陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

リング・ラードナー 「散髪」その5.

2006-07-30 22:06:03 | 翻訳
「散髪」その5.

 そうそう、あたしが話したかったのは、ジュリー・グレッグのことでした。先代のグレッグは材木を商っていてね、ところが酒に飲まれちまって、身代をすっかり潰した挙げ句に死んじまったんです。残ったのは屋敷と娘がかつかつ生活していけるぐらいの保険金だけ。

 おふくろさんは半ば病人みたいな状態で、ほとんど家から出ることもなかった。おやじさんが亡くなってからというもの、ジュリーは屋敷なんぞ売っぱらっちまって、どこかよそに移りたいと思ってたようですが、おふくろさんときたら、わたしはここで生まれたのだから死ぬのもここよ、とかなんとかそんなことを言ったらしい。ジュリーにしてみりゃかわいそうな話です、なにしろこの町の若い連中ときたら――ま、何です、やつらにゃもったいなさ過ぎる娘ってことです。

 ジュリーはよその学校へ行ってますし、シカゴだってニューヨークだって、もっとほかの場所だって行ったことがある、だもんだから、どんな話題にだってついていける。そこへもってきて、ほかの連中と来た日には、グロリア・スワンソンだの、トミー・メイハンだの、映画スター以外の話でもしたもんなら、おまえ大丈夫か、ってなもんだ。そりゃそうと、お客さんはグロリアの『美徳の報い』はごらんになりました? え? そりゃ惜しいことしましたねぇ。

 ともかくステア先生がいらっしゃって一週間もしないころ、先生はウチにひげを当たりに見えたんですよ。あたしは誰だかすぐにわかりましたね、まるで指さして教えてもらったみたいに。だからあたしはうちのおふくろの話をしたんだ。うちのおふくろはここ数年ずっと具合が悪くて、ギャンブル先生にかかっても、フット先生にかかっても、ちっとも良くならない、って。そしたら、往診に行くのはかまわないけれど、外出できるようなら診療所の方へ連れてきてもらえないか、そのほうが細かい検査もいろいろできるから、っておっしゃってくれたんです。

 だからあたしはおふくろを診療所に連れてって、見てもらってるあいだ、待合室で待ってたんです、そこへジュリー・グレッグがやってきた。ステア先生の診療所にだれか入ってくると、奧の診察室のベルが鳴って、だれか見てもらいに来た人がいる、と、先生にわかる仕組みになってるんです。

 そこで先生はおふくろを診察室に残したまま、表の部屋に出てきました。それが先生とジュリーが初めて会った瞬間だったんです。一目惚れってえのは、ああいうのを言うんだろうな。だけど、そいつは五分五分じゃありませんでした。この若いお医者は、ジュリーがこれまでここで会った中でもとびっきりのいい男です、だから夢中になっちまったんだ。先生からすりゃ、ジュリーも自分のところへ来た、ただの若い娘にすぎなかっただろうね。

 ジュリーがそこへ来たのも、あたしと同じ理由でした。ジュリーのおふくろさんも、もう何年もギャンブル先生とフット先生に診てもらってるんだが、ちっともよくならない、って。この町に新しい医者が来たことを聞きつけて、一度診てもらうことにした。先生はその日のうちに、ジュリーの母親を診に行くって約束してました。

 あたしは彼女の側からの一目惚れって言いました。それはあとになってジュリーが見せたふるまいから、そう判断したってだけじゃない、ジュリーがあの日、診療所で先生をどんな眼で診ていたか、ってことなんですよ。あたしには人の心を読む力なんかないけれど、あのときのジュリーの顔には、一目で彼に参った、って、書いてありましたっけ。

(この項つづく)


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