どーも、台風を迎え撃つプーカプカです。
ダブルで来てはりますけど。
むかーし、トリプルで襲われた事があります。
時は花盛り20代中盤
季節をナメてはいかん。
シーズンオフと書いてあれば、季節が休暇をとってるんじゃなくて、暴れてるってことなのだ。
そんな初歩的な事を誰も教えてくれなかったので、台風の季節にその旅行を決行した…その名も「天国倶楽部」リゾートアイランドである。
熱帯の離島に作られたこのリゾートのウリは、大自然と海。
1島に1リゾートだけが存在する、地上の楽園。
最寄りの大きな島までは、首都の国際空港から移動して、国内線専用空港から飛ぶのだが、天国倶楽部に行くわりには16人乗り飛行機なので、そのまま本当の天国へ行っちゃったらヤダな、という心配もしたが、まだ天気の良かった往路は、無事に空港に到着。
空港と行っても屋根だけで壁はない。
牧場の中に滑走路を作った無理やりな空港であった。
ジープに乗って山道を行き、ジャングルを歩き、船着場からはようやくリゾート所有の船(青空ボート・・・)で天国倶楽部の客となる心の準備である。
心配は杞憂で、ちゃんと白い砂浜と青い海と鬱蒼と茂る森があった。
シーズンオフとはいえ、客がパラパラと居るには居るし、そんなに心配するような島じゃなかったねー、と同行者を無理やり微笑ませる。
島に7日間居て、通り過ぎて行った台風は、さて何個でしょうか?
答えは三個です。
笑いも起こらん。
最後の一個は帰国後日本に上陸しました。
スーパー台風!とTVが騒いでいたヤツ。
リゾート到着時に、「ほかの島への動物探検」とか(野良キリンが生息していて、餌やりとかできる)、「シュノーケリングボート」などを申し込んでおいたけれど、毎朝食卓につく度に、スタッフが気の毒そうに「今日も中止」と告げに来るのである。
雨さえ降っていなければ、目の前のビーチでもシュノーケルをできたんだけど(サメと一緒に泳いだ!)、台風の雨は暴風を伴って降るので、一旦振り出すと海にも入れない日々が続いてしまう。
しかもコテージは波打ち際まで10メートル程度。
ほかの滞在客もコテージに足止めを食らう日々が続いていた。
そんな中で、隣のコテージの客が、ずーっと部屋にこもりっきりなの気づいた。
コテージの部屋は、ベッドのスペース程度しかなく、同じくらいの広さのベランダにハンモックや椅子が置いてある。
そして前庭、海と続いているので、たいていの客はベランダか、前庭でボーっとしていたり、プールや卓球場に居たりするのに、イタリア系に見える若い男二人連れは、くる日もくる日も部屋に入ったままなのである。
ハッ (~_~;)
もしかして、隣のコテージの兄ちゃん二人は、あぁぁっっ!!!
毎日雨で、することが無いから、隣のコテージ監視人になってしまったではないか。
普段は決して、他人の愛情問題に立ち入ったりするような、お下品なことはしないのであるが、この時ばかりは暇なもんでイケナイとは思いつつも「隣、どうなってる?」「電気ついた!」などとやってました、ハイ。
典型的な一日の過ごし方:朝、六時ごろ起きる。
毎日コテージに足止めされているので、無理にでも散歩に出て腸の活動を促進させる。
朝食が済むと、だいたいこの時間は雨が降っていないので、急いで海に入る。
10時頃からパラパラとくるので、そこからは隣のコテージを監視しながら、ベランダで喋る。
寝てしまっては負けなのだ。その理由は以下を読めば分かるのだ。
なんとか昼食までは活動的に努力した後、さぁ、ここからが苦しみの昼下がりなのだ。
今寝てしまっては、夜眠れないのだ。
海と山しかないこの島で、夜寝れないということはタイヘンなコトなのである。
「人生で一番からかったハナシは?」「人生で一番暑かったハナシは?」などと暇を埋めていくのであった。
しかし大抵は四時ごろから、どちらともなく寝てしまっている。
リゾートの夕食は遅い。
七時半くらいから始まるが、大抵の客は八時を過ぎないとやってこない。
真っ暗な台風の夜を、コテージの部屋の中で、ひざをかかえて「渦巻き蚊取り線香」が燃えていくのを見つめながら「人生で一番痛かったハナシは?」などと禅問答を続けながら、ディナー開始時間が来るのをジッと待つのであった・・・
夕食は、不本意ながら大酒を飲むことになっていた。
これは睡眠を取るためである。
だってもう、アゴが痛くて、これ以上は喋れねぇや!
