彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

『浮世絵の歴史と名品について』講演聴講報告

2011年01月16日 | 講演
1月15日に、『ひこね市民大学講座 歴史手習塾』
セミナー5「浮世絵から紐解く江戸文化 世界に誇る浮世絵アートを学ぶ!」
第1回目の講座として「浮世絵の歴史と名品について」が開かれました。

講師は、立命館大学教授で立命館大学アート・リサーチセンター長 赤間 亮 先生


浮世絵が、日本ではお高いイメージがありますが、海外では今でも浮世絵のビジネスで生計を立てる方がおられるくらいに身近な物なのだそうです。
西洋画と浮世絵の大きな違いの一つに、「西洋画は日常の風景を描くが、浮世絵は名品・名物・名所という特徴がある物(名勝)を描いている」とのことでした。確かにその通りですね。

また、ヨーロッパで『北斎漫画』が見つかったのは、和本をバラバラにして包み紙にしていた物を、しわを伸ばして製本したイメージですが、実際には本がそのまま荷物の隙間を埋める押さえに使われていたことや、当時の浮世絵は十六文(蕎麦一杯の値段程度)で買えるほどメジャーな物だった事。
ヨーロッパや北米で浮世絵が流行り、韓国や中国では流行らなかったイメージがありますが、実は中国にもコレクターがいたことなどが話されました。

作品の写真を見ながら、菱川師宣・鳥居清信・鈴木春信・写楽・歌川豊国・葛飾北斎などの特徴や見方の一端が垣間見え、簡単ながら浮世絵の歴史を眺めて行ける講義でした。

浮世絵は、明治の西洋化や写真の登場で先細りになってしまった歴史があります。また幕末は政治史が面白い為に浮世絵は注目されませんが、幕末から明治にかけて色んなジャンルに広がった浮世絵にも面白さがあるとの事でした。



そして恒例の質疑応答
(管理人)
 明治時代辺りになると絵葉書に写真のも物と絵の物が出てくると思います。お話を伺っているとあの辺りが浮世絵から写真に変わっていく転換期辺りだと思うのですが、写真の比率が大きくなっていくのはどれくらいの時期ですか?
(赤間氏)
 なかなか難しいですが、比較的一気に変わって行きます。面白いのは、明治には九代目市川團十郎・五代目尾上菊五郎ともう一人の名優(“團菊左”の市川左團次か?)が、明治36年頃に亡くなります。そうすると描いて絵になる役者がなくなります。これくらいまでが役者絵が残っている時代で、それ以降は消えて行きます。消えて行く頃に舞台写真が多くなります。
浮世絵は、需要はあったのですが描く人がいなくなり、浮世絵のような豪華な物ではなく、気軽に手に入る絵葉書ということになりますので、明治44年に帝国劇場ができて時代が変わった雰囲気ができて切り換ります。
ただ、浮世絵は役者絵だけではありませんので、その辺りはもう少し早い時期から始っているかもしれません。


次回は1月22日『浮世絵と芸能』の講座が開かれます。

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