古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『イチゴ天国』の〈2丁目〉!!

2019年05月13日 00時45分21秒 | 古希からの田舎暮らし
 日曜日、『イチゴ天国』を目指して大志くん一家と萌ちゃん一家が集合しました。おばあちゃんには「母の日」のカーネーション。大志くんからも〈お祝い〉というか〈お礼〉というかメッセージを書き添えて。

「おじいちゃんの手伝いをする」という大志くんとおかあさんには〈防草シート張り〉をしてもらいました。おじいちゃんは命綱を着けますが二人はスイスイと。あとで4メートルの鉄筋でしっかりとめます。

 大仕事です。おじいちゃんは「いつするか」ためらっていましたが半分はできました。助かります。

 さてイチゴは道子さんの丹精でよく実っています。しばらく雨もなく、太陽が照り、深い赤色の、甘いイチゴになっています。夜中のアライグマの〈悔し涙〉が見えるようです。
 
 イチゴは沢山できているので4人がイチゴ摘み。1人は洗ってヘタを切って、すぐパクパク食べられるように。

 大皿に盛って食卓に並べました。おじいちゃんおばあちゃんは5粒ずつ食べたかな。あとは子たち孫たちのお腹におさまりました。『イチゴ天国』2丁目の楽園です。
 去年の6月、イチゴのシーズンが終わったときは、下の畑=ネットハウスのイチゴを全部草刈り機で刈ってしまいました。
「11年楽しんでもらった下の畑のイチゴ天国はおしまい。イチゴを残してランナーから苗をとることもなくなった」。
 ところが人生というのは〈アラ80〉になってもわからんもんです。8月に前の土地が手に入り、秋にイチゴの畝を2畝つくり、宝交早生のイチゴ苗を120株買い、道子さんのエネルギーを注いだ世話、ぼくは厳重なネットハウス作りで、天国の再来になりました。

 午後は国宝:朝光寺で音楽会があります。行くつもりでした。大志くん一家・萌ちゃん一家はうどん工房:淡家へ。あれだけイチゴ食ってまだうどん食うか。若い者にはついていけん。
 おじいさんおばあさんはひと休みしているうちにしんどくなり「音楽会に行くのをやめようか」。
 実はこの音楽会、もうチケットがないのです。お寺のホールで150人のパイプ椅子席。完売です。それでもお寺でドイツの歌曲を聴いてみたい。境内で歌が聴けるかも。用心のためにぼくは杖を持ち、出掛けました。
 歌うのは小松英典さん。ドイツ歌曲のバリトンで「第一人者として不動の地位を誇る」と書いてあります。(主にドイツで歌っておられます。日本では東京のサントリーホールなど一流のホールでコンサートを)
 外で聴く覚悟でしたが、入れてもらい、イスで聴くことができました。
 朝光寺境内は広葉樹にかこまれ、緑の盛んな季節です。樹樹の吐き出す新鮮な酸素がお寺のホールにも満ちて、緑の光が射し込みます。

 生の、バリトンの歌声が、お寺の柱や梁にしみ込むように、こころにしみ込んできます。
 道子さんは、ボケ防止・認知症予防も兼ねて、近ごろお風呂で歌を歌います。歌詞を最後までしっかり覚える練習もしています。椰子の実/この道/荒城の月/あざみの歌/さくら貝の歌/など、練習している歌も歌ってもらい、実にしあわせなひとときでした。
 アンコールも歌ってもらい、最後はブラームスの子守歌で消えるようにおわりました。
 お寺でのバリトンの音楽会、ほんとによかった。
 あとで山門のほうに行って石段下の渓流を眺めながら「由緒あるお寺は、やっぱり〈気〉がちがう」と思いました。

 この写真にはその〈気〉が写っています。
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マスの工事が一歩すすみました。

2019年05月11日 01時02分40秒 | 古希からの田舎暮らし
『マス』というとコンクリートの四角いマスがイメージです。そのイメージを消して材木で作るまでに時間がかかりました。でもきのうは杉板でマスを作り、防腐塗料を塗り、設置することにしました。

 はじめに考えたより大きなマスになりました。この畑全体の雨水が集まって流れるのです。50センチの幅はあっていい。ぐずぐずしたけど必要な答えが出たと思います。
 いよいよセメント工事にかかります。まず下の面を平らにするために、ゆるめに練ったセメントを流ししました。夜のうちにアライグマの足跡がつくかもしれません。
 
