陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

早い定年

2007-03-05 22:24:29 | weblog
先日美容院に髪を切りに行ったら、しばらく姿を見せなかった、二年ほどまえにわたしの担当だった人が戻ってきていた。
向こうも覚えていたのだろう、「お久しぶりです」と挨拶してくれて、なんとなく話が始まった。

その美容師さんが「ずっと裏の仕事をやってたんです」というので、一瞬、わたしの頭には「裏稼業」という文字が浮かんだ。
その文字が見えたわけでもなかったのだろうが、「裏っていうのはね、店に出てお客様の相手をする仕事じゃなくて、支店の運営とか、業務の統括とかそういうことなんですけどね」と教えてくれた。

なんでも美容師というのは、三十歳がひとつの分かれ道なんだそうだ。
独立するか、マネージメントの方にを担当するか、後進の指導に当たるか。やはりメインの客筋が若い女性ということで、三十五歳を超えると、なかなか店には出られなくなってしまうらしい。
「ぼく、いま三十四なんですけどね」
やわらかい声でしゃべるその人は、少し太めで、着ているものも美容師というより、休みの日のお父さん、という感じ。確かにマネージメントの方に声をかけられるのも、なるほど、という感じだった。

その人の知り合いには、理容師の勉強をやり直して、そうした年齢制限のない理容師を目指す人もいるらしい。独立も考えないではないけれど、いまは美容院はあまりに多すぎて、「自分のお客さん」を確保した上で独立、というのもなかなかむずかしいし、「自分もあんまり、オレが、オレが、いう方やないんですよ。それやから、なかなか独立するいうのもね……」ということだった。

高校を卒業して、三年間専門学校に通って。二年ほど、下働きをして、それからなんとか一人前の美容師になるのが、順調にいっても二十四歳。それが三十でそろそろ肩を叩かれ始める、というのも、なんだかな、と思ったのだった。
そんなふうなことを言うと、
「そうなんですよ。自分もやっと自分のラインみたいなもんがわかってきたかな、ゆうころで、これからやな、みたいに思うところもあるんです。それでもね、なかなか店に出るゆうのもあれやこれやあってね……」ということだった。

ところがその店は、わたしの見るところ、かならずしも若い女性ばかりいるわけではない。男性もいるし、おばあさんが白い髪に淡い青のカラーを入れてもらっているときもある。
時間にもよるのだろうが、わたしが行くかぎりでは、決して若いオシャレな女性向け、という店ではないように思うのだ。それでも、美容師の「定年」がそんなに早いのは、やはり業界全体の支配的な空気みたいなものなのかもしれない。

やっぱり技術はこれからでしょ、とわたしが言うと、「自分もそう思うんですよ。それやから、なんとか現場に出たい、思うてね、また戻ってきたんです」と言っていた。

「昔ね、不思議やったんですよ。よぉわからん人が、いっぱいいてるんです。店には出ない、何をしてるんかよぉわからんような人がね。そういうのだけにはなりたないですけどね」

わたしは、がんばってくださいね、と力を込めて言ったのだった。