彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

『浮世絵と芸能』講演聴講報告

2011年01月22日 | 講演
ひこね市民大学講座 歴史手習塾
セミナー5『浮世絵から紐解く江戸文化 世界に誇る浮世絵アートを学ぶ!』
2回目の講演として「浮世絵と芸能」と題されたお話がありました。

講師は立命館大学教授で立命館大学アート・リサーチセンター長の赤間亮先生。


今回は、最初に浮世絵に歌舞伎がどのように描かれているのかのお話があり、最初は屏風や役者絵として描かれた物の中にメインではない形で舞台が描かれたり、常磐津の演奏の絵がメインでその中に一緒に出演していたために人形浄瑠璃の様子がわかる浮世絵が描かれたりしていたそうです。
それがやがて、舞台全体を描く物や、舞台の裏側、出演者のプライベートなどを描く物もでてきたり、一枚で物語の重要な場面を一度に描く方法もでてきたりしたそうです。
また、絵で描かれた物が歌舞伎になるという形もあったそうです。

後半は『仮名手本忠臣蔵』や『菅原伝授手習鑑』の浮世絵を見ながら物語をしる話となり、場面によっては歌舞伎の映像と比較しながら浮世絵のパターンを見るようなこともありました。


管理人のイメージでは、浮世絵は映画のパンフレットに似てるようにも感じました。

そして《質疑応答》
(管理人)
『仮名手本忠臣蔵』五段目、中村仲蔵のお話の時、私が知っている限りでは、仲蔵は急に勝手な演出をして、蓑か何かを濡らして水飛沫を散らしながら走ってきたような話を聞いたことがあるのですが、そのように舞台の途中で急に演出が変わったときに、話題になったりすれば、その時点で新しい役者絵ができあがったりはするのでしょうか?
(赤間氏)
中村仲蔵が新しい演出をしたときは、まだ興行ごとに新しい浮世絵がでる段階ではありませんでした。新演出がでますと予想が付きませんので、そのときに新しい浮世絵がでることはありませんでした。その次から新しく加えた演出で行うとわかったときに浮世絵に描けます。ですから、本当にその演出がされたときよりも絵としての記録は少し遅れます。
絵よりも文字としての記録の方が正確に残る方が多いです。文化文政以降の歌川派の時代になると新しい情報の方が売れますので、情報収集力のある絵師が勝ちます。そしてわからないことも描く時代になりますので、絵師が描くのが先か演出されたのが先かを判断するのは難しくなりますし、新演出があった興行から絵が残っている場合もあります。

また、天保の改革以降は改印という、その絵をだしていいのかを検査しいて判子が押されるようになるのですが、そこには干支と月が付くようになりますので、月が記された以降は、その絵が舞台の前に作られたのか、舞台を見てから作られたのかがわかるようになります。その辺りで新演出ができたかどうかがわかることもあります。

役者さんとしては、新演出のサプライズでお客さんをびっくりさせたいわけですから、自分で新しい演出を考えた場合には隠します。また衣装も主役級の場合は自分で作りますのでここから情報が漏れることはないので、サプライズを起こすこともできます。


今度は1月29日に『浮世絵と文学』のお話があります。


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