ポールもまた最善を尽くしたのだった。

 ニューヨークにやって来てから八日目、ポールはピッツバーグの地方紙に、事件の全貌が書き立てられているのを見つけた。地元ではセンセーショナルなニュースが枯渇していた時期だったらしく、詳細に報じられている。デニー・アンド・カーソン商会では、少年の父親が横領された全額を弁済したために、告発するつもりがないことを言明していた。カンバーランド長老教会の牧師は、インタビューに答えて、この母親のいない子供にも更正の余地は残っている、といい、日曜学校の教師も、そのためにわたしも努力を惜しむつもりはありません、と答えている。ニューヨークのホテルでその少年を目撃したという噂は、ピッツバーグまで届いているようだった。

 ちょうどポールは夕食のための着換えに、部屋に戻ったときのことだった。膝の力が抜けて、がっくりと椅子にくずおれ、両手で頭を抱えた。刑務所に行くのより、なおのこと悪いじゃないか。あのコーデリア街のぬるま湯が、とうとう、そうして未来永劫、自分を閉じこめてしまうのだ。灰色の単調な生活が、何の望みもなく、救われることもない歳月が続いていく。日曜学校、青年会の集い、黄色い壁紙の部屋、湿った布巾、なにもかもが胸がむかつくほど克明に浮かびあがってきた。オーケストラが突然中断した感じ、劇が終わってしまった、という、気持ちが沈んでいく感じが襲ってくる。顔には汗が吹きだした。弾かれたように立ち上がると、真っ青になった顔で、鏡に向かってウィンクした。勉強もしないで教室に入っていくときのように、奇跡が起こるに違いない、という、昔ながらの子供っぽい信念を抱きながら、服を着替えて口笛を吹きながら、エレヴェーターに向かって廊下を進んでいったのだった。

 ダイニングルームに入って、音楽が聞こえてくると、この瞬間を味わい、気持ちを高めていき、満足を見出そうとする、本来の快活な能力がよみがえってきて、気分は明るくなってきた。彼を取り巻いている、まばゆく輝くけれども舞台装置でしかない飾りが、ふたたび、そうして最後に、本来の力を発揮した。自分自身に勇気があるところを見せてやらなくちゃ。立派にやり遂げてみせる。これまでになかったほど、コーデリア街の存在が疑わしいものに思えてきた。そうして初めて、あとさきのことを考えず、酒をあおった。結局、ぼくはここにいる幸せな人々のひとりとして、高貴に生まれついたのではなかったのか。いまこそほんらいの自分、そうして本来の自分の場所にいるのではないのか。音楽にあわせて神経質そうに指でテーブルを叩きながら、あたりを見まわして、自分がやったことは十分に報いられたのだ、と、何度も何度も自分に言い聞かせるのだった。

 うねる音楽とワインのひんやりとした甘さに朦朧としながら、自分はもっとうまく立ち回れたのではなかったのか、と振り返る。外国行きの汽船に乗って、いまごろ、連中の手の届かない場所に行ってしまうこともできたのだ。だが、海の向こうの世界はあまりに遠く、あまりに覚束なかったのだ。そんなことを待ってなどいられなかった。彼が求めていたのは、もっとせっぱ詰まったものだったのだ。もし同じことを最初からもういちどやったとしても、明日も同じことをするだろう。ポールは柔らかな霧の向こうに輝いているダイニングルームを、愛惜の思いをこめて見渡した。ああ、ほんとうに、確かに報いられた!

(明日最終回)

ウィラ・キャザー 「ポールの場合」その8.

2007-03-13 22:51:08 | 翻訳
「ポールの場合」その8.

 とはいえ、むすっとした顔で仕事に縛りつけられていたのは、たった一日前のことでしかなかった。昨日の午後、いつもどおりにポールは、デニー・アンド・カーソン商会の預金を持って銀行に行ったのだ――だが、そのときは精算のために、通帳を預けておくように指示された。小切手が全部で二千ドル以上、加えて紙幣で千ドル近くあったが、彼はそれを通帳から抜き取ると、自分のポケットに移したのである。銀行は新しい入金伝票を発行してくれた。気分はちっとも動揺していなかったので、そのまま事務所に戻って自分の仕事を片づけてから、いかにももっともらしい理由と一緒に、土曜日の明日、まる一日休ませてほしい、と申し出た。通帳が月曜か火曜まで戻ってこないことはよくわかっていたし、父親は来週一杯、出張が決まっていた。ポケットに札を滑りこませたときから、ニューヨーク行きの汽車に乗るまで、ほんの一瞬の躊躇もすることがなかった。危険水域に足を踏み入れたのは、なにもこれが初めてのことではなかったのだ。

 なにもかもがあきれるほど簡単だった。ことは完了し、自分はここにいる。もはや目を覚ます人間もいないし、階段のてっぺんに立つ姿もない。窓の外、渦を巻きながら舞う粉雪を眺めていたが、そのうちに眠りこんでしまった。

 目を覚ましたときは午後の三時になっていた。ハッとして飛び起きる。貴重な日々のうちの半日が、すでに過ぎてしまった! 身支度するのに一時間をかけ、そのたびごとに洗面所の鏡に入念に映して、仕上がり具合を確かめた。何もかもが完璧だ。自分がこれまでずっとこうありたいと思っていた少年になったのである。

