陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ウィラ・キャザー 「ポールの場合」その2.

2007-03-07 22:15:08 | 翻訳
「ポールの場合」その2.


 その日の午後、教師たちにはポールが肩をすくめることも、きざったらしい赤いカーネーションも、彼の態度をそのまま象徴しているように感じられて、英語の教師を先頭にして、みんなで容赦なくつるし上げたのだった。ポールはそれを笑顔で受け流し、薄い唇の先から白い歯がのぞいていた(唇はずっとぴくぴくと引きつって、おまけに彼には眉を持ち上げる癖まであったのだが、これは人を軽蔑されたような気分にさせ、ことのほか苛立たせるものだった)。ポールより年上の少年でも、このような火あぶりの試練に直面したことならくずおれて、涙のひとつもこぼそうというものだが、ポールの作り笑いは、とうとう顔から消えることがなく、不快な気分をうかがわせるのは、わずかにコートのボタンをもてあそんでいる指先が神経質そうにぶるぶる震えていたことと、帽子を持つ手が、ときおり引きつったように動くことぐらいだった。ポールは終始笑みを絶やさず、自分の周囲に目を走らせては、みんながぼくを監視して何か見つけようとしてることなんてお見通しですよ、といった顔をしている。こうした自意識過剰の表情は、少年らしい闊達さとは無縁のものだったために、いつも横柄だとか、「抜け目がない」ためだ、と思われていたのだった。

 この尋問の最中に、教師がポールの生意気な言葉を繰りかえし、校長は、そんな言葉を女性に対して口にするとは礼儀に適っているとでも思っているのかね、と聞いた。ポールはちょっと肩をすくめると、眉をひょいと上げた。

「わかりません。礼儀正しくしようと思ったわけではないし、ぶしつけな振る舞いをしたつもりもありません。たぶん、ぼくの癖で、あんまりそういうことは気にしなかったんだと思います」

 校長は、思い遣りのある人柄だったために、そんな癖は改めたほうが良いのではないかな、と聞いた。ポールは、にっと笑って、そうですよね、と言った。もう行ってよろしい、と言われたために、優雅な身ぶりで頭を下げると、部屋を出ていった。そのお辞儀には、けしからぬあの赤いカーネーションをふたたび見せつけるようなところがあった。

 教師たちは憤懣やるかたなく、なかでも美術の教師が言った、あの生徒には何かだれにも理解しがたいようなところがありますな、というせりふは、教師みなの気持ちを代弁したものだった。美術教師はこうも言った。「彼のあの笑い方は、横柄というのとはまったくちがっているように思うんです。どこか取り憑かれている、といったほうがいい。第一、あの子は丈夫じゃないですしね。聞いたことがあるのだが、ポールはコロラドで生まれてまだほんの数ヶ月のころに、お母さんは長患いのすえに亡くなったそうです。だからなんだろうな、やつがちょっとおかしなところがあるのは」

 美術教師は、ポールを見るとき、どうしても白い歯とわざとらしくよく動く目ばかりに気持ちがいってしまう、としだいに気がつくようになっていた。以前、暖かい午下がりに、あの子は画板に向かって居眠りをしていたことがある。それにしても血の気のない、静脈が透けた顔なんだろう、と驚いたものだった。やつれて皺のある目元は老人のようで、口元は眠っていてもひくひくと神経質に痙攣しているのだった。

 教師たちは物足りなくもあり、不愉快でもあった。年端もゆかぬ少年相手に、必要以上の悪意を持ち、傷つけるような言葉でその感情をそのままぶつけ、しかも、度を過ごした叱責をおぞましくも競い合うかのように、おたがい、けしかけあってしまったことを恥ずかしく思っていた。ひとりの教師などはいじめっ子たちが輪になって、かわいそうな野良猫を追いつめていったことを思いだしたのだった。

ウィラ・キャザー 「ポールの場合」その1.

