陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ウィラ・キャザー 「ポールの場合」その1.

2007-03-06 22:26:39 | 翻訳
今日からしばらくウィラ・キャザーの短編「ポールの場合」を訳していきます。
この短編が発表されたのは1904年。
主人公のポールは、二十世紀初頭の時代にあって、一種の「新しい少年像」を提示するものでした、
なんとなく『ライ麦畑…』のホールデン・コールフィールドのルーツという感じもします。ただし、『ライ麦…』よりずっと話のトーンは暗いのですが。
一週間を目安に訳していきます。
原文はこちら
http://www.shsu.edu/~eng_wpf/authors/Cather/Pauls-Case.htm

* * *
「ポールの場合」
by ウィラ・キャザー


 その日の午後、ピッツバーグ高校の職員室に、自分がしでかした数々の悪さの申し開きのために、ポールが出頭してきた。ちょうど一週間前から停学処分をくらっていて、父親が校長室に呼ばれて、息子にはとてもじゃないがわたしの手には負えません、と打ちあけていたのだった。ポールは職員室に人当たりのよさそうな笑顔を浮かべて入ってきた。いささか小さくなった服を着て、前開きのコートは襟の黄褐色のヴェルヴェットの部分がすりきれてボロボロになっていた。にもかかわらず、ポールの様子にはどことなく垢抜けた雰囲気があり、格好良く結んだ黒いネクタイをオパールのピンで留め、ボタンホールに赤いカーネーションをさしていた。この赤い飾りは、教師の目に、少年が停学処分を受けて、深く悔い改めているしるしには、どう考えても映らなかったが。

 ポールは歳のわりに背が高く、ガリガリに痩せて、そびやかしたように窮屈な肩と、幅の狭い胸をしていた。よく目立つ目には一種ヒステリックな光が宿っていて、いつも自意識過剰で芝居がかった、とりわけほかの少年に対しては攻撃的なまなざしを向けるのだった。瞳が異常なほど大きく、まるで瞳孔を開かせるベラドンナでも常用しているかのようだったが、瞳はガラスのようにきらめいていて、薬を使っていてはそのようには決してならないはずだった。

 校長が、なぜきみはここに来たのかね、と尋ねると、ポールはきわめて礼儀正しいくちぶりで、学校に戻りたいからです、と答えた。それはまったくの嘘だったが、ポールにとって嘘をつくのは、すっかり慣れっこだったのだ。実際、厄介な事態を切り抜けるためには、嘘をつくことも必要不可欠のことだ、ぐらいに考えていたのだ。教師たちは、ポールに対する処罰の根拠を明らかにするよう求められ、悪意と不満に満ちた回答をしたために、事態が通り一遍のものではないことが明らかになった。秩序を乱すこと、それから生意気であることを教師たちは罪状としてあげたのだが、教師のだれもがこの問題のほんとうの原因は、ほとんど言葉にはできないものだと感じていた。原因というのは、ポールがヒステリックで反抗的な態度を取ったことではあったのだけれど。ポールが自分たちを軽蔑しており、しかもそれを隠そうともしていないことを教師たちはみんな知っていた。

以前、ポールが黒板にある段落の要旨を書いていたとき、英語の教師が横に来て、字の書き方を指導しようとしたことがあった。ポールは身震いして飛びすさり、自分の両手を乱暴に引き抜くと、後ろに隠してしまった。驚いた女教師は、ポールが殴りかかってきたとしても、これほどまでに傷つき、当惑することもなかっただろう。その侮辱は、意図したものではなく、しかもまさしく自分だけに向けられたものだったので、いっそう忘れられないものになったのだった。ポールがとった態度はそれぞれに異なっていたが、男教師、女教師を問わず、彼らに対して等しく肉体的な嫌悪の情を覚えていることを隠そうともしなかったのだ。ある授業では、いつも片手で目の上にひさしを作って坐っていた。別の授業では、朗読しているあいだ、ずっと窓の外を見ていた。冗談のつもりで、講義のあいだずっと茶々を入れていることもあった。

(この項つづく)