食事だけは食べ放題なので、蟹が出れば甲羅にかぶり付きながらビールをぐいぐい。
バーベキューが用意されればワインをぐびぐび。
どんなに粘ったところで八時半である。
ザル状態に酒に強いので、「ス」のまんまで哀しいのである。
さぁ、九時過ぎには眠らなくてならない。
部屋の明かりはオレンジ色なので、夜の読書は無理。
他に娯楽といえば蚊取り線香の燃える様を見るくらい。
一体何巻きの蚊取り線香を灰にしたことか・・・
日本へ帰る日は正直、ホッとしていた。
動物探検にも行けず、浜辺以外のスポットにも出れず、この島の収穫といえば隣のコテージくらいなもんである。
朝から「帰るんだぞ~」とボートに乗り、ジャングルを歩き、ジープに揺られ、やっと見覚えのある牧場の中(に違いないと今でも信じている)空港に到着。
体重計で自分と荷物を量って座席の割り振り。
なぜって小型機だから。
でも帰路は32人乗りに格上げされていた。ラッキィ!
本によれば5人乗りの「単発機」もあるっていうからなぁ。
土の滑走路を「牛さん、バイバイ」と思った時、32人を乗せた立派な小型機は「プスン」といって止まったのである。
もうちょっとで浮くっていう時に。
ぎょえー、故障のため首都から部品を取り寄せるだとぉ?
飛んでたら落ちてたってことかい (*_*)
ともかく、文句言っても故障してるんだから、どうしようもないのである。
屋根はあるけど壁がない空港に戻され、屋根も壁もない売店前のテントで大人しく部品の到着を待つことになった。
パイロットはさっそく仰向けになって昼寝である。
困ったことに私たちはリゾートでの費用を前払いしていたし、首都では国際線に乗り継ぐだけだったので、現金を持っていなかった。
チップ用にいつも持っている1アメリカドル紙幣が10枚ってところ。
ともかく何時間後に部品が来るか分からないので、ハラが減っては戦ができぬ。
ここで泣きそうな顔をしたら、さっきから雲行き怪しい同行者のカオが嵐になってしまうのである。
ハラを決めた。
まだ海外経験が少なかった同行者に「こーんなコトは、よくあることなのよぉぉん、平気よヘーキ、まかしときなさぁい!」と嘘八百。
客を乗せて離陸しかけた飛行機が飛ばずじまいで、立ち去らずに待っていてくれたリゾートのスタッフに、まずは食料交渉。
私たちはカード払いでリゾートに来たし、首都には泊まらない予定だったから現金を持っていない。
食事ができない(といっても食事を取るような場所はないが)と訴えると、屋根なし・壁なしの駅の売店のような小屋のおばちゃんにハナシをつけてくれた。
この客に何か食べさせたってーな、クラブで支払うからさ。(そもそも滞在中の食事は全てリゾートの支払いに含まれているパッケージだった)
私たちはその売店では、タダで飲み食いできるようになったらしい。
といってもデルモンテのオレンジジュースと、かっぱえびせん現地版みたいなお菓子程度しかなかったけど、こんな時に食欲も沸かないから(とか言って食べたけど)満足した。サンキューなのである。
次に、首都で待つエージェントに「今日の国際線に乗り継げないこと、ついては故障した航空会社と今後の事を話し合って欲しいこと、そして首都到着時には出迎えて欲しい」旨を連絡してくれるようリゾートスタッフにお願いする。
この島には電話が無いのである。(当時)
リゾートには無線しか無いので、帰国便のリコンファームなどは現地のエージェントに頼んでいた。
国内線の空港には、私たちの到着を待ってるエージェントが来ているハズなのだ。
スタッフは首都と連絡を取ってくれたようだ。
安心しろと言われてからは、特にすることも無いので、昼寝する機長の傍で雲を眺めて待っ(てるしかなかっ)た。
部品を積んだ飛行機は、思ったより早く到着した。
これから修理するのか~と思っていたら、実は32人の乗客の中で、外国人は私たちだけだったので、一緒に待ってた(歌い踊っていた)現地人達は口々に「部品を積んできた飛行機に乗せて、日本の客を先に首都へ」と言ってくれたのである。
しかーっし!!!
感謝で乗った飛行機は「単発機」、つまり羽が一枚前に付いてるだけであった。
操縦士と副操縦士と客三名が定員の、想像を絶する小型機である。
うぉぉ~、これなら修理待ちして32人乗りで帰りたいよぉ。
現地の人達の温かい送り出しを受け、やむなく空のヒトとなった。
おかぁーさーん、親不孝ばっかりしてごめんなさい~ 台風の雲の中、窓ガラスに新聞紙を貼り付けた五人乗り単発機は、ジェットコースターのように上下にブンブンふれるのであった。
ホントの恐怖に合った時って、人間はドコで耐えるか?
