喜♪きりん

人が苦手なのに何故か販売員をしてる人の日々あれこれ

素はまったりはんなりほっこり?

2011-06-28 15:16:38 | 若手俳優応援
「カンタレラ」のチケット当選しました。よっしゃ念願の生健ちゃんだ。

日帰りなので朝出かけて観劇して帰るって感じかな。場所が新宿なので交通手段が多くその点では助かります。楽しみだ。


さて、約一か月ぶりのギリモ二を見ました。コーナーちょくちょく変わるね。

生男では高崎画伯が有名ですが、馬場画伯と小野画伯もひどい(笑)特にばーちょんのサザエさんには飲み物吹きそうになったよ。内Pのコーナーかと思ったわ。健ちゃんのもアレだけど二人に比べたらねえ、健斗君途中から投げやりになってたし。

後、ドクターフィッシュ!私もやったことありますが、まああれは・・若い子には寄ってこないんですよ。角質を食べる魚だからあのメンバーでは誰のとこにくるかはいわずもがな(苦笑)
ただ健ちゃんは新陳代謝活発そうだからなあ~肌年齢若そうだしね。三人で足入れて欲しかったですね。あ、健斗君は足を底に付けてたので浮かせないと、何せ足の裏が一番食べられますのでね。(経験者)痛くはなかったなあ~ちょっとこそばゆい感じ?割と気持ち良かったです。

因みに場所は大江戸温泉、砂風呂もあって楽しいですよ。

それにしても健ちゃんは基本懐が広いというかおおらかというか、年下の二人と一緒になって遊びつつも彼らのフリーダムさをすんなり受け入れてますよね。ほんとお父さんだわ。
この人「カンタレラ公開番組」や「生男ch」見てるとあまり怒らない人なのかなと思います。人の態度にいちいち反応しないというか・・まあ興味ないだけなのかもしれない(苦笑)役になると性格も変わるらしいので(北島○ヤかい!)ギャップが大きいんですが、そういう人好きです。


チケット引き換えてきました。席に驚いたよ。平日だからかなー。
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6年と11ヶ月と450日

2011-06-28 01:45:32 | weblog 2009~2011
旧日記を全部読み終わりました。タイトルは期間と書いた日にち分です。

内訳はこんな感じ

2004年・・・・77
2005年・・・130
2006年・・・140
2007年・・・・51
2008年・・・・28
2009年・・・・12
2010年・・・・・6
2011年・・・・・6

ピークは2005年~6年

2007年~急激に減っているのはこのブログを始めたからです(分かりやすい)
2009年からは月1、2010年は月2になっちゃってますね。今年は4月まででこの数、いろいろあったからね。

で、掘り出し物ですが、あまりにも少ないのでここにそのまま載せます。何ていうか自分の気にいった文章で単なる自己満足です。気になる方だけどうぞ。(何で書いたか解説付き)




■2004/07/11 (日) ネットの怖さ

最近文句ばっかり言ってるなー。ちょっとネットに翻弄されすぎてるのかも。一度離れたほうがいいのかも。

言葉って難しいですね。
私の通ってる読み聞かせ講座の先生(元アナウンサー)が言ってたのですが、イメージを伝えるものとして(その人は「チャンネル」と言っていた。)「声」は全体の45パーセントを占めるそうです。
残りは人工的(洋服とか)物理的なもので55%だとか。四つくらいあげてたかな。

声は私達のコミュニケーションにとても重要なものですが、その中で言語的(音のないもの。文章とかネットでのチャットもこれにあたる。)なものはどのくらいかというと・・・

たったの7%なんですって。(驚き)

残りの38%はパラランゲージというのだそうで、まあ簡単に言うと「話す」(音に出す)のがそうだし、携帯の顔文字なんかもそうらしいです。
私が頻繁に使う(笑)とかもあてはまるかな。

「こんにちは」→これだけじゃ感情は読めないですね

「こんにちは!」→ちょっと様子は伝わる。はりきってるのかなーなんて。

「こんにちは~」「こんにちは♪」「こんにちは・・」

いろいろあるけどやっぱ「話す」という動作にはかなわない。
チャットなんかだともろ音のない会話ですよねー


さてここにネットの落とし穴

会話文を読んでる時、台詞として自分の耳に届いていませんか?

相手の文章にどういう感じをもちますか?

やな感じ?それともいい感じ?

その感情は相手の気持ちが伝わって生じたのではなく、自分の感覚で捕らえた相手に対するものなんです。

怖くないですか?

逢ったこともない人間に何らかの感情を抱くんですよ。




これは文章って難しいなって悩んでいた時に書いたものですね。講座は辞めてしまったけれど、あの先生の話は面白かった。



■2006/10/09 (月) 私の中の主軸

ずっと・・ずっと考えてたんだ。
何故彼に何度も逢いたくなるのかを

なんてどっかのドラマでこんな台詞あったような。

ライブ報告をすると必ず聞かれる一言

「同じ人何度も見て楽しいの?」

力強く答える。

「もちろん!」

大抵不思議そうな顔をされるものだ。

私は自分の感性に正直に生きているので、映画でも芝居でも「見たい」と思った物は時間とお金の許す限り触れたいと思っている
なのでどんなに評判が良くても自分のアンテナに触らなければ見向きもしないものもあるわけだ。

すごーくせまい範囲のアンテナだけど、雑音のなかクリアに聞こえるものにはほとんどハズレがない

ミュージシャンフジッキーの存在も当たりだった。

初めて知ったのは2000年の学園祭の時、当時は何とも思わず脳裏をすり抜けていた。(歌わなかったし)