2007-03-06 22:26:39 | 翻訳
今日からしばらくウィラ・キャザーの短編「ポールの場合」を訳していきます。
この短編が発表されたのは1904年。
主人公のポールは、二十世紀初頭の時代にあって、一種の「新しい少年像」を提示するものでした、
なんとなく『ライ麦畑…』のホールデン・コールフィールドのルーツという感じもします。ただし、『ライ麦…』よりずっと話のトーンは暗いのですが。
一週間を目安に訳していきます。
原文はこちら
http://www.shsu.edu/~eng_wpf/authors/Cather/Pauls-Case.htm

* * *
「ポールの場合」
by ウィラ・キャザー


 その日の午後、ピッツバーグ高校の職員室に、自分がしでかした数々の悪さの申し開きのために、ポールが出頭してきた。ちょうど一週間前から停学処分をくらっていて、父親が校長室に呼ばれて、息子にはとてもじゃないがわたしの手には負えません、と打ちあけていたのだった。ポールは職員室に人当たりのよさそうな笑顔を浮かべて入ってきた。いささか小さくなった服を着て、前開きのコートは襟の黄褐色のヴェルヴェットの部分がすりきれてボロボロになっていた。にもかかわらず、ポールの様子にはどことなく垢抜けた雰囲気があり、格好良く結んだ黒いネクタイをオパールのピンで留め、ボタンホールに赤いカーネーションをさしていた。この赤い飾りは、教師の目に、少年が停学処分を受けて、深く悔い改めているしるしには、どう考えても映らなかったが。

 ポールは歳のわりに背が高く、ガリガリに痩せて、そびやかしたように窮屈な肩と、幅の狭い胸をしていた。よく目立つ目には一種ヒステリックな光が宿っていて、いつも自意識過剰で芝居がかった、とりわけほかの少年に対しては攻撃的なまなざしを向けるのだった。瞳が異常なほど大きく、まるで瞳孔を開かせるベラドンナでも常用しているかのようだったが、瞳はガラスのようにきらめいていて、薬を使っていてはそのようには決してならないはずだった。

 校長が、なぜきみはここに来たのかね、と尋ねると、ポールはきわめて礼儀正しいくちぶりで、学校に戻りたいからです、と答えた。それはまったくの嘘だったが、ポールにとって嘘をつくのは、すっかり慣れっこだったのだ。実際、厄介な事態を切り抜けるためには、嘘をつくことも必要不可欠のことだ、ぐらいに考えていたのだ。教師たちは、ポールに対する処罰の根拠を明らかにするよう求められ、悪意と不満に満ちた回答をしたために、事態が通り一遍のものではないことが明らかになった。秩序を乱すこと、それから生意気であることを教師たちは罪状としてあげたのだが、教師のだれもがこの問題のほんとうの原因は、ほとんど言葉にはできないものだと感じていた。原因というのは、ポールがヒステリックで反抗的な態度を取ったことではあったのだけれど。ポールが自分たちを軽蔑しており、しかもそれを隠そうともしていないことを教師たちはみんな知っていた。

以前、ポールが黒板にある段落の要旨を書いていたとき、英語の教師が横に来て、字の書き方を指導しようとしたことがあった。ポールは身震いして飛びすさり、自分の両手を乱暴に引き抜くと、後ろに隠してしまった。驚いた女教師は、ポールが殴りかかってきたとしても、これほどまでに傷つき、当惑することもなかっただろう。その侮辱は、意図したものではなく、しかもまさしく自分だけに向けられたものだったので、いっそう忘れられないものになったのだった。ポールがとった態度はそれぞれに異なっていたが、男教師、女教師を問わず、彼らに対して等しく肉体的な嫌悪の情を覚えていることを隠そうともしなかったのだ。ある授業では、いつも片手で目の上にひさしを作って坐っていた。別の授業では、朗読しているあいだ、ずっと窓の外を見ていた。冗談のつもりで、講義のあいだずっと茶々を入れていることもあった。

(この項つづく)

早い定年

2007-03-05 22:24:29 | weblog
先日美容院に髪を切りに行ったら、しばらく姿を見せなかった、二年ほどまえにわたしの担当だった人が戻ってきていた。
向こうも覚えていたのだろう、「お久しぶりです」と挨拶してくれて、なんとなく話が始まった。

その美容師さんが「ずっと裏の仕事をやってたんです」というので、一瞬、わたしの頭には「裏稼業」という文字が浮かんだ。
その文字が見えたわけでもなかったのだろうが、「裏っていうのはね、店に出てお客様の相手をする仕事じゃなくて、支店の運営とか、業務の統括とかそういうことなんですけどね」と教えてくれた。

