陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ウィラ・キャザー 「ポールの場合」その6.

2007-03-11 22:11:04 | 翻訳
「ポールの場合」その6.

 教師たちのなかには、ポールの想像力が変にねじ曲がったのは、安っぽい小説を読んだせいだという説を主張する者もいたが、実際には小説などほとんど読んだこともなかった。家にある本といえば、青少年の精神を誘惑したり堕落させたりするような類のものではなかったし、友だちが、これを読んでみろよ、と熱心に勧めてくれるような小説を読んではみたものの、彼が求めているようなものは、音楽の方がはるかに速やかに与えてくれるのだった。オーケストラから手回しオルガンまで、どんな種類の音楽でも良かった。ほんの小さな火花、想像力が五感を支配できるように、言葉ではとうてい言い表せないようなゾクゾクした感じを与えてくれれば、それでよかった。筋書きを考えたり情景を描いたりは、自分が持っているもので十分できるのだから。

同様に、ポールは役者志望でもなかった――何にせよ、その言葉が指す一般的な意味合いからは外れていた。役者になりたいという情熱は、音楽家になりたいと思ったことがないのと同様、まったくない。そうしたことを自分がやってみる必要は感じたことがなかった。彼が望むのは、ただ見ることであり、その場にはいっていくことであり、その波に漂うことであり、あらゆることから離れて、何海里も彼方の広い海へと運ばれていくことだったのである。

 楽屋裏で夜を過ごしたあとでは、教室は前にも増して、耐えがたい場所となった。剥きだしの床と壁、フロック・コートを着ることもなく、ボタンホールにスミレを挿すこともない、退屈な男たち。鈍い色の上着を着て、耳障りな声を張りあげ、与格を支配する前置詞について、気の毒なほど一生懸命な女たち。ほんの一瞬でも、自分がそうした教師たちのことを真剣に受けとめている、などと、ほかの生徒たちが考えることに我慢できなかった。自分はなにもかもくだらないと思っている、ここにいるのも、しょせん、冗談のつもりなんだ、と、クラスの連中に教えてやらなくては。ポールは劇団全員のサイン入りの写真を持っていたので、クラスメイトにそれを見せて、自分がどれだけ親しいか、カーネギー・ホールに出る独唱歌手とも知り合いであるか、彼らと夕食をともにし、花束を贈った、などと、まったくありそうもない話を聞かせるのだった。こうした話も威力を失って、聴衆が興味を失いかけると、やけになってみんなにサヨナラを言い、自分はしばらく旅に出る、ナポリへ、ヴェニスへ、エジプトへ行くんだ、と告げる。そうして翌週の月曜日には、へどもどした作り笑いを浮かべて、こっそりまた教室に戻ってくる。姉さんが病気になったんだよ、だから旅行は春まで延期になったんだ。

 学校でのポールの状態は着実に悪くなっていった。自分がどれほど教師と彼らのする説教を軽蔑しているか、そうして、学校以外の場所ではどれほど高い評価を受けているか、心の底から伝えたくてたまらなくなって、一度、あるいは二度にわたって、自分には定理なんかで時間を潰しているような暇はないんです、と言明したのだった。さらに――眉をひくつかせたり、神経質そうにいくぶん虚勢を張ってみせたり、という教師がひどく嫌っていることをやってみせた挙げ句に――自分は劇団の手伝いをしてるんです、劇団のみんなは、昔からずっと、ぼくの友だちなんです、とつけ加えた。

 その結果、校長はポールの父親に会いに行くことになる。退学が決まり、職に就くことになった。カーネギー・ホールの支配人は、彼の代わりにほかの案内係を雇うよう言い渡され、劇場の門番はポールを中に入れないように命令を受けた。そうしてチャーリー・エドワーズは父親に、もう二度と会ったりしません、と申し訳なさそうに謝った。

 ポールの話が伝わった劇団員たちは、ひどくおもしろがった――とりわけ女性の団員たちがそうだった。必死の思いで働いている女たちは、そのほとんどが貧乏な夫や兄を支えるためだったのだが、ポールの派手でえらく情熱的な作り話を聞いて、苦々しい思いであざ笑ったのだ。ポールの件はひどい話だ、ということで、教師たちや父親と彼らの見解は一致した。


 東部行きの列車が一月の吹雪をかきわけて進んでいた。汽車がニューアークの1.5㎞ほど手前で汽笛を鳴らすころ、空が鈍く白みはじめた。ポールは体を丸めて、不安な思いでうとうととしていた座席から身を起こし、吐息でくもった窓ガラスをてのひらでぬぐって外をのぞいた。白くなった底地の上を、雪が渦を巻き、ふきだまりは野原や柵にそって、すっかり深くなっている。吹きだまりのそこここに、丈の高い枯れた草や干からびた雑草の茎が雪の上に黒く突き出していた。点々と連なる家には灯りがともり、線路沿いに立つ工夫の一団が、ランタンを振っている。

 ポールはほとんど寝ていなかったし、自分が薄汚れたように思えて落ち着かなかった。彼は夜通し、普通車両で旅を続けていたが、それはふだんの格好のままで豪華な寝台車に乗ることが恥ずかしかったからだったし、それだけではなく、ピッツバーグのビジネスマンのだれかに、あれはダニー・アンド・カーソン商会で働いている男だ、と見とがめられるかもしれない、と考えたためでもあった。汽笛で目が覚めたとき、まっさきに胸ポケットを握りしめ、おどおどした笑顔であたりを見まわした。だが、小柄で粘土のはねがかかったイタリア人たちはまだ夢の中、通路を隔てた向こうにいるだらしのない女たちは、口を開けて眠りこけ、薄汚い、泣きやまない赤ん坊たちも、さしあたっては静かだった。ポールはいらだつ自分をなんとか抑えようと、座席に背をもたせかけた。

(この項つづく)