彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

脇家長屋門

2007年06月10日 | 彦根城
脇家は、家老の一家として彦根藩に仕えました。

初代・脇豊久は元々武田家に仕えていましたが、武田家滅亡後に徳川家康に仕えそして井伊直政に預けられたのです。
井伊家に仕えて、歴戦で活躍し2000石の知行で家老職を任されました。
記録では脇五右衛門・脇内記・脇伊織などの名前で登場します。

そんな脇家の長屋門として表門橋近くに建っているのが「なまこ壁」の長屋門です。


なまこ壁とは、
壁に平瓦を張り詰めて、つなぎに漆喰を使いました。
この漆喰がなまこの様に見えることから「なまこ壁」と呼ばれるのですが、防火・防水に優れていたといわれています。
脇家の屋敷は一度焼失している為に、再建された屋敷に防火対策を施したのかも知れませんね。


ちなみにこの長屋門の脇には案内の碑があり、そこには「子孫に脇光三がいて明治36年4月10日に蒙古で25歳で死亡した」みたいな意味の事が書かれています。
この脇光三は、日露戦争で露西亜兵に銃殺された人物なのですが、隠密作戦で露西亜の鉄道を破壊しようとし捕まって殺された人でした。

しかし、この事件のために露西亜は鉄道に兵を裂かなければいけなくなった事から烈士として評価されたそうです。


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2 コメント

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ひこにゃん (Unknown)
2007-08-28 18:06:25
ひこにゃんが豪徳寺にやってきたんですね。
NHKのニュースで流れたのでびっくりしました。
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Unknown (管理人)
2007-08-29 00:28:16
ひこにゃんは8月21日(火)に豪徳寺に登場したんですよね。

ちょうどその日、ひこにゃんが帰ったあとに豪徳寺にお邪魔して取材を申し込んだら、そんなお話を聞きました。
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