 階段を下りたポールは、馬車を頼んで五番街からセントラルパークへと向かった。雪はいくぶん弱まっている。馬車や商人の荷馬車がせわしげに、冬のたそがれのなかを音もなく行き交っていた。マフラーをまいた男の子たちが、シャベルで家の前の階段の雪かきをしている。五番街という舞台は、白一色の通りを背景に、華やかな色合いが浮かびあがっていた。街角のあちこちには屋台が立っていて、そこにはガラスケースに入った花園のように花が咲き乱れ、雪片も舞い降りる端から溶けていくのだった。スミレ、バラ、カーネーション、スズラン……雪のなかで不自然に咲く花は、それだけにいっそう美しく、心引かれる。セントラルパークもまた、冬景色として描かれた作品の舞台のように、すばらしいものだった。

 ホテルに戻ったときは、残っていた薄明かりもすっかり消え、通りの様子は一変していた。雪は激しさを増し、高層ホテル群から洩れる灯りは、大西洋から吹きつける荒々しい風をものともせず、嵐のなか、燦然と輝いていた。馬車は長く続く黒い影となって南へ向かう通りを進んでいき、そこかしこで東西方向へ向かう流れと交叉した。ホテルの入り口は多くの馬車が列を成し、ポールが乗った馬車もしばらく待たなければならなかった。おそろいの服を着たボーイたちが、歩道まで覆う天幕の下を走って出たり入ったり、入り口から歩道へ続く赤いヴェルヴェットの絨毯を、昇ったり下りたりしている。頭上も、周囲も、内部でも、そこかしこで車がガラガラ鳴る音やどよめきが聞こえ、ポールと同じように、楽しみを求めて急いだり、行き交ったりする大勢の人々がいた。彼の周囲のあらゆるものが、富が万能であることを紛れもなく肯定していたのだった。

 望みが叶った、という思いが発作のように襲ってきて、少年は歯を食いしばりながら胸を張った。あらゆる戯曲の筋書き、あらゆるロマンス小説、ありとあらゆる感覚中枢が、彼の周りを雪片のようにくるくる舞っていた。嵐のなかにかかげたたいまつのように、自分が燃え上がるのを感じた。

 ポールがディナーを取りに下りていくと、オーケストラの音楽がエレヴェーター・シャフトまで漂っていた。通路の人混みのなかに足を踏み入れたポールは眩暈がして、壁を背に置いてある椅子のひとつに腰をおろした。灯り、おしゃべり、香水、途方に暮れるような雑多な色の寄せ集め――、一瞬、とうてい自分には耐えられそうにないように思ったのだ。だが、その瞬間が過ぎると、これが自分にふさわしい人々なのだ、と言い聞かせた。廊下をゆっくりと歩いていく。書き物室、喫煙室、応接室を抜け、まるで自分だけのために建てられて、人々を住まわせている魔法の宮殿の部屋を探求しているように思った。

 ダイニング・ルームに入って、窓際の席に腰をおろした。花、白いリネン、さまざまな色のワイングラス、女たちのきらびやかな装い、コルクを抜く小さな、ぽん、という音、「美しき青きドナウ」を演奏するオーケストラの、波うつ繰りかえし、あらゆるものがポールの夢を、目がくらむほどの輝きで満たした。ばら色のシャンパンが注がれたとき――グラスのなかによく冷えた、高価な、泡立つ液体が――、ポールはこの世にいったい正直な人間などいるのだろうか、といぶかった。これこそ世界が求めているものではないのか。彼は考えたのだった。これをめぐってひとびとが争っているものではないのか。過去に現実だと思っていたものが疑わしかった。自分はあの、コーデリア街という街、疲れ切った顔の勤め人たちが、早朝の電車に乗っていく地域に住んでいたことがあるのだろうか。彼らは機械のリヴェットにすぎないじゃないか。吐き気を催させるような男たち、梳かしてやった子供の髪の毛がコートについているような、おまけに服には料理のにおいが染みついている。コーデリア街だなんて――ああ、あんなところは別の時代、別の世界の話だ。自分はいつだってこんなふうにして暮らしてきたのではなかったか。記憶にないほどの昔から、物思いに沈んできらきらひかる布を見やり、シャンペングラスの柄を、親指と中指にはさんで回しながら、いくつもの夜を過ごしてきたのでは。自分にはずっとそうだったようにしか思えなかった。

 当惑するようなこともなければ、孤独を感じることもなかった。このなかのだれかと交わりたい、知り合いになりたい、ということは、まったく感じなかった。ただ、観察し、想像し、野外劇を見守りたいという気持ちがあるだけだった。舞台装置こそが彼の望んだすべてだったのだ。のちの夜、メトロポリタン劇場の特別席に収まったときもそうだった。もはや神経質に疑うこともなければ、周りの者と自分が同じではないことを誇示したいという、脅迫的な思いもない。いま感じていたのは、彼を取り巻く人や物こそが、彼を説明してくれている、という感じだった。だれも高貴なものについて疑問を抱かない。ポールはただ、そのまま着ていさえすれば良かった。自分の盛装をちらりと見おろしさえすれば、自分のことを辱めることなどだれにもできはしないのだ、という確信を、ふたたび得ることができるのだった。

 その番、美しい居間を離れて、ベッドにはいるのが、名残惜しくてならなかったために、長いこと坐ったまま、張り出し窓の外の荒れ狂う嵐を見ていた。寝入ったときは、寝室の灯はつけっぱなしにしておいた。確かに幾分かは従来の憶病さゆえでもあったが、それよりはむしろ、夜中にふと目をさましたとき、黄色い壁紙やワシントンやカルヴィンの肖像画がベッドの頭上にあるのではないかという疑いが、ほんの一瞬でも生じる隙もないように、という理由からだったのだ。

(この項つづく)

ウィラ・キャザー 「ポールの場合」その7.