なんでも美容師というのは、三十歳がひとつの分かれ道なんだそうだ。
独立するか、マネージメントの方にを担当するか、後進の指導に当たるか。やはりメインの客筋が若い女性ということで、三十五歳を超えると、なかなか店には出られなくなってしまうらしい。
「ぼく、いま三十四なんですけどね」
やわらかい声でしゃべるその人は、少し太めで、着ているものも美容師というより、休みの日のお父さん、という感じ。確かにマネージメントの方に声をかけられるのも、なるほど、という感じだった。

その人の知り合いには、理容師の勉強をやり直して、そうした年齢制限のない理容師を目指す人もいるらしい。独立も考えないではないけれど、いまは美容院はあまりに多すぎて、「自分のお客さん」を確保した上で独立、というのもなかなかむずかしいし、「自分もあんまり、オレが、オレが、いう方やないんですよ。それやから、なかなか独立するいうのもね……」ということだった。

高校を卒業して、三年間専門学校に通って。二年ほど、下働きをして、それからなんとか一人前の美容師になるのが、順調にいっても二十四歳。それが三十でそろそろ肩を叩かれ始める、というのも、なんだかな、と思ったのだった。
そんなふうなことを言うと、
「そうなんですよ。自分もやっと自分のラインみたいなもんがわかってきたかな、ゆうころで、これからやな、みたいに思うところもあるんです。それでもね、なかなか店に出るゆうのもあれやこれやあってね……」ということだった。

ところがその店は、わたしの見るところ、かならずしも若い女性ばかりいるわけではない。男性もいるし、おばあさんが白い髪に淡い青のカラーを入れてもらっているときもある。
時間にもよるのだろうが、わたしが行くかぎりでは、決して若いオシャレな女性向け、という店ではないように思うのだ。それでも、美容師の「定年」がそんなに早いのは、やはり業界全体の支配的な空気みたいなものなのかもしれない。

やっぱり技術はこれからでしょ、とわたしが言うと、「自分もそう思うんですよ。それやから、なんとか現場に出たい、思うてね、また戻ってきたんです」と言っていた。

「昔ね、不思議やったんですよ。よぉわからん人が、いっぱいいてるんです。店には出ない、何をしてるんかよぉわからんような人がね。そういうのだけにはなりたないですけどね」

わたしは、がんばってくださいね、と力を込めて言ったのだった。

サイト更新しました

2007-03-04 22:46:20 | weblog
先日までここで連載していた「この話したっけ ~卒業の風景」加筆修正ののちサイトにアップしました。

http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

お暇なときにでもまた遊びに来てくださいね。

今日はいいお天気でしたね。
あー、春が来たんだな、ってしみじみ思うような日でした。
もう眠いです。おやすみなさい。

それじゃ、また。

日付のある歌詞カード Oceansize "Catalyst"

2007-03-03 22:59:23 | 翻訳
このところ、Oceansize(オーシャンサイズ)の《Effloresce》(エフローレス:開花)というアルバムをずーっと聴いている。
結成が1998年で、このファーストアルバムの発売が2003年ということだから、比較的新しいバンドだ。バックグラウンドなども英語版のwikipediaに出ているくらいしか知らないのだけれど、聞けば聞くほどハマる感じで、いまやどっぷり、というところ。

まず、三拍子の使い方がすごくうまい。
ロックというのは圧倒的に四拍子の曲が多くて、三拍子、というと思いつく曲がない(変拍子として使っているのならいくつもあるのだけれど)。
このアルバムは冒頭の前奏曲みたいな扱いのインストが三拍子、二曲目のこの曲が三拍子と四拍子の組み合わせ、つぎの三曲目も三拍子が中心でときどき四拍子が入る変拍子、といった感じで、アルバム全体が四拍子と三拍子の組み合わせになっている(なかに五拍子もあるけれど)。

大ざっぱにまとめてしまえば、三拍子の旋律にメロディアスな部分を、それに対して四拍子の旋律に激しい部分を担当させて、曲相に変化をつけている。
そうして変拍子の部分では、独特の不安定感を、この一拍足りない三拍子が与えている。
その変拍子の鍵になるのが、とくにドラムの拍だ。このドラムはけっこういろんな表情を持っているけれど、根本にあるのは、正確で、きちんと整った筋目の良い音だ。