それは「シリ」です。
肛門括約筋がキュキュッて締まるの。おかげでお尻の筋肉鍛えちゃったわ。
墜落だけは免れて、やっと着いた首都の国内空港では、約束どおり、エージェントが待っていてくれた。
しかし気の弱いおっさんで
「英語は喋れるか?なら、遅延した航空会社と、国際線乗り継ぎの交渉してくれ」
というではないの。
なぬぅ、まだハナシついとらんのかい。
どうやら遅延した航空会社は、国際線チケットの半分を出すから、残り半分は自腹で切ってくれと言っているらしい。
えぇ根性しとるやんか。
「駄目ダメ、絶ぇっ対に全額出すように謂いたまえ。私は日本語でしか交渉しないかんね」と、エージェントを再度、話し合いに行かせる。
暫く揉めていたようだが、こっちが譲らないと分かると、あっさり国際線のチケット用小切手を出してきた。
ダメ元で言って来ただけなのか?
次は「今夜はどーすんのさ」である。
現金ないもんねー。
こうして空港近くの結構なホテルと夕食を、遅延した航空会社の支払で勝ち取った我々は、エージェントと共にホテルへ向かうのであった。
その車中、ふと思い出したのは、日本で見ていた国際線の時刻表。
私たちは別の国の航空会社を使ってこの国に入ったけれど、確か帰国便は夕方近くの1便しか無かったハズ。
しかし天下の米国航空ならば、朝イチで日本に飛ぶ便があったような・・・。
エージェントに「どーせ小切手で正規航空券を買うんならば、米国便で帰りたい」と訴えた。
気の毒にもホテルのフロントで借りた電話から、朝八時発の便の存在と空席を確認したエージェントは、私たちをそれに乗せるために朝5時に迎えに来てくれるという。
えっ、そこまでしてくれるの?
なんだかだんだん気の弱そうな彼が気の毒になるのであった。
ちなみにこのエージェントと我々との間にあった契約は、帰国便のリコンファームと、国内線空港でピックアップして無事に国際線にチェックインさせる事、だけである。
日本側のエージェントから話がいって、請け負ったのが、たまたま彼だったというだけ。
翌日は朝の六時前に空港に入った私たちは、余裕である。
航空会社の小切手で正規航空券を買うのである。
さらにお見送りのエージェント付きなのだ。
怖いものはなにも無い!
と思っていたら、最後の最後までやってくれるぜ!なのだった。
米国便のカウンターでは
「本日は日曜日なので、小切手のチェックは支店長が行う(通常は銀行)。
支店長の出勤時刻では日本行きに乗れないよ」
と言うのであった。
なにぃ!同じ航空会社同士やろ、小切手の信用もできないのか?
気の弱いエージェントを持った客は不幸である、と格言辞典に自薦したいよーなコトバをアタマに浮かべながら、自ら米国便カウンターで直接交渉することになった。
しかし小切手のチェックだけは現場で出来ないという態度は覆すことができなかった。
そうこうするウチに日本行きの搭乗が始まる時刻である。
うぎゃー!もう、ここには居たくないの。
それでなくても余計な一泊してるんだよ。
やむなく、世界の警察を自認する国家から出ている、黄金色のクレジットカードを振りかざした。
日本行き二枚くれっ!
米国便カウンターの姉ちゃんは、手のひらを返したようにそそくさと発券作業を始めた。
チケットを入手した後、空港の隅っこに気の弱いエージェント君を呼んで、
「かくかくしかじかで、国際線チケット料金は立て替えたから、君が扱っている遅延した国内線会社の小切手を、早急に現金化して、日本のエージェント宛てに何があっても振り込むと、母親に誓えるか」
「そうか、ならばこの手帳にキミの名前と住所と誓いのコトバを書きたまえ」
「言っとくが、万が一にもお金が振り込まれなかった場合には、日本のエージェントが法的手段に訴えるであろう」
ということを清楚で品よく可憐に説いたので、彼は素直にサインをし、ママンに誓って送金を約束し、私たちを飛行機に乗せたのであった。
ちゃんとお金は送られてきた。
そして正規航空券を定価で買ったもんだから(といっても日本で買った割安チケットの半額。当時でも日本発券だとチケット値段は2倍になる。この仕組みが今でもよう分からん~)、人生初の最上クラスの座席を割り振られてビビった。
こっちはビーチサンダルとサンドレスや(笑)
さらに、為替相場が大きく動いたため、現地のエージェントが振り込むまでの数日間の変動で、ちょっとした小銭を稼いでしまった。
台風で出稼ぎしてもーた。
いや~台風。
もうお腹いっぱいやわ。
シーズンオフに見知らぬ遠い国へ遊びに行くのはやめましょう。
プカの肛門括約筋をトレーニングさせた、くだんの飛行機…と、滑走路(笑)