2007-03-12 22:54:21 | 翻訳
「ポールの場合」その7.

 ジャージー・シティ駅についたポールは、明らかに落ち着かないようすで、あたりを鋭い目で窺いながら、慌ただしく朝食をすませた。二十三番通り駅に着くと、辻馬車の御者に、紳士服店に連れて行ってくれるよう頼み、ちょうどその日に開店したばかりの店に向かった。そこで二時間以上かけて、買い物に熟考を重ねたのだった。外出用スーツを試着室で着こみ、フロックコートと盛装はリネンのシャツと一緒に馬車に載せた。それから帽子屋と靴屋に向かう。つぎの用件はティファニーで自分のために銀の指輪と新しいネクタイ・ピンを買うことだった。指輪に名前を入れてもらいたいのだが、その時間がないんだ、とポールは言った。最後にブロードウェイにあるトランクの店に寄り、それまでに自分が求めたものを、さまざまな旅行カバンに詰めさせたのだった。

 一時過ぎ、ウォルドーフホテルに着くと、御者に心付けを渡して受付に入っていった。ワシントンから来た、と記載する。ぼくの両親が帰国するんだ、だからその汽船の出迎えに来たんだよ。いかにももっともらしく説明したうえに、両親のぶんもあらかじめ払っておこう、と申し出たために、つづき部屋を取るのに何の面倒もなかった。寝室、リビング・ルーム、浴室の部屋である。

 一度どころではない、もう何百回も、ポールはニューヨークに行くことを計画してきた。チャーリー・エドワーズには、計画の隅々までくりかえし話していたし、家ではスクラップブックに何ページにも渡って、新聞の日曜版からニューヨークのホテルの記事を切り抜いて取っていたのだ。八階のリビング・ルームに案内されて、ポールは一目でなにもかもがこうあるべきと思っていたそのままであることを見て取った。だが、ただひとつ、些細なことではあったが、思い描いていたのとちがっている点があったので、ベルを鳴らしてボーイを呼んで、下から花を持ってこさせた。ボーイが戻るまで、落ちつかなげに動き回っては、リネンのシャツを片づけたりしたが、そうするあいだもリネンの手触りを楽しむのだった。花が届いたので、急いで水に挿し、こんどは自分が温かい湯に浸かった。やがて白い浴室から出てきたポールは、まばゆいばかりに新しいシルクの下着を身につけて、赤いガウンのふさをもてあそんでいた。窓の外では吹雪が渦巻いていたので、通りの向こうはほとんど見えなかったが、部屋のなかは心地よく暖かで、良い香りに包まれていた。ポールはスミレと水仙をソファの脇の小さなテーブルに置いて、自分の身はそのソファに沈めて明るいストライプ模様の毛布にしっかりくるまると、深々とため息をついた。全身がぐったり疲れていた。ずっと急いでいたし、緊張に耐えてきたのだ。ずっと緊張状態が続いたまま、この二十四時間で、事態は驚くほどの進展を見せていたので、彼自身、なにもかもがどうしてこういうことになったのか、なにもかも振り返ってみたくなったのだった。風の音、暖かな空気、花の心地よい香りに誘われて、ポールはもの憂げに、あれやこれやを思いだしていた。

 驚くほど簡単にことは進んだ。連中がポールを劇場とコンサートホールから閉めだして、彼の大切なものを奪ったときに、実際、あらゆることが決まっていたのだ。それから先は単に偶然の産物であったにすぎない。驚いたのは、自分にそんな勇気があった、という、ただ一点だった――というのも、不安が、恐怖の予感が、体をどんどんきつく締めつけてくるのをきわめてはっきりと感じていたのである。近年では、自分が周りの者たちに言いつづけてきた嘘の網の目が、体中の筋肉を、ぎゅうぎゅうと締め上げていたのだった。いままでに、ほんの一瞬たりとて、なにものをも怖れていなかったときなどなかったのをよく覚えていた。ほんの小さな子供だったときでさえ、恐怖は背後に、あるいは前方に、あるいはすぐ脇に、つきまとっていたのだ。かならず薄暗い隅があり、暗い場所があり、そこをあえて見ようとはしなくても、何ものかが自分をじっと監視しているのは知っていた――だから自分は見ても美しくないことをしたのだ、と。

 けれどもいまは奇妙な安心感があった。あたかもとうとうその隅の何ものかに戦いを挑みでもしたかのように。

(この項つづく)

ウィラ・キャザー 「ポールの場合」その6.

2007-03-11 22:11:04 | 翻訳
「ポールの場合」その6.

