陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

リング・ラードナー 「散髪」その4.

2006-07-29 22:18:32 | 翻訳
「散髪」4.


 でも、やつはかみさんを出し抜くだけじゃ満足できなかった。かみさんが自分の給料を横取りしようとしたことが、そりゃ頭に来てたんですね。だからきっちり借りを返してやることにしたんです。そのうち、エヴァンズ・サーカスがこの町にやってくるという知らせを見た。だからかみさんとふたりの子供に、サーカスに連れてってやる、って言ったんですよ。当日になると、自分はチケットを買っとくから、おまえらはテントの入り口のところで待っておけ、と。

 ま、ジムはそこに行くつもりも、チケットを買うつもりも、これっぱかりもなかった。ジンをしこたまかっ喰らって、ライトの玉突き場でごろごろしてたんです。かみさんと子供が待てど暮らせど、そりゃもちろん、やつが現れるはずがない。かみさんは十セント硬貨一枚、持ってきてない、おそらくそんなものどこにも持っちゃなかったんでしょうが。だから、とうとう子供たちに、どうしようもないから帰ろうって言ったんです。そしたらおチビさんたちは泣いて泣いて、どうにも泣きやまなくなっちまった。

 そしたら、なんでも泣いているさなかに、お医者さんのステア先生が通りかかったらしいんです。で、どうしたんです、って聞きなすったが、ケンドールのかみさんもがんこでさ、わけなんて話そうとはしない。けど、チビどもが代わりにしゃべっちまって、先生は、どうあっても見に行きなさい、って承知しなかった。そのことをジムはあとで知ったらしいんですが、どうやらそのことでステア先生には腹に一物、持つようになったらしい。

 ステア先生っていうのは、一年半くらい前に、ここにいらした方なんです。そりゃ男っぷりのいい若い人でね、おまけに、いつもあつらえたような服を着てらっしゃる。年に二回か三回、デトロイトにいらっしゃるんで、おそらくそっちにいるあいだに仕立屋で寸法を取らせて、スーツを作らせてるのにちがいありません。店で買うのにくらべりゃ二倍がとこ、かかるんでしょうが、そりゃもうぴったりくる感じは、全然ちがってまさぁ。

 しばらくはみんな不思議に思ってたんですよ、ステア先生みたいな若いお医者さんが、なんでこんな町にやって来たのか、おまけにここにはもう、大昔からギャンブル先生とフット先生っていうお医者がいて、町の人間はこのふたりのどちらかにかかってるんですからね。

 そこでこんな噂が広まった。ステア先生はミシガン州北部の半島のへんで、娘っこに肘鉄喰らったんで、ここに逼塞して、忘れようとしてるんだ、ってね。ご自身では、開業医としてここみたいな町でやっていくことが一番、医者としてあらゆる方面に長けるのに向いてるんだ、っておっしゃってましたが。だからここにいらっしゃったんだそうですよ。

 ともかく、ステア先生が医者として十分やっていけるようになるのに、そんなに時間はかかりませんでした。とはいえ、人の話だと、先生は医療費が払えない患者でも、払えと催促するようなことは決してなさらなかったんだとか。ところがここの連中ときたら、借りっぱなしにしちまうクセがあってね、あたしの商売にしてからがそうなんです。実際、ひげをあたった料金をまるっぽもらえるだけで、あたしもカーターヴィルに行って一週間マーサー・ホテルに泊まって、毎晩ちがう映画を見ることだってできるでしょうね。ジョージ・パーディの親爺ときたら……おっと、人の悪口は止しにしなきゃね。

 ともかく、去年のことです、この町の検死官が亡くなった、流感で亡くなったんです。ケン・ビーティっていう名前でしたが。ええ、検死官をやってたんです。だもんだから、かわりに他の人を選ばなきゃならなくなって、ステア先生はどうか、っていう人たちが出てきた。ステア先生は最初のうち、笑って、そういうことはご免被る、って言ってらしたんですが、結局は、やってみる、って言わされちまった。この仕事は人を押しのけてでも就きたくなるようなもんじゃありませんし、年間通しての報酬だって、庭の花の種が買えるぐらいのものですからね。だけど先生って人は、人にしつこく言われたら、なにごとであれ、いやとは言えないタイプの人だったんですね。

 おっと、もうひとり、この町のかわいそうな若いもんの話をしようと思ってたんだ、ポール・ディクスンっていうやつなんですがね。十歳ぐらいの時、木から落っこったんです。で、頭を打ったのがもとで、どうもぴりっとしなくなっちまったんです。別にどっか支障があるってわけじゃないんですが、ただちょっとどんくさいんですよ。ジム・ケンドールはよくこいつのことを「カッコウ」って呼んでましたけどね。やつは頭がいかれたやつならだれでもそう呼んでたんです。ただジムは人の頭のことを「ドタマ」って言ってた。これまたやつの冗談ですよ、頭を「ドタマ」と呼び、おかしなヤツのことを「カッコウ」と呼ぶなんてね。ポールは別に頭がおかしい、ってわけじゃなかった。ただ、ちょっとどんくさいだけで。

 ジムのことだから、ことあるごとにポールをからかったのはおわかりでしょう。ポールをホワイト・フロント修理工場へ、左利き専用のモンキー・レンチを取りに行かせたんです。もちとん左利き専用レンチなんてものがあるわけがありません(※原文left-handedには「左利き」という意味の他に「左巻き」ということを意味する場合がある)。

 そうそう、こんなこともあったな、この町で品評会があったんですが、そこででぶっちょのチームとやせっぽちのチームが野球の試合をしたんです。始まる前にジムはポールを呼んで、シュレイダー金物店へ行って、ピッチャー・ボックスを開ける鍵を買ってこい、なんて命令するんです(※もちろん「ピッチャー・ボックス」などというものはない。これは「バッター・ボックス」にちなみ、なおかつ「ボックス(=箱)」をあける鍵とも掛けてある)。

 ひとたび、いたずらとなると、ジムがその気になりさえすりゃ、思いつかないことなんて何ひとつありませんでしたね。

 かわいそうなポールはいつだって人に気を許したりできないみたいでした。それもきっとジムから絶えずからかわれたせいなんでしょうが。ポールはだれとも関わろうとしなくなってたんです、自分のおふくろと、ステア先生と、あと、この町に住むジュリー・グレッグっていう娘をのぞけばね。あ、ジュリーってのはほんと言うと、娘っこじゃないな、三十近いか、過ぎてるか、ぐらいでしょうからね。

 ともかく先生がここにいらしてからこっち、ポールは本物の友だちを見つけた、とでも思ったんでしょう、四六時中、先生の診療所に入り浸ってました。そこらへんにいないときといったら、自分ちに帰って、メシを食ってるときか、眠るときか、あとはジュリー・グレッグが買い物に行くのを見つけたときぐらいだったでしょう。

 診療所の窓からジュリーを見かけたら、階段を転げるように降りてって、ジュリーにくっついて、いろんな店に入っていくようなことをしてたんです。このかわいそうなやつは、もうジュリーにくびったけで、ジュリーの方もとびきり優しくしてやって、いつでも来ていいのよ、みたいに思わせてたんでしょう、ま、もちろん、彼女からすればただかわいそうに思ってたってだけなんでしょうが。

 先生のほうはポールの頭を少しでも快復させようと手を尽くしてらっしゃったし、あたしもこの耳で聞いたんですが、あの子は前よりよくなってる、時によっては、普通の人間と変わらないくらい、利口だし分別もあるよ、なんておっしゃってましたっけ。

(この項つづく)


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