アンテナが立ったのは姉に見せてもらった「はなまるカフェ」の中のパーフェクトワールドPV、ほんの数秒だったけど、ビビッと来た。

「この人のライブに行って見たい!!」


そして参加した地元のライブ


しゃれの聞いた挨拶
ギターキッズにスタンドマイク
そして・・俳優ならではのパフォーマンス

楽しかった。
立ちっぱなしでも疲れなかった。
完成度とか、上手い下手とか関係なくただ満足、そんな初体験


あれから五年

彼は迷いながら躓きながら陽の当たる道を歩き続けている。
ギターも歌も成長し、頼もしい姿を見せる彼に

私はホッとしたり物足りなく思ったり・・・気持ちは揺れていたけれど
離れなかった。いや離れたく無かったんだと思う。

口では毒を吐く事はあっても真ん中にあるのは「好き」という気持ち、ミュージシャン藤木に感動した五年前からの変わらぬ思いがあったから。

どんなに歌の上手いアーティストでもそこに感動がなければ二度目はない。

その人の心に触れたとき初めてその存在は【価値】になるのだ。

私はなんてラッキーなんだと思う。

五年間も変わらずに楽園を見せてくれる存在がある。

万華鏡のように表情を変える愛しい人に逢える。

彼はとても遠い人であるけれど
だから追い求める自分がいる。

『その思いに嘘はない?惰性で参加していない?』

いつも問い続け
答えはいつも同じ
きっと次回のライブでも変わらない

そこに楽園がある限り



いやーこっぱずかしい文章ですね。何ポエムかいてるんだろ私。藤木君に夢中だったときですね。正直今はこの時の情熱はないんですが、誰を好きになっても応援の仕方は同じ。行きたいと思ったら
行く!です。ただその前に検討する時間が増えました。がむしゃらではなくなったなあ。




■2007/04/24 (火) もうちょっとなのよ

台詞七文字のドラマを見終わり別宅に感想を書きました。
ここでは演技についてちょこっと語る・・というか愚痴ります。

ふじっきーね、ほんとに短いシーンだったけど、私びっくりしましたよ。

【新郎のオーラがない!】

後姿の自信なさそうな背中といい歩き方といい、もう不器用だなあって感じ
確か設定では教授に薦められて教育実習生になったんだよね。

一部では彼も過去に戻って主人公の邪魔をしてる説なんて出てるけど、それはどうかなあって思うね。ややこしくなるし「世にも奇妙な~」じゃないんだから。

ま、この話はきりがないので、そうだ、フジッキーの演技

彼って感覚で役を掴んでるって思うんです。頭じゃなくてね。

でも本人気付いていない。これがやっかい。

だからへんに難しく考える。リアリティとかすごい言うでしょ。
専門書を読んだとか、でも付け焼刃だから当然身に付かず・・
本人は考えて演じてるようだけど、それが彼の俳優としての存在を軽くしてるんだな。

表情と立ち振る舞いでもう役になってるんだもの。
考えて台詞の言い方を変えたりとか必要ない。

どんなに努力しても手に入らないものを持ってるのに本人が生かしてないなんてほんと宝の持ち腐れ、もったいない。

以前ある監督さんが「かれは常に頭の回路が回ってるからそこを外したらもっといい俳優になれる」と言ってたけどまさにその通り

脚本家の意図も演出の考えも大事だけど

その役として生きる

役者ってそうじゃないのかなあ。

はがゆいです。





これは・・最終回を見た後即すべて消去した例のタイムスリップドラマの事ですね。
藤木くんてね、表情とか自然に役になってるんですよ。なのにね本人は何だかやたらとリアリティだの拘って頭でっかちになってる。そこが惜しいなあといつも思います。コレは健ちゃんも同じで「演じる」ということに縛られてる気がするんだよなあ。そこを解いてしまえばもっとスケールの大きい役者になれるしその資質があるのにもったいない。いつも舞台で「生きる」三宅さんはやっぱ好きだなあ。
結局好みなんですけどね。


■2009/03/25 (水) 会話の中でも

ある美容部員さんが製品のポスターを見せてさらりと言った。

「この子顔変わったよねー絶対○○してるよ。」

某掲示板の書き込みじゃあるまいし・・と思うが、実はこういう会話は日常的に行われている。

大概が【顔の整った有名人】に対してだが、最近はそれほど綺麗でもなんでもない芸能人まで言われているからタチが悪い。

そしてその発言の根拠はネットや雑誌という無責任な媒体からなので信憑性は薄い。
こういうのって芸能人とか大変だよなあ。世間は無責任に言ってるから。
これ、テレビとかで言ったら名誉毀損で訴えられるのは確実。

そして・・言う本人が【何故か誇らしげ】なのは何故だろう。
そしてすぐ信じる人は何だろう。(ていうか追求するほど興味はないのだろうけど)

私の大好きな芸人さんまでネットで疑惑が出てたのは大笑いだったなー。

まあ【芸能人は誰でもやってる】っていうのは「みんながそう言ってるよ」の【みんな】というのと同じくらいの曖昧さなんだろうな。

誰でもって事はねーだろうよ。




まあ、いわゆる「お直し」についてですね。フツーに日常でこの話が出るのが怖いなあと思ったもんです。してるかしてないかというより華やかな世界にいる人の荒探しをして喜んでる人がいるというのもね。検証までしてるのを見ると、その才脳を他で活かせばいいのに・・余計なお世話か。
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