 教師たちのなかには、ポールの想像力が変にねじ曲がったのは、安っぽい小説を読んだせいだという説を主張する者もいたが、実際には小説などほとんど読んだこともなかった。家にある本といえば、青少年の精神を誘惑したり堕落させたりするような類のものではなかったし、友だちが、これを読んでみろよ、と熱心に勧めてくれるような小説を読んではみたものの、彼が求めているようなものは、音楽の方がはるかに速やかに与えてくれるのだった。オーケストラから手回しオルガンまで、どんな種類の音楽でも良かった。ほんの小さな火花、想像力が五感を支配できるように、言葉ではとうてい言い表せないようなゾクゾクした感じを与えてくれれば、それでよかった。筋書きを考えたり情景を描いたりは、自分が持っているもので十分できるのだから。

同様に、ポールは役者志望でもなかった――何にせよ、その言葉が指す一般的な意味合いからは外れていた。役者になりたいという情熱は、音楽家になりたいと思ったことがないのと同様、まったくない。そうしたことを自分がやってみる必要は感じたことがなかった。彼が望むのは、ただ見ることであり、その場にはいっていくことであり、その波に漂うことであり、あらゆることから離れて、何海里も彼方の広い海へと運ばれていくことだったのである。

 楽屋裏で夜を過ごしたあとでは、教室は前にも増して、耐えがたい場所となった。剥きだしの床と壁、フロック・コートを着ることもなく、ボタンホールにスミレを挿すこともない、退屈な男たち。鈍い色の上着を着て、耳障りな声を張りあげ、与格を支配する前置詞について、気の毒なほど一生懸命な女たち。ほんの一瞬でも、自分がそうした教師たちのことを真剣に受けとめている、などと、ほかの生徒たちが考えることに我慢できなかった。自分はなにもかもくだらないと思っている、ここにいるのも、しょせん、冗談のつもりなんだ、と、クラスの連中に教えてやらなくては。ポールは劇団全員のサイン入りの写真を持っていたので、クラスメイトにそれを見せて、自分がどれだけ親しいか、カーネギー・ホールに出る独唱歌手とも知り合いであるか、彼らと夕食をともにし、花束を贈った、などと、まったくありそうもない話を聞かせるのだった。こうした話も威力を失って、聴衆が興味を失いかけると、やけになってみんなにサヨナラを言い、自分はしばらく旅に出る、ナポリへ、ヴェニスへ、エジプトへ行くんだ、と告げる。そうして翌週の月曜日には、へどもどした作り笑いを浮かべて、こっそりまた教室に戻ってくる。姉さんが病気になったんだよ、だから旅行は春まで延期になったんだ。

 学校でのポールの状態は着実に悪くなっていった。自分がどれほど教師と彼らのする説教を軽蔑しているか、そうして、学校以外の場所ではどれほど高い評価を受けているか、心の底から伝えたくてたまらなくなって、一度、あるいは二度にわたって、自分には定理なんかで時間を潰しているような暇はないんです、と言明したのだった。さらに――眉をひくつかせたり、神経質そうにいくぶん虚勢を張ってみせたり、という教師がひどく嫌っていることをやってみせた挙げ句に――自分は劇団の手伝いをしてるんです、劇団のみんなは、昔からずっと、ぼくの友だちなんです、とつけ加えた。

 その結果、校長はポールの父親に会いに行くことになる。退学が決まり、職に就くことになった。カーネギー・ホールの支配人は、彼の代わりにほかの案内係を雇うよう言い渡され、劇場の門番はポールを中に入れないように命令を受けた。そうしてチャーリー・エドワーズは父親に、もう二度と会ったりしません、と申し訳なさそうに謝った。

 ポールの話が伝わった劇団員たちは、ひどくおもしろがった――とりわけ女性の団員たちがそうだった。必死の思いで働いている女たちは、そのほとんどが貧乏な夫や兄を支えるためだったのだが、ポールの派手でえらく情熱的な作り話を聞いて、苦々しい思いであざ笑ったのだ。ポールの件はひどい話だ、ということで、教師たちや父親と彼らの見解は一致した。


 東部行きの列車が一月の吹雪をかきわけて進んでいた。汽車がニューアークの1.5㎞ほど手前で汽笛を鳴らすころ、空が鈍く白みはじめた。ポールは体を丸めて、不安な思いでうとうととしていた座席から身を起こし、吐息でくもった窓ガラスをてのひらでぬぐって外をのぞいた。白くなった底地の上を、雪が渦を巻き、ふきだまりは野原や柵にそって、すっかり深くなっている。吹きだまりのそこここに、丈の高い枯れた草や干からびた雑草の茎が雪の上に黒く突き出していた。点々と連なる家には灯りがともり、線路沿いに立つ工夫の一団が、ランタンを振っている。

 ポールはほとんど寝ていなかったし、自分が薄汚れたように思えて落ち着かなかった。彼は夜通し、普通車両で旅を続けていたが、それはふだんの格好のままで豪華な寝台車に乗ることが恥ずかしかったからだったし、それだけではなく、ピッツバーグのビジネスマンのだれかに、あれはダニー・アンド・カーソン商会で働いている男だ、と見とがめられるかもしれない、と考えたためでもあった。汽笛で目が覚めたとき、まっさきに胸ポケットを握りしめ、おどおどした笑顔であたりを見まわした。だが、小柄で粘土のはねがかかったイタリア人たちはまだ夢の中、通路を隔てた向こうにいるだらしのない女たちは、口を開けて眠りこけ、薄汚い、泣きやまない赤ん坊たちも、さしあたっては静かだった。ポールはいらだつ自分をなんとか抑えようと、座席に背をもたせかけた。

(この項つづく)

ウィラ・キャザー 「ポールの場合」その5.

2007-03-10 22:36:59 | 翻訳
「ポールの場合」その5.