 今日はいろいろすることがあります。畑の排水工事は「お休み」します。
 まず朝は7時から村の公民館の掃除。4班の当番で、みんなの都合で「7時から」になりました。そのあと9時過ぎから「ときわ病院」で足を診てもらいます。右足の膝痛でなく「左足の怪我」です。
 2週間前に畑でこけました。そのとき「むこうづね」を擦りむきました。「手当てするほどでもない」と思ったのですが、ひどくなり、4日前から外科のお医者さんにかかっています。治りつつありますがもう少し手当が必要です。
 午後は三木市の「衛生委員の集り」に出席します。4班の当番で村の役員になり、衛生委員になりました。年に3回ほど市の集りがあります。
 年寄りでもすることがいろいろあります。それがいいのかも。
 
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マスはセメントでなくてもいいんだ。

2019年05月09日 20時25分12秒 | 古希からの田舎暮らし
 
 畑の隅のマス候補地です。左から流れてきた雨水は斜面(写真の上方に)を流れ落ちます。
 そのマスをセメントで作ることばかり考えていました。ブロックを(L)字型に置いてセメントで固める/型枠を作ってモルタルを流し込む/コンクリートのパネルを探して買ってきてL字に置く/ …… 。 「どうもする気が起きない」とダラダラしていました。
 夕方「材木で(コ)の字型を作ってそれを置く」という考えが浮かびました。
 木材なら杉の2×4材があります。クレオソートの二度塗りをした材木を山登りの階段用に「作り置き」してあります。それを使って「コ」の字型を作ればいい。
 思いついたら「やる気」が出てきました。明日は早速取り掛かります。いままで「セメントでマスを作る」という思い込みにつかまって「やる気」が出ませんでした。
 マスができたらあとは「流路をきれいにする」です。それはセメント工事です。

 朝、玄関の戸を開けると、緑の山道が見えます。なんでもないけど、すごくいい。ぼくの気持ち、わかってくださいますか。ブログで何度も自慢してすみません。自慢するつもりではありませんが、でもいいでしょ。この景色。

 オオデマリの下に白いデッキ椅子を置いて「ここで本でも読んだらしあわせ」と道子さんはいいます。もうじきおオオデマリは散りはじめますす。木の下が白くなります。
 

 夜中に起き出してテニスの試合を応援観戦していましたが、錦織圭も大坂なおみも負けてしまいました。日を置かず来週はじめから男女ともイタリア国際の大会(ローマ)がはじまります。また夜中に応援観戦することになります。このところ二人とも途中で負けてしまい、スカッとした気分になりません。
 阪神を応援するのと同じみたいな気分です。二人とも全仏オープンに向けて、一度スカッとしてほしいんやけど …… 。
























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サツマイモはうれしいかな。

2019年05月09日 03時49分51秒 | 古希からの田舎暮らし
 サツマイモを植える日です。まず朝、水道にホースをつないで、畝に水をかけました。真砂土に堆肥を入れた土で、水をよく吸います。畝を往復して、しっかり水をやりました。
 日が昇ってやった水があったまった頃に、黒マルチを掛けました。畝は黒マルチで太陽の熱を吸い、中があたたまるはずです。
 夕方、マルチにカッターで切れ目を入れて、サツマイモを植えました。切れ目から手を入れると、真砂土はほんのりあたたかい。しっかりぬれています。
 植えたあと水やりをすると温度が下がる。やりません。次の朝やります。20年サツマイモをつくってきて、一番サツマイモのよろこびそうな植え方をしました。植えたぼくもホクホクする気持ちでした。

 本数は40本と少ない。でもバイオの苗です。よくできるでしょう。

 畑の排水やら土止めをしているうちに、裏山の草や竹が伸びてきました。排水工事が完成したら裏山に手を入れます。いまの裏山の様子です。
 去年の秋、地面に落ちたドングリが、芽を出しています。写真はコナラの苗です。竹を伐った竹藪に、雨が降り、日が当たり、こんなに発芽して苗になっています。
 登り口にあった「夜叉五倍子」(ヤシャブシ)は去年の秋、伐ってもらいました。その切り株にいま新芽がいっぱい出ています。酵素飲料をつくるとき、木の芽に加えました。

 裏山はこれから竹が伸びてきます。畑が一段落したら草刈り機で竹や木の苗立ちや雑草を刈ります。
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サツマイモを植えます。 

