自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

純正紙,ほんまもん!

2016-08-15 | 野草紙

生漉紙ということばがあります。和紙の世界で使われることばで,和紙原料の大半がコウゾであることから,基本的には他の繊維を一切混ぜないで漉かれたコウゾ紙を指します。

これにならっていえば,わたしが漉いている野草紙もまた純正(純粋)繊維で混ぜ物を一切入れないので,生粋の野草紙といってもよさそうです(下写真は純正象糞紙)。


もうずっと前の話になります。紙漉き技の長けた知人(教師)がいつも牛乳パック繊維を混ぜて紙を漉き,その成果を研究会で披露しました。作品は上等の紙に仕上がっていました。子どもたちも満足してことが容易に想像できました。タイミングよく,同じ場でわたしの紙づくり法を披露する手筈を整えていました。わたしは,他の繊維を一切混ぜない純正紙をたくさん提示しました。

さて,学校教育で素材として取り上げる場合,どちらに軍配があがるか,議論になりました。

知人のしごとはまるで工作教室のそれだと,わたしには見えました。ものづくりに徹したしごとぶりです。わたしの紙づくりは,それぞれの植物固有の特性に近づくための手掛かりとでもいったものです。両者はまるで目的が異なっています。図工的(実利的)志向? 科学的(研究的)志向? 授業で取り上げるのにどちらが望ましいか,そんな議論が続き,決着がつきませんでした。両者の視点がちがうのですから,かみ合わないのです。これからも,決着はつくことはないでしょう。

わたしの紙づくりは一貫して純粋繊維だけで漉くというものです。お蔭で,体験の積み重ねで植物それぞれの特性をずいぶん手の内に入れた気持ちがしています。ちょっとオーバーないい方になって,植物には「ごめんなさい」です。

こんなふうなので,混ぜ物をしている例に触れるとどうも違和感を覚えます。「まるで,混ぜ物を入れなくては紙ができないってことなの?」「つなぎのつもりなの?」と問いたくなるのです。先日なんか,トウモロコシの葉から紙をつくるのに,ティッシュペーパーを入れている例を知って,もう開いた口がふさがりませんでした(ごめんなさい)。純粋繊維だけで良質紙ができるのに,ティッシュペーパーを入れた理由がまったくわからなかったからです。予想ですが,なにかつなぎになるものを入れなくては紙ができないという思い込みにもとづいているのでしょう。これって,純粋繊維に対して申し訳ない姿勢じゃないかな。

重量比でいえば,どの程度のティッシュ繊維を入れたのでしょうか。比率の関係なく,それはトウモロコシ紙と呼んでよいものでしょうか。あるいは,トウモロコシ繊維入りティッシュペーパー再生紙とでも呼ぶのでしょうか。仮に10%混入させた場合,厳密にいえば,トウモロコシ繊維90%昆入再生紙,あるいはティッシュペーパー繊維10%混入トウモロコシ紙なんていう表現にでもなりそうです。

なにかを混ぜた紙を,但し書きなしで堂々とトウモロコシ紙と呼ぶなんて,わたしにはできません。象糞紙でも,なにか他の繊維を混ぜたら,もう生粋の象糞紙とは呼べないのと同じ。すくなくとも,「他の繊維を〇%程度混入しています」とはっきりいう(書く)べきです。

紙づくりの仕掛け人は,体験者にどんな質の体験を提供したいのか,しっかり吟味してかからなくちゃいけません。