陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ジョン・チーヴァー 「泳ぐ人」その1.

2006-07-06 21:58:37 | 翻訳
今日からジョン・チーヴァーの短編"The Swimmer"(「泳ぐ人」)を訳していきます。
原文はhttp://ee.1asphost.com/shortstoryclassics/cheeverswimmer.htmlで読むことができます。

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泳ぐ人   by ジョン・チーヴァー


 その日は、いかにも真夏の日曜日らしい、だれもが座りこんでこんなことを言いたくなるような日だった。「ゆうべは飲み過ぎた」。それは教会から帰る途中の信者たちがひそひそ交わす声だったのかもしれないし、あるいは法衣のキャソックを脱ごうと苦労している神父の唇から漏れたつぶやきかもしれない。ゴルフコースやテニスコートから聞こえてきたのか、ひどい二日酔いに悩まされているアイオワ州オーデュボン支部のリーダーが呻く野生生物保護区域から聞こえてきたのか。
「飲み過ぎた」そう言ったのはドナルド・ウェスタヘイジーだった。
「飲み過ぎちゃってるのは、みんな一緒よ」ルシンダ・メリルが答えた。
「たぶんワインのせいよ」ヘレン・ウェスタヘイジーが引き取る。「クラレットを飲み過ぎたの」

 そこはウェスタヘイジー家のプールサイドだった。掘り抜き井戸から鉄分の多い水が流れ込むプールは、かすかに緑がかっていた。よく晴れた日だった。西の方角にはむくむくと積乱雲が湧きあがり、遠くから見た――岸に近づく船の舳先から見る――街の光景のようでもあり、名前がついていても不思議はなかった。たとえばリスボン。あるいはハッケンサック。

日差しが照りつける。ネディ・メリルは緑色の水の傍らに腰を下ろし、片方を水に浸し、もう片方の手はジンのグラスを握っていた。ネディはしなやかな体つきをしていた――若さに特有のしなやかさともいえた――が、実際はもはや若くはなく、にもかかわらずその朝も、自宅の階段の手すりをすべりおり、玄関ホールの台に載ったブロンズのアフロディテ像の背中にパンチを食らわせ、コーヒーのいい匂いがただようダイニング・ルームに駆けこんだのだった。

ネディを、ある夏の日に喩えることができるかもしれない。とりわけ、ある夏の日の終わりの数時間に。テニスのラケットだか、帆布カバンといったものはもはや持っていなかったけれど、若さやスポーツや穏やかな天気といったイメージをかきたてるものがネディにはあった。

さきほどまでずっと泳いでいたネディは、いま、深呼吸を繰り返していた。肺のなかにこの瞬間を、夏の熱気やはげしいよろこびを呑み込もうとでもするかのように。なにもかもが胸いっぱいに満ちてくるように感じていた。ネディの家は、バレット・パーク、ここから十キロほど南にあり、そこでは四人のかわいい娘たちが、昼食を食べたり、テニスに興じたりしていることだろう。不意に、ネディは南西の方角に向けてジグザグに水路をたどって家に帰れることに気がついた。

 ネディはしばられない生き方をしていたし、この発見はたいそう喜ばしいものだったので、実行しないほうがいい理由など見つからない。あたかも地図制作者の目で、プールの帯、郡を横切る表面には現れない擬似水路を見ているかのようだった。自分は発見を、現代地理学に寄与するような発見をしたのだ。妻の名にちなんで、この水路にルシンダという名前をつけようと思った。別にわるふざけが好きなわけではなかったし、バカでもなかったけれど、断固として独創的でありたかったし、自分のことをばくぜんと、ごく穏やかな感じ方ではあったけれど、どこか伝説の登場人物のように感じているところもあった。その日は美しい日で、長い距離を泳いでいくことは、この日をいっそう美しくするものであり、祝うものであるようにも思えたのだった。

(この項つづく)