陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

月桂樹

2006-07-25 21:56:20 | weblog
昨日は天気予報によると一日中雨だったので、朝、傘をさして仕事にでかけた。
ところが昼過ぎには上がっていて、帰りは薄日がさし、空気には雨の匂いがまだこもり、まだらになったアスファルトから湯気が立ち上る中を、閉じた傘をぶらさげて歩いて帰ってきた。

毎日行き来する道ではあるけれど、自転車と徒歩ではずいぶんちがう。
塀から歩道に顔をのぞかせているサルスベリも、芙蓉も、木槿も、ふだんよりずいぶんゆっくりと見ることができる。

途中、一軒の家の前で、剪定して切り落とした木の枝をたばねている人の脇を通りかかった。歩道一杯に枝やら葉やらが落ちている。腰をかがめてビニールひもで結わえている人にぶつからないよう、「すいません」と声をかけた。

「ああ、どうも、邪魔でしょ、ごめんなさいね」
そう言って立ち上がったのは、五十代半ばぐらいの女の人だった。長めのゴム手袋をはめている。
「もう月桂樹が伸びてねえ、どうしようもなくなったから、ずいぶん刈り込んだら、えらいことになってしまって」
「あ、月桂樹なんですね、向こうから、何か匂うなと思ってたんです。ローリエの匂いなんだ」
空気も雨をふくんでいるせいか、切り落とした枝からただよう木のにおいはどこにもいかず、みっしりとした固まりのように、あたりを覆っていた。
「ローリエ、使わはる? 使わはるんやったら、持って帰って」
「じゃ、何枚かいただきます」
わたしが落ちた葉っぱを拾おうとすると、
「これ持っていき」と、かなり大きな枝をそのままくれた。煮込み料理のたびごとに、たとえ三枚ずつ使っても、優に一年分はたっぷりありそうなぐらい葉っぱがついている。
「これ、取って干したらいいんですか?」
「枝のまま置いとったらええよ、必要なだけ、そのたびに取ったら」
それにしても、こんな大きな枝を置くような場所はウチの台所にはないなぁ、と思いながらも、その深い香りがいつも家の中にある、というのは、悪くないもののように思えた。

アポロが追いかけたとき、美しい少女だったダフネは、逃げて、逃げて、とうとう捕まりそうになったときに、一本の木になった。それが月桂樹である。
そこの家の塀越しに見上げた木は、美少女というにはずいぶん大きかったけれど、その大ぶりの枝は、どことなく少女が天に向かってさしのべた腕のように見えないこともなかった。

左手でトートバッグと傘を持ち、肘を少し曲げて右手を体の前に持ってくるようにして、月桂樹の枝を下げてわたしは家に帰ったのだった。

あとでスーパーに行って鶏の胸肉を買ってきて、タマネギやニンジン・セロリ、あとローリエもたっぷり入れて味を染みこませ、蒸し鶏にしてサラダを作った。


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サイト、やっと更新できました。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/
またお暇なときにでも遊びに来てください。
それじゃ、また。