 その週の日曜日はよく晴れた。十一月の冷え冷えとした空気が、つかのまの小春日和となったのだ。いつものように午前中は、教会と日曜学校に行かなければならない。その季節らしい日曜の昼下がりは、コーデリア街に住む中産階級の人々は、自分の家の玄関前の階段に腰を下ろして、これまた同じように腰をおろした隣人たちと言葉を交わし、あるいは通りを隔てた人にも声をかけて、近隣のよしみを確かめ合うのだった。男たちはたいてい歩道へとおりていく階段に、派手な色合いのクッションを置いてその上に腰かける。一方、女たちはウェストの窮屈な日曜の晴れ着に体を押し込んで、いかにも楽しそうに狭いポーチに置いた揺り椅子に腰かけているのだった。子供たちは通りで遊ぶ。その数があまりに多いので、幼稚園の遊び場のようだった。階段の男たちは――みんなシャツ一枚になって、ヴェストのボタンをはずしている――大股開きで腹を突き出した楽な格好になって、物価の話やら、それぞれの上司や社長がいかに優れているかを物語るエピソードやらをしゃべっていた。ときどき子供たちのケンカがひどくなるのに気がつくと、甲高い、鼻にかかったような甘え声に優しく耳を傾けてやり、自分の気質が子供にそっくり受け継がれているのを笑う。そうやって鉄鋼業界の大立て者たちの伝説を広めるあいまに、うちの子の成績が上がっただの、算数の点数だの、貯金箱にお小遣いをどれだけ溜めているだのといった話をはさむのだった。

 十一月最後の日曜日、ポールは午後のあいだずっと、階段の一番下に腰をおろして通りを眺めていた。そのあいだ姉や妹は揺り椅子に坐って、隣の牧師の娘たちと、先週は何枚ブラウスを縫ったか、とか、誰それがこの前の教会の夕食会で、ワッフルをいくつ食べたか、といったことを喋っていた。暑い季節、そうして、父親が格別に機嫌が良かったりすると、娘たちはレモネードを作って、青いエナメルで描いたわすれな草の模様のついた赤い水差しに入れて、運んでいたものだ。この水差しを娘たちは、とてもおしゃれだと考えていたが、隣人たちは、その色は怪しいぞ、けしからぬものが入っているのかな、とお定まりの冗談を言うのだった。

 今日、ポールの父親は最上段に坐って、若い男と話していたが、男のひざには右へ左へ、片時もじっとしていない赤ん坊がいた。その青年は毎日のようにポールのお手本のために引き合いに出されている人物で、父親の最大の希望は、ポールが彼のようになってくれることだった。青年は血色がよく、堅く引きむすんだ赤い唇をし、色の薄い近視の目にぶあつい眼鏡をかけて、金色のつるを耳のところで曲げていた。彼は大きな製鉄会社の重役の事務をとっており、コーデリア街は前途洋々たる若者で通っていた。彼にはこんな話がある。五年ほど前――いまだってまだ二十六歳でしかないのだが――ちょっとした「道楽」にふけった時期があった。ところが欲望を抑制するために、そうして、むやみに充足を求めてあたら時間と精力を無駄にしてしまうことを怖れて、上司が常々部下に繰りかえす助言に従って、二十一歳の時に、運命をともにしてくれ、という説得に応じた最初の娘と結婚した。結婚相手は、はるか年上の、堅苦しい教師で、これまたぶ厚い眼鏡をかけて、すでに四人の子をなしていたが、その全員が、彼女同様近眼だった。

 青年は、自分の上司が、いま地中海を船で旅行中であるが、仕事上のどんなささいなことでも連絡をとってやっていること、自分のクルーザーにいても、本国にいるのと同様、執務時間を決めていて、「ふたりの速記者を手一杯にするほどの量をこなして仕事を切り上げる」らしかった。一方、ポールの父親は、自分の会社が懸案中の、カイロに電鉄会社を設立する計画を話した。ポールは歯がみした。自分がそこに行く前に、なにもかもが駄目になってしまうような強い不安を抱いたのである。とはいえ、日曜や祭日に繰りかえし語られる、こういう鉄鋼業界の大立て者の逸話を聞くのは、むしろ好きなほうだった。こうした話に出てくるヴェニスの宮殿であるとか、地中海のクルーザーであるとか、モンテカルロの高額な賭け事であるとかは、彼の空想を刺激したし、釣り銭受け渡し役の少年が成功して有名になった話には興味をひかれた。自分がそんな仕事をやってみる気は毛ほどもなかったが。

 夕食がすむと、皿を拭く手伝いをしたあとで、ポールはおそるおそる父親に、ジョージのところへ幾何を教わりに行っていいか、と尋ね、さらにびくびくしながら、電車賃をもらえないか、と頼んでみた。電車賃を頼むことは、もういちど言ってみなければならなかった。というのも、父親は主義として、額の多寡に関わらず、小遣いをせびられるのを嫌っていたからだ。もっと近くの子に教わるわけにはいかないのか、と聞き、日曜日になるまで宿題を放っておくのはよくないな、と言いもしたが、十セント玉を一枚くれた。父親は決して貧乏ではなかったが、世間でひとかどの人物になろうという野心があった。ポールが劇場係をするのを許していた唯一の理由は、たとえ子供であっても、多少なりとも自分で稼ぐべきだと考えていたためだった。

 ポールは二階に駆け上がると、皿洗いの水の油臭さが残る手を、いやなにおいのする大嫌いな石けんでごしごし洗ってから、引き出しに隠していたスミレ水の瓶をふって、数滴、指にたらした。これみよがしに幾何の本を小脇に抱えて家を出たが、コーデリア街をあとにしてダウンタウン行きの市電に乗るやいなや、ポールは死んだようなこの二日間の倦怠をふるい落とし、ふたたび生命が脈打ち始めるのを感じるのだった。

