彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

彦根城周辺史跡スポット:「亀山」

2006年10月08日 | 史跡
今回は、彦根昔話の中からこんなお話をご紹介しましょう。

『金のニワトリ』

JR河瀬駅のすぐ近くに大きな工場があります。その工場敷地の一番南側、亀山小学校の裏に小さな小さな山があるのを彦根近辺にお住まいの方は知っておられるでしょうか?
茂賀岡(いかしがおか)や茂賀山(もがやま)・金鶏山(きんけいざん)とも呼ばれているこの山は、工場を作る時に削り取られて今は小さな山ですが、昔は亀の形をした大きな山で、“亀山”と呼ばれていたそうです。
その亀山のお話。

昔々、この国の歴史がまだ神話でしか語られないくらいに古い昔の事、天の国はアマテラスよって支配され、地上は『因幡の白ウサギ』で有名な大国主命によって平和な時代を迎えていました。
ある時、アマテラスは自分の孫に地上の支配を任そうと考え、視察のために天若日子(アマノワカヒコ)を派遣します。
この時、天若日子は金のニワトリに乗って亀山に降り立ちました、そして、山に金のニワトリを隠して大国主命の元へ向かいました。
大国主命に会った天若日子はその人柄に惹かれ、その娘・シタテルヒメと結婚してしまい、本当の仕事を忘れてしまいます。
そして8年が経ち、天若日子が戻らない事を不思議に思った天の国では使者を派遣しますが、その使者は天若日子に矢で射られ、息も絶え絶えに天に戻りました。
そんな使者を迎えた天の国のタカミムスビが、「もし天若日子にやましい心があるなら、この矢を当てさせたまえ」と言って矢を放つと、地上で寝ていた天若日子の胸に刺さりそのまま亡くなります。
こうして金のニワトリは亀山に隠されたままになってしまったのです。

それから、何百年も過ぎた13世紀の事、亀山に城を築いた若い殿様がいました。
ある晩の事、殿様が月見をしていると、聞こえてくる虫の音に交じって若い女性の美しい声が聞こえてきました。

「どうか、この石をどけて下さい」

驚いた殿様が声に応えると、

「私は、もう何百年もの間、ここに閉じ込められています、雨が石を叩く音を聞き、風が木々をゆする音に、私の翼が風をきる日を思い起こし、蝉の子とお話をしながら、何百年も主の帰りを待っておりましたが、ついにその日はやってきませんでした」

お殿様が、不思議に思いながらも石を動かすと、中から眩しい輝きと共に金のニワトリが現れました。

「ありがとうございます。これで天の国に帰れます、お礼に金のタマゴを差し上げましょう」

と、言いながら空へと昇って行きました。そしてそこには大きな穴が残されていました。

金のニワトリが飛び立ったあと、殿様が恐る恐る穴を覗くと、数え切れないくらいのの金のタマゴが残されたいたのでした。

お殿様は、

「これは素晴らしい、城の宝にしよう」

と言って穴を大きな石で閉じてしまいました。

冒頭で、亀山は工場を作る時に削り取られて今は小さな山になっている事をお話しましたが、この工事の時には金のタマゴは見つかりませんでした。
このお話がただの昔話なのか、それとも今残されている小さな山の中にまだ金のタマゴが残っているのか…
私は、「もしかしたら城には埋蔵金伝説でもあったのかな?」と思っているのですが、このお話の答えは、皆さんの夢の大きさにお任せしたいと思います。

ちなみに、彦根では亀山以外にも荒神山には蛇に乗った大日如来様が旅行の途中に休憩されて、近江平野の五穀豊穣を願い、乗っていた蛇を岩にして置いていかれた話が残っています。
また、彦根城が建っている金亀山は、天津彦根命(あまつ・ひこねのみこと)が金の亀に乗って降りられた場所で、これが彦根の地名の由来にもなっています。
この辺りの話も、後日ご紹介できたら面白いなぁと思っています。 

琵琶湖と近江平野の美しさは神々すらも魅了したのですね。