もうひとつの特徴がトレモロを多用するギターの音。
このトレモロのギターはこのバンドの特色なのだろう。ディストーションを効かせたところもあるし、高い、鈴がなっているような音をさせている部分もあるけれど、全体にずっと流れていて、曲のトーンに金属的な響きを加えている。

ときにリリカルだったり、メランコリックだったりもする三拍子の部分と、激しい四拍子の部分を貫くようにギターのトレモロが流れていく。

このアルバムのなかでは、唯一といっていいくらい、ストレートな四拍子の〈Amputee〉でも、このトレモロが、まるでだれもがそこだけ知っているポール・ニザンの『アデン・アラビア』の冒頭「ぼくは二十歳だった。 それがひとの一生で一番美しい年齢だなんて、誰にも言わせない」みたいな感じ、若い男の子の自負心というか、孤独感というか、傷つきやすさというか、そんな微妙な繊細な感じ、剥きだしのひりひりするような感覚がそのまま音になったみたいで、とてもいい。

そうしてもうひとつ、歌詞は、なんとなくいろんな本のイメージがある。
さっきもいった〈Amputee〉(これは神を歌ったもの。「やあ神様、あんただって自分の好きなようにできるんだぜ」、タイトルの「四肢切断」には、磔になるかわりに手や足を失うぐらいでもよかったんだ、という詞の内容から来ていると思う)には、プールを泳いで家に帰る、というフレーズが出てくる(これは以前訳したジョン・チーヴァーの「泳ぐ人」)。

また〈One Day All This Could Be Yours〉はハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』が根底にあるのではないか、と思う。

〈One Day All This Could Be Yours(いつかなにもかもがきっと君のものになるさ)〉というのは、望んで生まれたわけではない子供から離れていこうとする若いお父さんの歌。
ほかの曲の歌詞がいろんなイメージを多用しているのに対し、この曲は、ぼくは君のために十分な時間を使ってやることさえできなかった、と、その思いがストレートに語られる。
ちょうどクレイシの小説で、「彼の愛情に満ちた言葉や、小さな声は、ぼくにとってはまさに神の囁きだ」と思う息子をあとに残して、家を出る主人公のように。

そうして、この〈Catalyst〉は安部公房の『箱男』だ。

* * *


Catalyst
触媒

I awoke with a start today, determination was set
Filled with expectation, sacks of soul to collect
 今朝、ハッとして目が覚めたんだ、腹も決まった
 胸は期待でいっぱいだったし、気合いだって入ってた

But I am so fearful of the future
Ignorant of the present
And wary of the past
 だけどいまは未来が不安でしょうがなくなった
 いまのことはなんにもわかっちゃいないし
 過去は怪しいものになってしまった

And through the door
I shuffle quietly down the hall
Identical corridors and artificial lights
 ドアを抜けて
 脚を引きずりながら歩いて玄関に向かっていく
 まったく同じの廊下に、人工的なあかりが点る

The man in the box, born to set my world to rights
Effortless soon ignites the screaming in my head
 箱の中に男がいた
 おれの世界をまっとうに戻すために生まれた男だ
 あっというまにおれの頭の中で叫ぶ声がする

Reborn, the catalyst will blow my joy away
Bet you thought that I'd have so much more to say
Come save me now, come save me now
 生まれ変わってしまった、
 触媒が働いて、おれの満足なんて吹き飛ばされてしまいそうだ
 おれが言いたいことはまだまだあるって知ってただろ
 だからすぐに助けに来てくれよ、助けに来てくれ

But I am so fearful of the future
Ignorant of the present, I'm wary of the past
Well, I don't want to
But it's now a case of HAVE to
I piss away for pittance
Suck up to the man
 おれは未来が怖い
 いまはわからないし、過去も信じられない
 そんなことはしたくないけど
 だけどどうしてもそうしなきゃならないんだ
 わずかな金を使っちまうんだ
 その男におべっかをつかうために

No wonder - I'm tired
When I awoke - with - a start today
 おれが疲れちまったのもムリはないだろ
 今朝はハッと飛び起きたのに

* * *

安部公房の『箱男』というのは、タイトル通り、箱をかぶって町中を徘徊する男の話だ。
彼は箱の中から世界を覗く。人はそれを「箱」だと思っているから、だれも「彼」のことは気がつかない。

