陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

単語を知らないとき

2006-07-15 22:23:33 | weblog
英語を話そうと思えば、ある程度の単語は知っていなければどうしようもない。
ときどき、「日常会話程度なら(しゃべれる)」という人がいるのだけれど、その人が一体どの程度の意志疎通をもって「日常会話を交わしている」と言っているのだろう。
扱う話題が限定されない「日常会話」というのが、結局は一番難しいような気がする。
さらに、単語をつなげただけでもコミュニケーションは可能である、という、大胆な見解を持っている人までいる。
けれども、日常会話に要求される単語というのは、おびただしいほど幅が広い。
まったく知らない固有名詞を説明するために、いったいどれほどの「単語をつなげる」必要があることか。


その昔、まだまだボキャブラリも少なかったころの話だ。
外国人留学生と一緒にパスタを食べに行って、メニューの解説を求められた。
〈ミートソース〉というのはスパゲティ・ボロネーゼ、〈ペスカトーレ〉というのはトマトソースのシーフード、〈キノコクリーム〉というのはマッシュルームのクリームソース、……〈たらこスパゲティ〉タ、タラコ? タラコって英語でなんというんだ?
タラの卵だからタラコなんだよね、じゃ、タラって何だ??

困ったわたしはこのように説明したのである(一応英語で)。
「ケンタッキー・フライドチキンでフィッシュフライがあるでしょ、あの魚の卵をバターと塩であえて、バジルと一緒にパスタに混ぜてあるの」
ケンタッキー・フライドチキンの魚がタラであるのかどうなのかわたしにはよくわからなかったのだけれど、タラを意味する"cod" という単語を知らなかったのだから仕方がない、とりあえずあれはタラだということにして、その魚の卵(英語には魚の卵を意味する"roe" という単語があるのだが、当然そういうことは知らなかったので"fish egg"と言ったわけである)であるのだと説明した。すると、相手は眉間に皺を寄せて、おまえら日本人はそういう奇怪なものを食べるのか、という顔でこちらをしばらく見たあと、「自分はマッシュルームのクリームソースにする」と宣言した。
おそらくその判断の大きな根拠に、わたしの怪しい説明がなっていたことは間違いなかろう。

それから何年かして、それなりにボキャブラリも増え、英会話教室でバイトするようになって、英語で話す機会も格段に増えた頃、講師の一人とパスタを食べに行ったのだった。
そこでもまたメニューの説明を求められ、ひとわたり説明して注文を終えた後、そこにあったタラコスパゲティから昔の会話を思い出し、その講師に、自分が"cod roe"という単語を知らなかったばかりに、わざわざケンタッキーから話を展開したことを話した。彼がタラコスパゲティを食べなかったのは、きっとその「フィッシュフライの卵」なんて食べられるか、と思ったからにちがいない、と。

するとその講師は、うーん、と考えて、確かに自分もケンタッキーのはタラじゃないと思うけど、と前置きしてから、アメリカ人は普通、魚の卵は食べない、キャビアだって気持ちが悪いと思う人も少なくない、と宥めてくれた。かならずしも、ケンタッキーから展開した説明のせいではないと思うよ。

わたしの乏しい経験によると、英米人というのは、とにかく説明を求めてくる。あれは何? これは何? あれは何のためのもの?

講師「日本人の家に行ったら、玄関に赤い丸い、片目だけ白い人形があった。あれは何? 何のために片目なの? 三軒に行ったら三軒ともあったから、日本人の家にはすべてあるのだろう」
わたし「あれは〈だるま〉といって、昔から伝わる人形。片目が白いのは、願い事をするため。願い事が叶ったら、その白い方も黒く塗って両眼を開けてやるの。別に日本人の家に必ずあるわけじゃない(いったいどこに行ったんだ? 普通の家にはだるまなんてないぞ)」

講師「神社(Japanese shrine)と寺(Japanese temple)ってどうちがうんだ」
わたし「ジャパニーズゴッドがいるのがシュラインで、ブッダがいるのがテンプル(ちがうような気がする……)」

講師「レストランに行ったら例の模型があった。黄色いクレープみたいなものにケチャップがかかっているのはあれはなんだ?」
わたし「あれはケチャップ味のピラフの上にオムレツがのせてあるの。オムレツプラスライスで、オムライスって日本語では言う」
講師「わはは、それは嘘だ、ぼくを騙そうっていったって、そうはいかないぞ!」

この三つの例で唯一正確なのは最後の説明だと思うのだけれど、とにかくわたしもずいぶん誤った知識をこうやって垂れ流してきたにちがいない。

どうもみなさん、すいません。