(承前)
「ええ、マクダフです、そういうこと」この殺人事件のスペシャリストは言葉を継いだ。「エルキュール・ポワロがいれば、すぐつかまっちゃったでしょうね」
「どうしてそれがわかったんです」
「そりゃ、わたしもすぐにはわかったんじゃないの。最初はバンクォーを疑ったわけ。だけど、ほら、バンクォーもつぎに殺されてしまうでしょ。あそこはたしかによくできてたわ、あの箇所は。最初の殺人で疑われる人って、つぎの被害者になることに決まってるのよね」
「そうなんですか?」わたしはおずおずと意見を口にしてみた。
「ええ、もちろん」と、情報提供者は請け合う。「作家なんてものは読者を驚かせ続けなきゃならないんだから。ともかく二番目の殺人のあとじゃしばらくは誰が犯人だかわからなかった。」
「マルコムやドヌルベインはどうでしょう、王の息子の?」私は聞いてみた。「私の記憶では、息子たちは最初の殺人事件があった直後に、そそくさと国外へ行ってしまうんじゃありませんでしたっけ。なんだか怪しげじゃないですか」
「怪しすぎるのよ」とこのアメリカのご婦人はのたまう。「あまりにも怪しすぎるの。逃亡する人間は、絶対に犯人じゃありません。賭けてもいいわ」
「なるほど。ブランデーを飲むことにしよう」私はウェイターを呼んだ。話し相手は目を輝かせ、紅茶のカップをわななかせながら、こちらに身を乗り出してきた。
「ダンカンの遺体を発見したのはだれだったか覚えていらっしゃる?」
私は、申し訳ないが記憶にないと答えた。
「マクダフが見つけるのよ」彼女の語りには歴史的現在形がまざりはじめた。「それから階段を駆けおりてきて叫ぶの。『破壊の手が、神の宮居を毀ちけがし』とか『極悪非道の弑虐、その命を奪いとったのだ』なんてことをべらべら続けるわけ」この善良なる夫人はわたしの膝を叩いた。「そんなもの全部、前もって練習してきたせりふよ。そうでもなかったら、あんなに長たらしいこと、言えますかって。その場の思いつきでなんて――死体を発見した、なんてときに」私を見据える目はぎらぎらと光っている。
「わ、私には……」と私は言いかけた。
「そのとおり! ふつうならできっこない。前もって練習でもしてなかったらね。罪のない人間だったら『なんてこった、人が死んでるぞ』なんてこと言うぐらいがせいぜいよ」眼に満足の色を浮かべて、その身をどさりと椅子にあずけた。
私はしばらく考えた。「では第三の刺客についてはどうお考えです? 第三の刺客は『マクベス』研究家を三百年、悩ましてきたことですが」
「それは、その人たちがだれもマクダフのことを考えてなかったからよ」アメリカ人女性は言った。「あれはマクダフです。それは確か。被害者のひとりが、そこらへんのチンピラ二人組にやられるようなことがあってはならないの――殺人者は絶対に重要人物でなくちゃならないのよ」
「しかし、あの祝宴の場面はどう考えたらいいんです」少し間を置いて私は続けた。「そこでマクベスは罪の意識にとらわれた行動を取る、バンクォーの幽霊が登場して、マクベスの椅子に腰掛けたときです」
夫人はまた身を乗り出して、私の膝を叩いた。
「幽霊なんていなかったのよ。あんなに図体の大きな堂々たる男が、あっちやこっちでお化けを見て回るなんてことがあるはずがない――とくに、灯りが煌々とついた宴会場で、何十人っていう人がまわりにいるときに。マクベスはある人物をかばったの」
「だれをかばったんです?」
「マクベス夫人に決まってるじゃない。マクベスは、自分の女房がやったんだ、と考えて、自分が罪をかぶろうとするの。亭主っていうのは女房が疑われたらたいていのときそうするもんよ」
「でも、そうなると夢遊病の場面はどう考えたらいいんです?」
「同じことよ、ただ役割が逆転したってだけ。こんどは奥さんがダンナの方をかばったの。眠ってりゃしないわよ。あのト書きを覚えてない?『マクベス夫人、蝋燭を持って登場』」
「覚えてます」
