陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ジェイムズ・サーバー 『マクベス殺人事件』前編

2006-07-21 22:21:23 | 翻訳
二夜に渡ってジェイムズ・サーバーの「マクベス殺人事件」の翻訳をお送りします。ごく軽い、あはは、と笑える読みものですが、シェイクスピアの『マクベス』をご存じでなければ、まったく意味がわかりません。ご存じでない方は、ぜひこれを機会に『マクベス』をお読みになってください。

原文はhttp://www.sd84.k12.id.us/SHS/departments/Language/edaniels/English%20IV%20(H)/Macbeth/MacbethThurber.htmで読むことができます。

「マクベス殺人事件」(前編)

by ジェイムズ・サーバー



「それがとんだ勘違いだったってわけ」
そう言ったのはアメリカ人女性、わたしたちはイギリスの湖水地方のホテルで知り合ったのだ。
「だけど、カウンターの上にほかのペンギンブックスと一緒に置いてあったのよ――あの六ペンスの薄っぺらいやつ、ペーパーバックの。だもんだから、これももちろん探偵小説だって思っちゃったのね。だってほかのがみんな探偵小説だったんだから。ほかは全部読んだことがあるものばっかりだったから、中味をよく見もしないで買っちゃったってわけ。で、それがシェイクスピアだってわかって、どのくらい頭に来たか、わかるでしょ」
私は、わかりますよ、といったようなことをもごもごと言った。
「ペンギンブックスの社員は、どうしてシェイクスピアの戯曲を大きさも何も探偵小説とおんなじにして出版しなきゃいけないのかしら」と、相手の不満はつづいていく。
「表紙の色が違ったようにおもいますが」と私は答えた。
「そうかしら、それには気がつかなかったけど。ま、わたしったらその晩、すっかりいい気分でベッドに入って、おもしろいミステリを読む準備がすっかり整った、ってところで、自分が手にしてるのが『悲劇 マクベス』だったわけ……高校生のための本でしょ、『アイヴァンホー』なんかと一緒の」
「あるいは『ローナ・ドゥーン』のような」
「そうそう。おまけにそのときちょうどアガサ・クリスティかなんかのおもしろいものが読みたくてしょうがなかったわけ。エルキュール・ポワロはわたしが大好きな探偵なの」
「気の弱い探偵でしたっけ?」
「あら、全然ちがうわよ」と犯罪小説専門家はのたまった。「ベルギー人の方よ。あなたが言ってるのは、ミスタ・ピンカートン。ブル警部を助ける人(※デヴィッド・フローム
『警視庁から来た男』)でしょ。ピンカートンもいいけど」

相手は二杯目の紅茶を飲みながら、自分が完璧に騙された、とある探偵小説のあらすじを話しはじめた――最初から最後まで、古くから一家の主治医をやっている人物の仕業であると思っていたらしい。けれども私は口を挟むことにした。
「それで『マクベス』はお読みになったんですか」
「そうするしかなかったんだもの。部屋中探したって、活字のカケラすらなかったんだし」
「お気に召しましたか」
「いいえ、ちっとも」と彼女は断定した。「そもそも、マクベスがやったなんて、わたし、一瞬だって信じてないわ」
私はあっけにとられて顔を見た。
「なにをやったんですか」
「わたしが言ってるのは、マクベスが王を殺しただなんて、とてもじゃないけどあり得ない、ってこと。もうひとつ、あのマクベスの女が共犯だなんてこともね。当然、だれだってあの夫婦が一番怪しいですものね、だけどそういう人が犯人だなんてことはあり得ないの――ともかく、そうであるべきなのよ」
「よくわからないのだけれど、つまり私には……」
「でも、こういうものでしょ、誰がやったかなんてすぐにわかったら、おもしろいことなんてなくなるわ。シェイクスピアはそのことなんて頭がいいからお見通し。前に読んだことがあるけれど、『ハムレット』で犯人を見破った人って、いないんですってね。そのシェイクスピアが『マクベス』でそんなに見え透いたことをやると思う?」
パイプにたばこをつめながら、わたしは最初からもういちど考えた。
「あなたは誰を疑っておいでなんです」唐突にわたしは聞いてみた。
「マクダフよ」すかさず彼女が答えた。
「おやおや」わたしはそっとつぶやいた。

(以下後編へ)