この作中に出てくる「ぼく」というのはいったい誰なのだろう。
箱の中で日記を書いている「箱男」なのか。

この「箱男」は最後に看護婦に箱を譲り渡して、箱から出る。そうしてこんどは医者がその箱のなかに入って「贋箱男」になる。

この曲も、箱に入った男がだれなのかよくわからない。
もちろん"in a box" には、途方に暮れて、とか、進退に窮して、みたいな意味もあるのだけれど、ここはもう「箱に入った男」と解釈してしまおう。
廊下でその「箱男」に会ったわけだ。そうしてその「箱男」が触媒になって、「おれ」の世界は揺らぎ始めた。この揺らぎは"set my world to rights" 「おれの世界をまっとうに戻す」ものなのだ。「おれ」は生まれ変わる。

だけど生まれ変わってどうしたのだろう?
たぶん、箱を譲ってもらったのだ。「わずかな金」で。
未来からも、現在からも、過去からも切り離されて、疲れて箱に入ってしまうのだ。

こんなふうに聴いてしまうのはもしかしたら世界中でわたしただひとりなのかもしれないけれど、やはりこの詞の根っこには『箱男』があると思う。


いまならYou Tubeでこのビデオクリップが見ることができます。
たぶん低予算で作ったビデオなんだろうけれど、何か、いろいろ工夫してあるなあ、なんて思います。

http://www.youtube.com/watch?v=9EJPV0D7i8M

(※すいません、昨夜眠くて眠くて、最後は挫折してしまったんで、多少書き直しました。こんどサイトにアップするときはもう少し書き直します)

謎めいた部屋の話

2007-03-02 22:26:11 | weblog
いま知り合いの外国人が書いた小説の翻訳をしているのだけれど、まぁ本筋とは関係ないからここで紹介してもいいだろう。こんな部分があるのだ。

彼が荷物を取りに行っているあいだに、彼女はトイレに行った。謎めいた部屋から彼女が出てくるのを待っている時間、多くの男が不思議に思っていることを考えた。なぜ、女性というものはいつも行く先々で、トイレに消えてしまうのか。この部屋で彼女たちが過ごす長い時間は、彼にとっては永遠に不可解なことだった。男は入り、そして出てくる。女は入り、永遠に消えてしまうのではないかと思われる。女性がトイレから出てくるのを外で待つために、いかに多くの時間を生涯で費やすかと考えると、不思議な気がした。

なるほど。
いずこも同じ、秋の夕暮れ、である(季節外れはわかっているのだが、どうしても「いずこも同じ…」とくると、「秋の夕暮れ」がついてきてしまうのだ)。
ショッピングモールに行っても、駅へ行っても、トイレの前にはお兄ちゃんたちが所在なさそうな顔をして、もしくは携帯を開くか、タバコを吸うかして連れが出てくるのを待っている。彼らはみな「不可解」な思いで待っているのだろう。

ところでわたしも女友だちとどこかへ行くと、どうも先に出て、外で待ってしまう。
この短編小説のなかでは、彼女は唇を濃く赤く光らせて出てくるために、彼の方は、ああ、彼女は自分のためにわざわざ化粧直しをしてくれたのだなあ、とうれしくなる、という部分が続くのだけれど、お化粧なんてしない年代の頃から、やっぱり多くの女の子はどういうわけか時間がかかるのだった。

たまに、わたしのこれまでの経験によると、五人に一人ぐらいの割合だろうか、わたしと同じように、「入り、そして出てくる」子はいたのだ。そういう子が相手だと、待つ必要もなく、とっととそこを出て、つぎの場所に向かった。
この五人に一人は、五人に一人同士が出会うのでない限り、男の子に混じって外で待つ羽目になる。
わたしはいまだに五人に四人が何でそんなに時間がかかるのかよくわからない。

ところでこのあいだこんなことがあった。
わたしがトイレから出てくると、わたしのすぐうしろを歩いていた高校の制服を着た女の子が、外で待っていた同じ制服の女の子に声をかけた。
「お待たせぇ。でも、アンタ、いっつもトイレ早いなあ」
「そやねん。けどな、みんな何しててそんなに長いん? あたし、いっつも待ってばっかりやん」