「夢遊病の人が灯りを持って歩くわけがないでしょ!」この友人である旅行者はこう言ってのけた。「ああいう人には予知能力があるの。灯りを持って歩く夢遊病の人の話なんて、聞いたことがないでしょ?」
「確かに」
「ってことは、つまり、眠ってるんじゃなかったのよ。マクベスをかばうために、いかにも怪しげにふるまったの」
「ブランデーをもう一杯飲むことにしよう」そう言ってわたしはウェイターを呼んだ。ブランデーが運ばれてくると、わたしはぐっと飲み干して立ち上がった。
「お話には確かに一理あります。『マクベス』をお貸しいただけませんか? 私も今夜、読み返してみたいのです。何というか、いままでいちどもちゃんと読んだことがなかったような気がするので」
「持ってきてあげるわ。わたしが正しいって、あなたにもわかるはず」
その夜、私は戯曲を注意深く読み返し、翌日朝食を終えると、件のアメリカ人女性を捜した。彼女はパット練習場にいたので、わたしはそっと後ろから近づいて、腕を取った。驚いた彼女は大きな声を出した。
「ふたりきりでお話ができませんか?」声を潜めてそう言った。
平静を装った彼女を後ろに従えて、私はひとけのない場所に行った。
「何かおわかりになりました?」彼女は息をはずませている。
「つきとめました」誇らしげにそう言ってやる。「殺人者の名前を」
「マクダフじゃないとでも?」
「マクダフはいずれの殺人とも無関係です。マクベス及びその夫人同様にね」
私は持ってきた戯曲を開いて、第二幕第二場を示した。「ここです、ここでマクベス夫人はこう言う。『あいつたちの短剣は、あそこに出しておいた、見つからぬはずはない。あのときの寝顔が父に似てさえいなかったら、自分でやってしまったのだけれど』これ、どうお考えです?」
「別に」アメリカ人女性はにべもない調子で言った。「特に何とも」
「簡単なことじゃありませんか! なんで昔読んだときには気がつかなかったんだろう。ダンカンがマクベス夫人のお父さんの寝顔にそっくりだったのは、実際にお父さんだったからなんですよ」
「おやおや」相手はそっと言った。
「マクベス夫人のお父さんが王を殺したんです。そこに誰かが来る気配がしたので、死体をベッドの下に押し込んで、自分がベッドにもぐりこんだんですよ」
「だけど、話に一回しか出てこないような人間が、殺人者のはずがないわ。そんなことはありえない」
「それも考えました」そう言って、私は今度は第二幕第四場を開いた。「ここに『ロスが老人と登場』とある。ほら、この老人は誰とも書いてない。私の読みではこれがマクベス夫人の父親なのです。自分の娘を后にしようという野心を秘めた。動機もあります」
「だけど、それにしても」アメリカ人女性は悲鳴に近い声を出した。「彼はほんの端役よ」
「いいえ」わたしはうれしさがこみあげてきた。「この老人はさらに三人の妖しの老婆の一人にも変装していたんですよ!」
「あの三人の魔女の一人、ってこと?」
「そのとおり。この老人のせりふを見てください。『まことに不思議なこと、昨夜の事件といい、この前の火曜日、一羽の鷹が、空高く舞いあがり、誇らかにその高みを極めたかとおもうと、いきなり横から飛び出した鼠とりの梟めにあえなく殺されてしまいましたっけが』このせりふ、誰かのものに似ていませんか?」
「確かに三人の魔女の話には似てるわね」相手はしぶしぶそのことを認めた。
「そのとおりです」わたしは繰り返した。
「まぁ、たぶんおっしゃるとおりなんでしょう。でも……」
「私は自信があります。これから私が何をするつもりかおわかりですか?」
「いいえ。何をなさるの?」
「『ハムレット』を買うんです。そうして、秘密を解くんですよ、ハムレットの」
彼女の目がきらめいた。「それじゃ、ハムレットがやったんじゃない?」
「そうです。彼ではない。まちがいありません」
「じゃ、怪しいのはだれ?」
私は含みのある目つきで相手を見やった。「あらゆる人物が」
そう言うと、私は来たときと同じく、音もなく、小さな木立ちの中に入って視界から消えた。
(※文中の『マクベス』の引用は新潮文庫版福田恆存訳『マクベス』を参考にしました)
