ひょんなことから、彦根龍潭寺に奥山六左衛門の墓所があることを知り、11月3日に見つけ出しました。
しかし、藪の中だったので井伊直虎市民応援隊二人で奥山本家の墓所を見やすくしてきました。
葉刈り前
葉刈り後
お墓の周りの木を刈ってお墓に近づいて刻まれた文字を確認してわかったことから推測すると、今この墓所に残るのは奥山本家七代共建から三代の当主とその身内の墓がならんでいます。
真ん中は九代共雅です。
奥山本家は、初代六左衛門朝忠以前から「朝」の字を継いでいますが、六代朝綱のときから同じ「とも」と読ませて井伊家初代共保以来の「共」の字を継ぐようになりました。
八代共香は井伊直幸の息子を養子に迎え共雅と名乗らせ九代を継がせましたが、この共雅が早くに亡くなったために再び奥山家当主になります。
いわば、共香が奥山本家中興の祖であり、その両親からの墓を整備したのではないか?
と思われます。
そう考えると、真ん中の奥山共雅の墓が奥山本家歴代の霊が合祀されたと思いますので、心情的にはここが奥山六左衛門朝忠の霊もおられることになります。
八代共香の墓
七代共建の墓
井伊家の血を受けた奥山共雅の墓を正面に据えて、この墓が彦根奥山本家の祖先を祀る墓にもなったと考えられます。
また昭和末期にも整備されたそうですが、その後は40年近くお参りが絶えた場所だったとのことです。
関連地 彦根市 龍潭寺
しかし、藪の中だったので井伊直虎市民応援隊二人で奥山本家の墓所を見やすくしてきました。
葉刈り前
葉刈り後
お墓の周りの木を刈ってお墓に近づいて刻まれた文字を確認してわかったことから推測すると、今この墓所に残るのは奥山本家七代共建から三代の当主とその身内の墓がならんでいます。
真ん中は九代共雅です。
奥山本家は、初代六左衛門朝忠以前から「朝」の字を継いでいますが、六代朝綱のときから同じ「とも」と読ませて井伊家初代共保以来の「共」の字を継ぐようになりました。
八代共香は井伊直幸の息子を養子に迎え共雅と名乗らせ九代を継がせましたが、この共雅が早くに亡くなったために再び奥山家当主になります。
いわば、共香が奥山本家中興の祖であり、その両親からの墓を整備したのではないか?
と思われます。
そう考えると、真ん中の奥山共雅の墓が奥山本家歴代の霊が合祀されたと思いますので、心情的にはここが奥山六左衛門朝忠の霊もおられることになります。
八代共香の墓
七代共建の墓
井伊家の血を受けた奥山共雅の墓を正面に据えて、この墓が彦根奥山本家の祖先を祀る墓にもなったと考えられます。
また昭和末期にも整備されたそうですが、その後は40年近くお参りが絶えた場所だったとのことです。
関連地 彦根市 龍潭寺