 ダウンタウンにある劇場のひとつで常時公演をうっている劇場専属劇団の若手主役はポールの知り合いで、その彼に、日曜夜のリハーサルだったらいつでも見においでよ、と招待されていたのだ。もう一年以上、時間があるときはいつでもそうやって、チャーリー・エドワーズの楽屋でぶらぶら過ごすことにしていた。ポールはエドワーズのファンのあいだでも特別な地位を獲得していたのだ。というのも若い俳優であるエドワーズは、衣装係を雇う余裕がなく、ポールはその点、単に用が足りるというだけでなく、教会が言うところの神が与えたもうた「天職」にも似た働きを見せたからである。

 自分がほんとうに生きている、と感じられるのは、劇場やカーネギー・ホールにいるときで、それ以外のときは、眠っているか忘れてしまうかのどちらかでしかない。そこははおとぎの世界であり、なにもかもがポールを秘密の恋へと誘うのだった。舞台の裏側で、ガスの臭いやペンキの臭い、埃っぽい臭いが漂ってきた瞬間、自由になった囚人のようにそれを深々と吸いこみ、自分にはすばらしいこと、輝かしいこと、詩的なことをしたり、言ったりできるのだ、という気がしてくる。オペラ「マルタ」の序曲を演奏するオーケストラのかすかな響きが聞こえてくる瞬間、あるいは「リゴレット」のセレナーデに、突然引きこまれた瞬間、あらゆる愚かしいものも醜いものが内から滑りおちて、彼の五感は心地よく、しかも鋭敏に、燃え上がるのだった。

 おそらくそれは、ポールの世界にあっては、ありのままのものはほとんどいつでも醜い装いで現れるために、美にはある種の人工的な要素が必要であるように思われたためだろう。あるいは、劇場以外での生活の経験は、日曜学校のピクニックだの、けちくさい倹約だの、人生で成功するには、といった有益な助言だの、振り払うことのできないような料理のにおいだのといったものであふれていたために、劇場での生活があまりに魅力的で、洗練された服装の人々に引かれ、スポットライトの下でいつまでも咲き続ける、燦然たるリンゴ園に感情をかきたてられたためだったのかもしれない。

 ポールにとっては、劇場にある舞台への扉が、現実世界に現れたロマンスの鳥羽口であったことを、どれほど強調しても、十分ではあるまい。事実、劇団のだれひとりとしてそのことを疑う者はいなかった。とりわけチャーリー・エドワーズなどは。これはロンドンあたりで言い伝えられた昔話によく似ていた。大変金持ちのユダヤ人たちは、地下にいくつもの大広間を持っているという。そこには棕櫚が植えてあり、泉があり、ランプが穏やかな光を放ち、豪華な服装の女たちは、魔法を解くロンドンの昼の光など見たこともない。同じようにポールは、煤煙たれこめる都市、数字と煤けた骨折り仕事に心を奪われた街のただなかに、秘密の神殿を持ち、魔法の絨毯を持ち、日の降り注ぐ青と白の地中海の海岸の一部を持っていたのだった。

(この項つづく)

ウィラ・キャザー 「ポールの場合」その4.

2007-03-09 22:49:32 | 翻訳
「ポールの場合」その4.

 向こうにシェンレーホテルのひっそりと横たわる姿が、小糠雨にけぶって、大きな箱のように浮かびあがっている。十二階建ての窓が、クリスマス・ツリーの下に置いてある灯りをともしたおもちゃの家のように、明るく輝いていた。ピッツバーグにやってきた有名な俳優や歌手は、みんなそのホテルに泊まるし、地元の有力な製造業者も冬のあいだここに滞在する者が少なくなかった。ポールはときどきホテルの周りをうろついて、出入りする人々を眺めたり、自分も中に入って、教師やら煩わしい苦労やらを永久に閉めだしてしまえないものか、と考えたりした。

 やっとあの独唱者が出てきた。指揮者に付き添われ、馬車に乗せるのに手を貸して、扉を閉めると、心のこもった声で、アウフ・ヴィーダーゼン、と声をかけたので、ポールは、この人は指揮者の昔の恋人だったのかもしれない、と考えた。ポールは馬車を追いかけてホテルまで行った。足を急がせたので、それほど遠くない位置から、独唱者が馬車から降りて、山高帽をかぶって丈の長いコートに身を包んだ黒人のドアマンが押さえるガラスの開き扉の向こうへ消えていくのを見ることができた。半開きの扉を見た瞬間、ポールは自分も一緒になかに入ったような気がした。彼女のあとについて階段をのぼり、暖かい、灯りのともった建物のなかに、表はきらきら輝き、内部はひなたぼっこをしているように暖かな、エキゾティックな熱帯の世界に足を踏み入れたように思った。ダイニングルームに運ばれてくるのは不思議な料理の数々やアイスバケットに入った緑色の瓶、こうしたものはどれも新聞の日曜版の付録にあった晩餐会の挿絵で見て知ったのだった。