「ええ、マクダフです、そういうこと」この殺人事件のスペシャリストは言葉を継いだ。「エルキュール・ポワロがいれば、すぐつかまっちゃったでしょうね」
「どうしてそれがわかったんです」
「そりゃ、わたしもすぐにはわかったんじゃないの。最初はバンクォーを疑ったわけ。だけど、ほら、バンクォーもつぎに殺されてしまうでしょ。あそこはたしかによくできてたわ、あの箇所は。最初の殺人で疑われる人って、つぎの被害者になることに決まってるのよね」
「そうなんですか?」わたしはおずおずと意見を口にしてみた。
「ええ、もちろん」と、情報提供者は請け合う。「作家なんてものは読者を驚かせ続けなきゃならないんだから。ともかく二番目の殺人のあとじゃしばらくは誰が犯人だかわからなかった。」
「マルコムやドヌルベインはどうでしょう、王の息子の?」私は聞いてみた。「私の記憶では、息子たちは最初の殺人事件があった直後に、そそくさと国外へ行ってしまうんじゃありませんでしたっけ。なんだか怪しげじゃないですか」
「怪しすぎるのよ」とこのアメリカのご婦人はのたまう。「あまりにも怪しすぎるの。逃亡する人間は、絶対に犯人じゃありません。賭けてもいいわ」
「なるほど。ブランデーを飲むことにしよう」私はウェイターを呼んだ。話し相手は目を輝かせ、紅茶のカップをわななかせながら、こちらに身を乗り出してきた。
「ダンカンの遺体を発見したのはだれだったか覚えていらっしゃる?」
私は、申し訳ないが記憶にないと答えた。
「マクダフが見つけるのよ」彼女の語りには歴史的現在形がまざりはじめた。「それから階段を駆けおりてきて叫ぶの。『破壊の手が、神の宮居を毀ちけがし』とか『極悪非道の弑虐、その命を奪いとったのだ』なんてことをべらべら続けるわけ」この善良なる夫人はわたしの膝を叩いた。「そんなもの全部、前もって練習してきたせりふよ。そうでもなかったら、あんなに長たらしいこと、言えますかって。その場の思いつきでなんて――死体を発見した、なんてときに」私を見据える目はぎらぎらと光っている。
「わ、私には……」と私は言いかけた。
「そのとおり! ふつうならできっこない。前もって練習でもしてなかったらね。罪のない人間だったら『なんてこった、人が死んでるぞ』なんてこと言うぐらいがせいぜいよ」眼に満足の色を浮かべて、その身をどさりと椅子にあずけた。
私はしばらく考えた。「では第三の刺客についてはどうお考えです? 第三の刺客は『マクベス』研究家を三百年、悩ましてきたことですが」
「それは、その人たちがだれもマクダフのことを考えてなかったからよ」アメリカ人女性は言った。「あれはマクダフです。それは確か。被害者のひとりが、そこらへんのチンピラ二人組にやられるようなことがあってはならないの――殺人者は絶対に重要人物でなくちゃならないのよ」
「しかし、あの祝宴の場面はどう考えたらいいんです」少し間を置いて私は続けた。「そこでマクベスは罪の意識にとらわれた行動を取る、バンクォーの幽霊が登場して、マクベスの椅子に腰掛けたときです」
夫人はまた身を乗り出して、私の膝を叩いた。
「幽霊なんていなかったのよ。あんなに図体の大きな堂々たる男が、あっちやこっちでお化けを見て回るなんてことがあるはずがない――とくに、灯りが煌々とついた宴会場で、何十人っていう人がまわりにいるときに。マクベスはある人物をかばったの」
「だれをかばったんです?」
「マクベス夫人に決まってるじゃない。マクベスは、自分の女房がやったんだ、と考えて、自分が罪をかぶろうとするの。亭主っていうのは女房が疑われたらたいていのときそうするもんよ」
「でも、そうなると夢遊病の場面はどう考えたらいいんです?」
「同じことよ、ただ役割が逆転したってだけ。こんどは奥さんがダンナの方をかばったの。眠ってりゃしないわよ。あのト書きを覚えてない?『マクベス夫人、蝋燭を持って登場』」
「覚えてます」
「夢遊病の人が灯りを持って歩くわけがないでしょ!」この友人である旅行者はこう言ってのけた。「ああいう人には予知能力があるの。灯りを持って歩く夢遊病の人の話なんて、聞いたことがないでしょ?」
