陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ウィラ・キャザー 「ポールの場合」その5.

2007-03-10 22:36:59 | 翻訳
「ポールの場合」その5.

 その週の日曜日はよく晴れた。十一月の冷え冷えとした空気が、つかのまの小春日和となったのだ。いつものように午前中は、教会と日曜学校に行かなければならない。その季節らしい日曜の昼下がりは、コーデリア街に住む中産階級の人々は、自分の家の玄関前の階段に腰を下ろして、これまた同じように腰をおろした隣人たちと言葉を交わし、あるいは通りを隔てた人にも声をかけて、近隣のよしみを確かめ合うのだった。男たちはたいてい歩道へとおりていく階段に、派手な色合いのクッションを置いてその上に腰かける。一方、女たちはウェストの窮屈な日曜の晴れ着に体を押し込んで、いかにも楽しそうに狭いポーチに置いた揺り椅子に腰かけているのだった。子供たちは通りで遊ぶ。その数があまりに多いので、幼稚園の遊び場のようだった。階段の男たちは――みんなシャツ一枚になって、ヴェストのボタンをはずしている――大股開きで腹を突き出した楽な格好になって、物価の話やら、それぞれの上司や社長がいかに優れているかを物語るエピソードやらをしゃべっていた。ときどき子供たちのケンカがひどくなるのに気がつくと、甲高い、鼻にかかったような甘え声に優しく耳を傾けてやり、自分の気質が子供にそっくり受け継がれているのを笑う。そうやって鉄鋼業界の大立て者たちの伝説を広めるあいまに、うちの子の成績が上がっただの、算数の点数だの、貯金箱にお小遣いをどれだけ溜めているだのといった話をはさむのだった。

 十一月最後の日曜日、ポールは午後のあいだずっと、階段の一番下に腰をおろして通りを眺めていた。そのあいだ姉や妹は揺り椅子に坐って、隣の牧師の娘たちと、先週は何枚ブラウスを縫ったか、とか、誰それがこの前の教会の夕食会で、ワッフルをいくつ食べたか、といったことを喋っていた。暑い季節、そうして、父親が格別に機嫌が良かったりすると、娘たちはレモネードを作って、青いエナメルで描いたわすれな草の模様のついた赤い水差しに入れて、運んでいたものだ。この水差しを娘たちは、とてもおしゃれだと考えていたが、隣人たちは、その色は怪しいぞ、けしからぬものが入っているのかな、とお定まりの冗談を言うのだった。

 今日、ポールの父親は最上段に坐って、若い男と話していたが、男のひざには右へ左へ、片時もじっとしていない赤ん坊がいた。その青年は毎日のようにポールのお手本のために引き合いに出されている人物で、父親の最大の希望は、ポールが彼のようになってくれることだった。青年は血色がよく、堅く引きむすんだ赤い唇をし、色の薄い近視の目にぶあつい眼鏡をかけて、金色のつるを耳のところで曲げていた。彼は大きな製鉄会社の重役の事務をとっており、コーデリア街は前途洋々たる若者で通っていた。彼にはこんな話がある。五年ほど前――いまだってまだ二十六歳でしかないのだが――ちょっとした「道楽」にふけった時期があった。ところが欲望を抑制するために、そうして、むやみに充足を求めてあたら時間と精力を無駄にしてしまうことを怖れて、上司が常々部下に繰りかえす助言に従って、二十一歳の時に、運命をともにしてくれ、という説得に応じた最初の娘と結婚した。結婚相手は、はるか年上の、堅苦しい教師で、これまたぶ厚い眼鏡をかけて、すでに四人の子をなしていたが、その全員が、彼女同様近眼だった。

 青年は、自分の上司が、いま地中海を船で旅行中であるが、仕事上のどんなささいなことでも連絡をとってやっていること、自分のクルーザーにいても、本国にいるのと同様、執務時間を決めていて、「ふたりの速記者を手一杯にするほどの量をこなして仕事を切り上げる」らしかった。一方、ポールの父親は、自分の会社が懸案中の、カイロに電鉄会社を設立する計画を話した。ポールは歯がみした。自分がそこに行く前に、なにもかもが駄目になってしまうような強い不安を抱いたのである。とはいえ、日曜や祭日に繰りかえし語られる、こういう鉄鋼業界の大立て者の逸話を聞くのは、むしろ好きなほうだった。こうした話に出てくるヴェニスの宮殿であるとか、地中海のクルーザーであるとか、モンテカルロの高額な賭け事であるとかは、彼の空想を刺激したし、釣り銭受け渡し役の少年が成功して有名になった話には興味をひかれた。自分がそんな仕事をやってみる気は毛ほどもなかったが。