突風が激しい雨と一緒に吹きつけ、ポールは自分がまだ外に、砂利が敷き詰められた車寄せのぬかるみに立っているのに気がついた。ブーツに水が入って、貧弱な上着はぬれそぼってまとわりつく。コンサートホール正面の灯りは消えて、しのつく雨がポールと見上げるオレンジ色に輝く窓を隔てていた。自分が望んでいるものがあそこにある……自分のすぐ目の前に、クリスマスのパントマイムの舞台、おとぎ話の世界のように。だが自分は扉の前に張り付くように立っていて、雨に顔を打たれているのだ、と、あざけりたいような気持ちになる。自分はこうしてずっとそれを見上げながら、暗い夜に戸外で震えている運命なのだろうか。

 ポールは踵をかえして、沈む気持ちを抱えて車道のほうへ歩いていった。いつか終わりが来なくては。階段の上に現れた寝間着姿の父親も、言い訳にもならない言い訳も。やっつけの作り話のために、いつもよけいに厄介なことになることも。二階の自分の部屋、おぞましい黄色い壁紙と、脂で汚れたフラシ天張りのカラー入れがついたキィキィとやかましいタンス、ペンキで塗った木製のベッド、ジョージ・ワシントンとジョン・カルヴィンの肖像画、額に入った「私の子羊を養え」という聖書の一節も。この聖句は母がかつて赤い毛糸で紡いでくれたのだった。

 三十分後、ポールは電車をおりると、大通りから側道へのろのろと入っていった。そこは際立って立派な通りで、家はどれもそっくり、中産階級の実業家たちが大勢の子供たちを養っていた。みんな日曜学校に通ってカトリックの公教要理を学び、算数が好きな子供たちである。彼らの家族がそっくりなように、子供たちも互いにそっくりで、住んでいる家が退屈なように、彼らもまた退屈な子供たちなのだった。ポールがこのコーデリア街を歩くときはいつも、嫌悪感のあまりに身震いしてしまう。ポールの家は、カンバーランド長老教会の牧師の家の隣だった。今夜も家に近づきながら、敗北にうちひしがれたような、平凡で醜悪ななかに呑みこまれてしまいそうな絶望感を味わいながら感覚、いつも家に帰るたびに襲われる感覚に浸っていた。コーデリア街に入った瞬間、頭の先まで水の中に呑みこまれたような気がする。今日のように生きる喜びを夢中になって味わったあとではいつも、道楽に耽ったあとの肉体的な抑鬱のようなものを感じるのだった。相応のベッド、平凡な食事、台所のにおいのたれこめる家がいやでたまらなかった。香りもない、色もない、日常的なことどもへの身震いするほどの嫌悪感。素晴らしいもの、柔らかな光や美しい花に対する渇望。

 家に近づけば近づくほど、家のあれやこれやを見ることなどとうてい耐えられない、という気持ちは高まっていく。自分の醜い寝室、汚れたトタン製のバスタブを置いた、寒い浴室、ひび割れた鏡、水滴の垂れる蛇口、そうして父親。階段の上に立ち、寝間着の裾から毛ずねを剥きだしにして、部屋履きに足を突っこんで。いつもよりずっと遅くなったから、きっとうるさく聞いてきては小言をいうだろう。戸口の前で、しばらくポールは立ち止まった。今夜は父親も声をかけても来ないだろう。あの惨めなベッドで輾転反側するのはたまらない。家に入りたくなかった。電車賃がなかったし、大雨だったので、友だちの家に寄って一晩中そこにいたんだ、と父親にいったらどうだろう。

 そうしているうちにも、ポールは濡れそぼち、凍えていた。家の裏手に回って、地下室の窓のひとつを押してみると開いたので、用心深く持ち上げて、地下室のかべを這うようにして床に下りた。そこにじっと立って息を整え、自分が立てた物音がどうなったかびくびくしていたが、頭上の床は静まりかえっていて、階段のきしむ音もしなかった。石けんの木箱があったので、それを暖房炉の扉からもれる穏やかな光の輪のなかに運んで、そこに腰掛けた。ネズミはひどくきらいだったから、そこで眠ろうとは思わなかったが、暗いところを疑わしげに見ながら、父親を起こしてしまったのではないか、と怯えながら坐っていた。カレンダーのわびしい空白から際立った夜や昼を経験したあとで起こるこうした反動が起こっているときは、感覚が鈍くなっているにもかかわらず、ポールの頭はいつも奇妙に冴えかえってくるのだった。もし父親が彼が窓から入る音を聞きつけて、ここにおりてきて、泥棒とまちがえて自分を撃ったらどうなるだろう。そうでなかったら、おりてきた父親は銃を持っているが、自分が大声を出すのが間に合って、命が助かり、父もまた危うく息子を殺すところだった、と心底ゾッとするようなことがあったら。あるいは、ずっとあとになって、この晩のことを思いだし、あいつが大声を出さないでそのまま自分が撃っていれば良かったのに、と考えたら。この最後の疑問をポールは夜が明けるまで、繰りかえし考えたのだった。

(この項つづく)

ウィラ・キャザー 「ポールの場合」その3.

2007-03-08 22:11:39 | 翻訳
「ポールの場合」その3.