やはり、いずこの五人に一人にとっても、男性と同じように、五人に四人が謎めいた部屋で何をしているかは謎なのである。
「永遠に消えてしまうのではないかと思われる」ほど長くいらっしゃるマジョリティのみなさん、どうか何をしているか、コッソリ教えてください。

この話、したっけ ~卒業の風景 その4

2007-03-01 22:55:54 | weblog
高校の卒業式は、国立の二次試験の直前だった。
私立を終えて、合格通知もいくつか届いていたけれど、最後の試験を前に、家ではずっとゴタゴタが続いていた。

どうしても家から通えるところにしなさい。
家から通えない大学なんて受けてはダメ。
毎日朝から晩までその繰りかえしで、家の中の雰囲気は殺伐としたものだった。

母は卒業式には出るつもりはない、といい、わたしはただ、家から逃れるためだけに学校へ行った。
この学校にもう来ることもないことや、六年過ごしたことの感慨など、頭をよぎることもなく、自分のこれからを思って、ただただ不安な気持ちしかなかった。

式典のことなど、なにも覚えていない。ただ、式のあとに教室に戻って、卒業証書を丸めて筒にいれようとしたがうまくいかず、何度かやり直していたところ、「それだとできないわよ」と、教室の後ろに着物姿で立っていたどこかのお母さんがやってくれたことだけ覚えている。わたしは一番後ろの席だったのだ。

最後のホームルームも終わって、軽い荷物と筒を持ってわたしは教室を出た。校門に向かって歩いていたところで、後ろから呼び止められた。
振り返ると、そこに国語の先生がいた。

中学二年から高校二年まで、国語を習った先生。
この先生から太宰を知り、安吾の全集を借り、たとえ「小説の神様」でも、気に入らなければ批判してかまわない、いいと思わなくてかまわない、ということを教えてもらい、つまりは本の読み方の根本を教えてもらい、読み、考えるということを教えてもらった先生だった。
それでも、わたしはこの先、この先生とも会うことがなくなるとも考えなかった。
これから家に帰って、またひともんちゃくあることしか胸の内にはなかったのだ。

先生は「本、出せよ。焦ることはないからな。楽しみにしてる」と言ってくれた。
わたしはそんな日が自分に来るとはとても思えなくて、それが自分へのはなむけの言葉とも理解できなかったのだ。わたしはいったい何と答えたのだろう。

その先生と別れて校門を出て、わたしはその学校に足を踏み入れることはないまま今日まで来ている。


いつも、終わりのとき、それが終わりとは気がつかなかった。
たとえ終業式や卒業式というイベントがあっても、そのときにはすでに気持ちは先へ行ってしまい、「いま」は自分の身体が残っているだけ、そうしてその「終わり」という区切りをきちんと見て、記憶に留めることもしなかった。
それからずいぶん時間がたって、ああ、あのときがそうだったのだ、とやっと理解したのだった。

けれども、「いま」というのはもともとそういうものなのかもしれない。

これからどうなるのだろう。
自分はどうしたらよいのだろう。
日は続いていく。だから、わたしたちは未来にいったん意識を置いて、そこから「いま」をふりかえって、いまやるべきことを決めていく。

そうなると必然的に、自分の身体が置かれている「いま」をはっきりと認識することもなく、車窓から通り過ぎていく風景を眺めるように、行き先だけを気持ちの中に置いたまま、やりすごしてしまうことになる。

だからこそ、卒業という刻み目が必要なのだろう。
そのときどれだけ激しい感情を経験していても、それは日付や出来事と結びつかなければ記憶として取り出すことができない。
そのとき自分がそこにいて、どのように感じたという形でしか思いだすことができないのだ。

そうして、卒業式というのはわたしがそれまでそこで過ごしたという日付と出来事なのだろう。

わたしはいくつもの卒業式を経験した。
卒業したところで自分が変わったわけでもなく、相も変わらず同じ自分を抱えていくしかなかった。

それでも時間をおいて振り返ってみれば、そこに確かにわたしがいた。
そのとき自分が何を考えていたか。
何を思っていたか。
振り返るわたしは、刻まれた日付の、そのとき、その場の風景の中にいる。

(この項終わり・後日手を入れてサイトにアップします)