三浦春馬君は努力の人というイメージがあった。
しかし、日本製のあるエピソードと、高橋優君のレコーディング、海盗セブンのメイキングを見て気が付いた。
飲み込みが物凄く速い。
器用というよりも画像認識記憶力が優れているんだと思う。
日本製で三味線を教わった時、先にやったスタッフの手順を【見て】ほぼ教わらずに弾けたエピソード、わずか数日で出来るようになったバック宙、動物園のゴリラを観察しての模写、コンフィデンスマンのダンスシーンも当日アイパッドを見て覚えたというし、多分映像を見て再現する能力が高いと思った。
その上春馬君は耳で音やリズムをつかむことにもたけている。
多分すべての能力が人より優れてる。こういう人を英才というらしい。
人が何年もかけて習得することをわずかな時間でできてしまう。
不幸なのはその能力に本人が気付いてなかったのではという疑問だ。
春馬君の能力は芸能界ではオールマイティに属する。
こういう人は物凄く重宝される。歌もダンスも演技も出来る、MCもこなせる、その上若くしてプロデューサー目線も持っているので視野も広い。しかし惜しむべきは彼の自己肯定感の低さだ。自分に自信がないから満足できない、だから努力をする。この努力は彼にとっては普通の事だ。日課のように息を吸うように当たり前に努力をする。当然実力は上がるし、周囲から見たら彼の成長力は脅威だったと思う。何でもできるのにさらに鍛錬をかかさない、ストイックだ真面目だもっと楽に生きればいいのに、そういわれたことも多かったんじゃないだろうか。
だけど私は思う
それをさもすごい事のように言う周りとの温度差に苦しんでいたんじゃないか?春馬はすごいという賞賛はいつの間にか彼の中でかせになっていたのではいか。すごい自分で無くなると価値がなくなると思ったんじゃないか?そう感じてしまう。
ひたむきすぎて馬鹿にされる事もあっただろう。
彼の中で日常に溶け込んで当たり前のルーティン化されていた諸々の勉強や訓練を周りが枷にしてしまったのではと言う気がする。
春馬はすごい!何でも出来る!すべてもってる!
廻りもファンも無自覚に期待を押し付けていたかもしれない。
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