彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

東京訪問記6:本所界隈

2011年12月14日 | 史跡
東京タワーを観た。
次に観なくてはいけないのは、そう東京スカイツリー

完全におのぼりさん状態でスカイツリーの下まで行きました。
移動中のタクシーの運転手さん曰く「スカイツリーも確かに凄いけど、敗戦で東京がまだ焼け野原だった時に、東京タワーを作ろうと考えて、昭和33年のあの時に作ったのが凄いんだ。エッフェル塔の真似だとかいわれるけど、時代的にも経済的にも意味がまったく違う」と力説しておられて、「さもありなん」と納得してしまいました。

そしてスカイツリー

曇りだと、先まで見えません。さすが634m
麓のそば処“かみむら”さんでの名物タワー丼。お土産にタワー丼ストラップも売っているほどに大盛況。

海老はすぐに倒れるから、写真撮るなら早くにね。って言われたので慌てて撮影して、美味しく頂きました♪


最新の歴史と言いますか、まだ未来の話を垣間見たようなあとは、近辺の歴史散策。
回向院に向かいました。

近くに両国国技館があるように、ここは相撲関係の地でもあります。ですから相撲関係者の碑も多くあります。

それと同時に、江戸歌舞伎発祥の地でもあり、猿若(中村)勧三郎の墓

竹本義太夫の墓もあります。


そして歌舞伎でも演目になような有名人が鼠小僧次郎吉です。そのお墓もここです。

勝負事に勝てるそうで、墓石を削る習慣があり、今は墓の前に削るようの墓石が据えられています。
不思議なのは、鼠の横に猫の墓があることです。

招き猫発祥の地といえば、井伊家の菩提寺である世田谷の豪徳寺が有名ですが、ここも主人の為に二両を盗んで殺されてしまった猫を葬っていて、招き猫発祥の地になっているそうです。


そんな回向院をでて周辺を散策すると、ここは芥川龍之介が育った町になるそうです。

龍之介の文学碑もありました。

文学碑の横には、日露戦争で戦ったという駆逐艦「不知火」の碇が置いてありました。

龍之介が海軍の学校で教師をしていたこととは…関係なさそうですね。
でも、日露戦争で日本が勝てたのは、海軍の力は大きく関係します。その海軍を日本に作った人物の一人と言っていいのは勝海舟ですが、勝海舟が生まれたのもこの近くだったようです。



これだけでも充分歴史が濃い場所なのですが、本所松坂町といえばもう一つ大きな歴史的事件の舞台になった場所です。今日(正確には15日ですが…)12月14日にあった大きな事件吉良邸討ち入りの現場です。
今はその一角が保存されています。

首洗い井戸の再現

吉良上野介の像

などがあります。

ここに訪問した時に、どこかの観光客の集団がきていて、吉良さんが炭小屋に逃れて、探すのに時間がかかった。とガイドのような方が説明しておられたのが悲しくなりました。
もっと吉良上野介さんをちゃんと顕彰して欲しいと思いました。


さて、次は東京タワーと並ぶ戦後日本を復興に導いた大きなプロジェクトの象徴を訪れます。


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