 一方、ポールの方は口笛でオペラ『ファウスト』の「兵士の合唱」を吹きながら、丘を駆けおりた。ときおり急に振り返っては、教師のだれかがそこらへんで、こんなにも弾むような心持ちでいる自分を、歯がみしながら見ているのではないか、と確かめてしまうのだった。

すでに夕方が近く、その夜は地元の「カーネギー・ホール」で案内係のアルバイトがある日だったので、晩ご飯を食べに家に帰るのはよそうと思った。コンサートホールに着いてみると、扉はまだ閉まっており、外は寒かったので、美術館に行ってみることにする。そうした時間はいつでも閑散としている美術館には、ラフィーリのパリ市街を描いた明るい色彩の習作が何点かと、軽やかな青で描かれたヴェニスの風景画がひとつかふたつあって、それを見るといつもわくわくしてくるのだった。美術館には守衛、片目に黒い眼帯を当てもう片方の目は閉じている老人が、隅っこに坐って膝に新聞をのせているだけでほかにはだれもいなかったので、ポールはうれしかった。その場所を独り占めして意気揚々と歩き回り、吐息と一緒に口笛を漏らしたりした。やがてリコの青い作品の前に腰を下ろし、夢中になって見入った。ふと我に返ると、七時を回っている。大急ぎで立ち上がり、階段を駆け下りて、台座からじっと眺めているアウグストゥスにしかめっつらで応え、階段の上にいるミロのヴィーナスには卑猥な仕草をしながら脇を抜けていった。

 ポールが案内係専用の更衣室についたときには、もう六人ほどの少年たちがそこにいて、ポールもあわてて制服を着こんだ。その制服はめずらしくポールの体にぴったりとくるもので、実際、自分でもよく似合っていると思っていた。ゆとりのない直線断ちの上着は、ポールの薄い胸板を際立たせるもので、そのことをポールはひどく気にしてはいたのだけれど。着替えをしていると、あたり一帯にチューニングしている弦の音や、調整のために吹く管楽器のファンファーレが響いてきて、いつでもポールの胸は高鳴ってくるのだった。だが、今夜のポールはいささか動転していたようで、ほかの男の子たちをからかったりふざけかかったりしたために、少年たちは、いい加減にしろよお前、どうかしてるぞ、と言うと、床に押し倒して、馬乗りになった。

 動きを封じられてやっと落ち着きを取りもどしたポールは、早い時間からやってくる客を席に案内しようとホールの表へ走っていった。彼は案内係の鏡だった。微笑を浮かべつつ慇懃な物腰で通路を行き来する。どんなことも、彼にかかってはお手のものだった。メッセージを届けたり、プログラムを持っていったりすることが、まるで人生最大の喜びであるかのように振る舞うのだ。そのために彼が受け持つエリアの客は、だれもがみな彼のことを魅力的な少年だと感じ、客である自分をよく覚えていて、敬意を持って遇してくれていると感じるのだった。ホールが詰まってくるにつれ、ポールもますます生き生きとして、活動的になってくるし、頬にも唇にも血の気がさしてくるのだった。まるでこれが盛大な歓迎会で、ポールが主催者とでもいうように。

ちょうど、楽団員たちが出てきて所定の場所に着いたとき、彼の英語の教師が、著名な製造業者が押さえているシーズンチケットを手にやってきた。彼女はポールにチケットを渡すときに、自分の感じた決まり悪さを尊大な態度でごまかそうとしたのだが、それはのちに、愚かなことをしたものだと思うようになる。一瞬、ポールもビックリし、事実、追い出したい気分になった。なんでまたこんなに立派な人が大勢集まる華やかな場所に、この人はやってきたんだろう。先生を上から下まで眺めて、しかるべき服装をしていないことを見て取ると、こんな上着で一階席に座るなんて、こいつはバカなんじゃないか、と考えた。このチケットも、おそらく何かのお礼で手に入れたのだろう、と席へ案内しながら考え、さらに、この女がここに座る権利があるんだったら、自分だってあるな、と考えたのだった。

 交響曲が始まると、ポールは後部座席に身を沈め、ほっとして長いため息をひとつつくと、さきほどリコの絵の前で我を忘れたように、また夢中になった。交響曲それ自体が特別に重要というのではなく、楽器が最初のため息をもらした瞬間に、なにか、彼のうちに喜ばしく力強い生気のようなものが沸き起こってくるのだ。アラビアンナイトに出てくる漁師が壺のなかで見つけた魔神のように、心のなかであがいていた何かを解き放ったかのように。すぐに、生きる喜びに満たされた。目の前で光が舞い、コンサートホールは想像を絶する華麗な炎が燃え上がった。ソプラノの独唱者が登場すると、ポールは教師がそこにいるという不快感も忘れて、こうした有名な音楽家がかならずもたらしてくれる、特別な興奮に、我身を委ねるのだった。

独唱者はたまたまドイツ人女性で、決してもう若いと呼べるような年齢でもなく、子供をたくさん抱えた母親でもあったのだけれど、サテンの豪華なドレスに身を包み、ティアラをつけていた。とりわけ高い位置にまで到達した人特有の言葉にできない雰囲気、世界が彼女にスポットライトを当てているかのようだ、とポールの目には映ったのだが、正真正銘の叙情曲の女王といった風格があった。

 コンサートが終わるとポールはいつも苛立ち、眠りに就くまで惨めな気分に襲われるのだが、今夜はふだんよりいっそう落ち着かなかった。これではとてもリラックスなんてできそうもない、生きていると呼べるものがあるとすれば、ただひとつ、この甘美な興奮だけなのに、それを諦めて手放してしまうことなどできはしない、とポールは感じたのだった。最後の曲のあいだに、ポールはそっと抜けだし、更衣室で服を着替えて、独唱者の馬車が停まっている裏口に回っていった。そうして歩道を行きつ戻りつしながら独唱者が出てくるのを待ったのだった。

(この項つづく)