陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ジョン・チーヴァー 「泳ぐ人」その3.

2006-07-09 22:16:21 | 翻訳
「泳ぐ人」その3.

 荒れ模様になりそうだった。積乱雲の固まり――雲の街――が発達しながら黒ずんできており、そこにすわっていると、ふたたび雷鳴が遠い太鼓のように響いてくる。デ・ハヴィランド訓練機は頭上でいまだ旋回を続けており、ネディは昼下がり、喜びに震えるパイロットの笑い声が聞こえてくるようにさえ思った。だが、もういちど雷鳴が轟いたので、家路を急ぐことにした。

列車の汽笛が聞こえて、いま何時ぐらいだろうと思った。四時? 五時? 地元の駅のこの時間帯の様子を思い浮かべる。タキシードを上に羽織ったレインコートで隠して列車を待つウェイター、新聞紙でくるんだ花束を抱えるちんちくりんの男、ずっと泣いていた女も各駅停車を待っているだろう。

にわかにあたりは暗くなった。豆粒のような脳しか持たない小鳥が、やってくる嵐を鋭く察知して、雨の歌を歌い始めるようなころあいだ。そのとき、背後のオークの木のてっぺんから水が吹き出す音が、蛇口をひねりでもしたかのように、はっきりと聞こえてきた。すぐに、どの木の頂きからも噴水が降り注いだときのような音が響いてきた、

なんで自分は嵐がこんなにも好きなんだろう。ドアがばたんと開いて、雨風が階段の上のほうまで叩きつけるのを見ると、どうしてわくわくしてしまうのだろう。どうしてあんなに単純な仕事、たとえば古い家の窓を閉めるようなことが、そうしなければならない重大な任務のように思えていたのだろう。どうして暴風が吹きつけたときに最初に聞こえてくる雨音が、まごうかたなき良いニュース、よろこばしく胸躍る吉報のように思えるのだろうか。爆発音が轟き、火薬のような臭いがたちこめたかと思うと、雨が日本提灯を叩きつけた。レヴィ夫人が一昨年かそこらに京都で買ったものだ、もっと前だったか。

 嵐が治まるまで、レヴィ家のあずまやで雨宿りすることにした。雨のために空気はひんやりとしている。カエデの赤や黄色になった葉は風に吹き飛ばされ、芝生やプールに散った。いまは真夏だから、おそらく木が枯れているのだろうが、ネディは秋の兆しを感じて、ものがなしい気分に浸った。肩に力をこめて、グラスを干すと、ウェルチャー家のプールに向かって歩き出した。そのためにはリンドレー家の乗馬コースを横切らなければならなかったのだが、おどろいたことに草がぼうぼうと繁り、跳躍台がすべて壊れてしまっていた。リンドレー家の人々は、馬を売るか、避暑に出かけるあいだ、馬をどこかに預けたかしたのだろうか。一家や馬のことで何か聞いたような気もしたが、はっきりしなかった。湿った草を裸足で踏みながら、ウェルチャー家の方に歩いていったが、そこのプールは水がすっかり落としてあった。

 つながっていくはずの水路が断ちきられたことで、ネディは自分でも意外なほど失望し、なんだか自分がほとばしる水源を求めて干上がった川を探検家になったように感じた。がっかりもしていたけれど、狐につままれたような気もする。夏のあいだ、どこかへいくということはよくある話だが、プールを干上がらせるようなことは、ふつうならしない。どう考えてもウェルチャー家は越していったのだ。

プールの備品は折り畳んで積み重ねてあり、防水シートが上からかけてあった。更衣室は施錠されている。家の窓はすべて閉め切ってあり、私道から正面にまわると、木に『売り家』という札が打ちつけてあった。ウェルチャー家の話を最後に聞いたのはいつだったか、つまり、自分とルシンダが、ウェルチャー家に食事を招待されて、行くのがいやだと最後に思ったのは、いつのことだったか。一週間か、そんなものだろう。

記憶力が減退したのか、それとも不愉快な出来事は抑圧するように自分を訓練した結果、真実の感覚のほうが歪んでしまったのだろうか。そのとき、遠くの方からテニスの試合をしている音が聞こえてきた。そのおかげで気分が明るくなったネディは、不安な気持ちを払いのけ、曇った空も冷たい空気も何でもないのだ、と思おうとした。今日はネディ・メリルが郡を泳いで横断する日なのだ。いい日じゃないか! ネディにとってはもっとも厄介な、陸路の行程に着手していった。

(この項つづく)