喜♪きりん

人が苦手なのに何故か販売員をしてる人の日々あれこれ

才能と生きる場所

2022-03-21 01:37:46 | weblog 2022
録画を失敗するところだった、あせったー。
チャンネル間違えて録ってました(バカ)すぐ気付いたので「うつらうつら」の終わりごろから録画出来たけど、再放送を撮り直そうかな。

さて、本編
良かった。特に珍奇男からの月の夜→風→シグナルは泣いてしまった。そういえば現地でもこの部分で泣いたんだった。ついでに言うと2019年野音の一曲目がシグナルでそこで涙出たし,そうかあ私はシグナルで涙腺が刺激されるのね。でも一番泣いたのは風だぞ。共通してるのは宮本さんの弾き語りという事か(シグナル除く)彼の弾き語りツアーがあったら死に物狂いでチケットを取る。ギターの上手い下手とか関係なく彼の弾き語りにはちゃんと独自の世界があって自分はたぶんそこにいるのが好きなんだよね。

エレカシ全体は元気をもらうとかそんなんじゃなくむしろ集中すると自分の中にあるエネルギーを根こそぎ取られてしまう。高揚感と共に見た後ドっと疲れるのはそのせいだ。春馬君の罪と罰も見た時そうだったけど、才能のある人の本気を極限まで付き付けられると自分の凡庸さを思い知らされる。そのオーラは大きすぎて自分には抱えられないと脳が拒否してしまうのだ、なのでよっぽど体力のあるときでないと全部見られない。実際武道館ライブの後はホテルで爆睡したし、昨日も放送を見てる途中で猛烈な眠気に襲われた、退屈ではなく腰が痛く体調が万全ではなかったからだと思う、なので今見直している。

エレカシのライブは私にとってながら見とか楽しもうと思って見るものではない覚悟して見るものだ。だって見たら目が離せなくなるかその力に負けてスイッチオフしてしまう。そのくらい真剣に向かい合わなければ負けてしまう。

好きな人を見るのに何戦うみたいに言ってんだと思われそうだが、2019年新春ライブの放送で「Wake up』の咆哮とともに沼に引きずり込まれた人ならあの人がいかに怪物か分かってもらえると思う(同志求む)ただ、これはもしかしたらエレカシ限定かもしれない。宮本ソロの後はホテルでも高揚感は残ったけど疲れるどころか脳が完全に覚醒して眠れなかったから、きっとあの時はただただ楽しかったんだろう。

この違いは何なのか、おそらく歌手に徹して世界観は他者にゆだねているソロとすべて自分で構築しているバンドの差なのだろうと思う
どっちがいいとか悪いとかではなく、こうやって両方でバランスを取って彼はその怪物のような自分をコントールしてるのではないだろうか。
メンバーに甘えていると依存していると言われていたエレカシの宮本さん、でも本当は誰にも甘えられずにひたすら自分の世界を表現していたと思う、そこに限界がきて初めて誰かに甘えたいとソロ活動を始めたんじゃないかと感じる。ソロでは百戦錬磨のプロたちに鍛えられ甘えながら、バンドではメンバーを叱咤激励しエレカシの世界観を表現する、そこに余裕や甘えは一切ない。
だけどこの二つの世界を得たことで彼が自分の才能に押しつぶされないでいるのだろうと思う。(注、この場合の甘えとは文字通りの意味ではなく誰かの力を借りる、誰かに頼るという意味である)

私はどうしても宮本さんと春馬君を比べてしまう。
彼もまた自分には持て余すほどの才能を持った人だと思うからだ。
彼の演技は「わた離」から嵌ったがあの何者でもない空虚なトモの瞳に惹かれていった。彼の演技からは「三浦春馬」という一人の男性が浮かばない。
だからだろうか彼の作品を見ても悲しい物は悲しく、面白い物は笑える。見終わった後でとてつもない空虚感に襲われても見ている間はその世界に没頭できるのだ。

今でも広斗君は桜さんとどうしているかなって考えるし、チェリート君は卒業出来たかな?宮田君はもうあの駐在所にはいないよなーとか想像する。

作品の中に彼の不在は影響しない。
少なくとも自分の中にはない、あるとすれば近年の作品のメイキングくらいだろうか。未だにブレイブと太陽の子は見られないでいる。

もういない人のストーリーをifで勝手に作るのはしたくない。
でも時々考えてしまう。
彼にも宮本さんと同じように居場所を二つに分けられたら何か違っていたのかなと。

持って生まれた器が大きすぎるとそれに見合うように中身を合わせようとするだろう。
持って生まれた器が大きすぎると周囲の期待も半端ないだろう。
どんな宝石の原石も磨かなければただの石で終わる。

彼は自身で磨き続けた、たぐいまれな才能は努力によって更に本物の宝石になった。
だけどその陰で手についたたくさんの傷は誰が癒してくれたのだろうか。
ふと思った。
コメント