「確かに」
「ってことは、つまり、眠ってるんじゃなかったのよ。マクベスをかばうために、いかにも怪しげにふるまったの」
「ブランデーをもう一杯飲むことにしよう」そう言ってわたしはウェイターを呼んだ。ブランデーが運ばれてくると、わたしはぐっと飲み干して立ち上がった。
「お話には確かに一理あります。『マクベス』をお貸しいただけませんか? 私も今夜、読み返してみたいのです。何というか、いままでいちどもちゃんと読んだことがなかったような気がするので」
「持ってきてあげるわ。わたしが正しいって、あなたにもわかるはず」
その夜、私は戯曲を注意深く読み返し、翌日朝食を終えると、件のアメリカ人女性を捜した。彼女はパット練習場にいたので、わたしはそっと後ろから近づいて、腕を取った。驚いた彼女は大きな声を出した。
「ふたりきりでお話ができませんか?」声を潜めてそう言った。
平静を装った彼女を後ろに従えて、私はひとけのない場所に行った。
「何かおわかりになりました?」彼女は息をはずませている。
「つきとめました」誇らしげにそう言ってやる。「殺人者の名前を」
「マクダフじゃないとでも?」
「マクダフはいずれの殺人とも無関係です。マクベス及びその夫人同様にね」
私は持ってきた戯曲を開いて、第二幕第二場を示した。「ここです、ここでマクベス夫人はこう言う。『あいつたちの短剣は、あそこに出しておいた、見つからぬはずはない。あのときの寝顔が父に似てさえいなかったら、自分でやってしまったのだけれど』これ、どうお考えです?」
「別に」アメリカ人女性はにべもない調子で言った。「特に何とも」
「簡単なことじゃありませんか! なんで昔読んだときには気がつかなかったんだろう。ダンカンがマクベス夫人のお父さんの寝顔にそっくりだったのは、実際にお父さんだったからなんですよ」
「おやおや」相手はそっと言った。
「マクベス夫人のお父さんが王を殺したんです。そこに誰かが来る気配がしたので、死体をベッドの下に押し込んで、自分がベッドにもぐりこんだんですよ」
「だけど、話に一回しか出てこないような人間が、殺人者のはずがないわ。そんなことはありえない」
「それも考えました」そう言って、私は今度は第二幕第四場を開いた。「ここに『ロスが老人と登場』とある。ほら、この老人は誰とも書いてない。私の読みではこれがマクベス夫人の父親なのです。自分の娘を后にしようという野心を秘めた。動機もあります」
「だけど、それにしても」アメリカ人女性は悲鳴に近い声を出した。「彼はほんの端役よ」
「いいえ」わたしはうれしさがこみあげてきた。「この老人はさらに三人の妖しの老婆の一人にも変装していたんですよ!」
「あの三人の魔女の一人、ってこと?」
「そのとおり。この老人のせりふを見てください。『まことに不思議なこと、昨夜の事件といい、この前の火曜日、一羽の鷹が、空高く舞いあがり、誇らかにその高みを極めたかとおもうと、いきなり横から飛び出した鼠とりの梟めにあえなく殺されてしまいましたっけが』このせりふ、誰かのものに似ていませんか?」
「確かに三人の魔女の話には似てるわね」相手はしぶしぶそのことを認めた。
「そのとおりです」わたしは繰り返した。
「まぁ、たぶんおっしゃるとおりなんでしょう。でも……」
「私は自信があります。これから私が何をするつもりかおわかりですか?」
「いいえ。何をなさるの?」
「『ハムレット』を買うんです。そうして、秘密を解くんですよ、ハムレットの」
彼女の目がきらめいた。「それじゃ、ハムレットがやったんじゃない?」
「そうです。彼ではない。まちがいありません」
「じゃ、怪しいのはだれ?」
私は含みのある目つきで相手を見やった。「あらゆる人物が」
そう言うと、私は来たときと同じく、音もなく、小さな木立ちの中に入って視界から消えた。
The End
(※文中の『マクベス』の引用は新潮文庫版福田恆存訳『マクベス』を参考にしました)