 夕食がすむと、皿を拭く手伝いをしたあとで、ポールはおそるおそる父親に、ジョージのところへ幾何を教わりに行っていいか、と尋ね、さらにびくびくしながら、電車賃をもらえないか、と頼んでみた。電車賃を頼むことは、もういちど言ってみなければならなかった。というのも、父親は主義として、額の多寡に関わらず、小遣いをせびられるのを嫌っていたからだ。もっと近くの子に教わるわけにはいかないのか、と聞き、日曜日になるまで宿題を放っておくのはよくないな、と言いもしたが、十セント玉を一枚くれた。父親は決して貧乏ではなかったが、世間でひとかどの人物になろうという野心があった。ポールが劇場係をするのを許していた唯一の理由は、たとえ子供であっても、多少なりとも自分で稼ぐべきだと考えていたためだった。

 ポールは二階に駆け上がると、皿洗いの水の油臭さが残る手を、いやなにおいのする大嫌いな石けんでごしごし洗ってから、引き出しに隠していたスミレ水の瓶をふって、数滴、指にたらした。これみよがしに幾何の本を小脇に抱えて家を出たが、コーデリア街をあとにしてダウンタウン行きの市電に乗るやいなや、ポールは死んだようなこの二日間の倦怠をふるい落とし、ふたたび生命が脈打ち始めるのを感じるのだった。

 ダウンタウンにある劇場のひとつで常時公演をうっている劇場専属劇団の若手主役はポールの知り合いで、その彼に、日曜夜のリハーサルだったらいつでも見においでよ、と招待されていたのだ。もう一年以上、時間があるときはいつでもそうやって、チャーリー・エドワーズの楽屋でぶらぶら過ごすことにしていた。ポールはエドワーズのファンのあいだでも特別な地位を獲得していたのだ。というのも若い俳優であるエドワーズは、衣装係を雇う余裕がなく、ポールはその点、単に用が足りるというだけでなく、教会が言うところの神が与えたもうた「天職」にも似た働きを見せたからである。

 自分がほんとうに生きている、と感じられるのは、劇場やカーネギー・ホールにいるときで、それ以外のときは、眠っているか忘れてしまうかのどちらかでしかない。そこははおとぎの世界であり、なにもかもがポールを秘密の恋へと誘うのだった。舞台の裏側で、ガスの臭いやペンキの臭い、埃っぽい臭いが漂ってきた瞬間、自由になった囚人のようにそれを深々と吸いこみ、自分にはすばらしいこと、輝かしいこと、詩的なことをしたり、言ったりできるのだ、という気がしてくる。オペラ「マルタ」の序曲を演奏するオーケストラのかすかな響きが聞こえてくる瞬間、あるいは「リゴレット」のセレナーデに、突然引きこまれた瞬間、あらゆる愚かしいものも醜いものが内から滑りおちて、彼の五感は心地よく、しかも鋭敏に、燃え上がるのだった。

 おそらくそれは、ポールの世界にあっては、ありのままのものはほとんどいつでも醜い装いで現れるために、美にはある種の人工的な要素が必要であるように思われたためだろう。あるいは、劇場以外での生活の経験は、日曜学校のピクニックだの、けちくさい倹約だの、人生で成功するには、といった有益な助言だの、振り払うことのできないような料理のにおいだのといったものであふれていたために、劇場での生活があまりに魅力的で、洗練された服装の人々に引かれ、スポットライトの下でいつまでも咲き続ける、燦然たるリンゴ園に感情をかきたてられたためだったのかもしれない。

 ポールにとっては、劇場にある舞台への扉が、現実世界に現れたロマンスの鳥羽口であったことを、どれほど強調しても、十分ではあるまい。事実、劇団のだれひとりとしてそのことを疑う者はいなかった。とりわけチャーリー・エドワーズなどは。これはロンドンあたりで言い伝えられた昔話によく似ていた。大変金持ちのユダヤ人たちは、地下にいくつもの大広間を持っているという。そこには棕櫚が植えてあり、泉があり、ランプが穏やかな光を放ち、豪華な服装の女たちは、魔法を解くロンドンの昼の光など見たこともない。同じようにポールは、煤煙たれこめる都市、数字と煤けた骨折り仕事に心を奪われた街のただなかに、秘密の神殿を持ち、魔法の絨毯を持ち、日の降り注ぐ青と白の地中海の海岸の一部を持っていたのだった。

(この項つづく)