2019年05月08日 04時08分39秒 | 古希からの田舎暮らし
 夜中に起きて、テニスの試合をテレビ応援しています。いまはスペインの『マドリード・オープン』の最中です。錦織圭と大坂なおみが重なることもありますが、とにかく二人が出る試合は応援観戦します。
 明け方の最低気温を見ると6度となっていました。もしサツマイモを植えてゐたら枯死するかも。6日に水田種苗店まで出掛けて買った苗はまだ室内に置いています。これからは最低気温が10度以下になることはないようです。それに黒マルチをかけて植えます。地温が上がって大丈夫でしょう。4月に苗を植えた人はこの寒さで影響があるかも。

 いまサン・テレビでは朝『ペリーヌ物語』という古いアニメをやっています。ちょうどBS朝の『こころ旅』と重なる時間に。なかなか感心な女の子の物語です。おじいさんはこの話がお気に入りで、朝見て、思います。
「アライグマのアニメなんかやって、けしからん。(アライグマ・ラスカルのこと)あのアニメさえなかったら、日本にアライグマなんか出なかったのに。ペリーヌみたいな感心な女の子の話だけやればよかったのに」。
 図書館で借りた篠田節子の『逃避行』という本は途中で読むのをやめました。どうにもついて許せない気持ちで、読めなくなったのです。
 この小説ではある主婦が犬を連れて家出します。その犬は隣りの男の子を噛み殺してしまいました。家人は犬を処分しろという。主婦は夫と娘たちに内緒で貯金を持って犬と家出します。
 そこから小説は意外な展開をするのですが、半分読んで先を読む気が消えました。「いくら自分の庭に入ってきて、イタズラをしたとしても、犬が人間を噛み殺したんだ」。
 小説ですから自分の考えでいろんなことを書く人はいるでしょう。でもぼくはついていけない。多分高齢になったからでしょうけど、ペリーヌ物語に涙するおじいさんでいいんだ、と思います。
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サツマイモの苗を買いました。 

2019年05月06日 22時15分40秒 | 古希からの田舎暮らし
 6日は、長い連休最後の日です。苗屋さんの人出も、ぼちぼち少なくなったでしょう。
 と思って水田種苗店まで出掛けました。ところが車を止めるところがないほど人でいっぱい。でも念願のバイオ苗(鳴門金時/紅はるか)を手に入れることができました。来年から三木の苗屋さんでゲットできるように調べます。
 サツマイモは、苗がしんなりしてから植えるのがコツ。まだ元気がいい。明後日に植えるかな。
 村の役員会は無事にすみました。中身はよくわからなかったけど。ま、順調なスタートかな。
 
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サツマイモを植える畝ができました。

2019年05月06日 03時28分31秒 | 古希からの田舎暮らし
 前の日は「排水マスのセメント工事をしよう」と思っていました。しかし「やる気」が出てきません。
萌ちゃん一家がイチゴ摘みに来てくれてしばしにぎやか。午後は少しやる気が出てきて、サツマイモを植える畝を耕運しました。

 15メートルほどの畝になりました。(残りの5メートルほどは小芋を植えます)
 植えるのは〈紅はるか〉と〈鳴門金時〉にします。バイオの苗を神戸・岩岡の水田種苗店まで買いに行きます。最低気温が10度より下がることはもうないでしょうし。

 今晩は村の役員会があります。ぼくらの班では順番で2年ずつ役員をします。10年に一度まわってきます。ぼくの役員は2回目です。
 心配なことは二つ。
 その① 役員会があることを忘れる。
     …… 「都合で欠席します」と連絡しないときは「忘れてる」ので電話してください。と伝えておく。ちなみに前回の役員会(10年前)に「都合で欠席」は一度もありませんでした。「役員会を忘れて欠席した」ことがあるかどうか …… は忘れました。
 その② 会議の途中で寝てしまう。
     …… 役員会のある日は、何はさておいてもたっぷり昼寝をしておく。10年前に2年間役員をしたときは相当神経をつかって頑張ったように思います。
 
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昼ご飯は〈オオデマリの木の下〉で

2019年05月05日 01時40分25秒 | 古希からの田舎暮らし

 道子さんお気に入りのオオデマリが満開です。木の下はこれからは落花で白くなります。年賀状の写真に使おうと思うほど、道子さんは〈このオオデマリ〉が好きです。
 前の畑で排水工事をしていたら、道子さんが「お昼にしましょ」と呼びに来ました。
 お昼は〈オオデマリの木の下〉で食べるんですって。
 イスと小テーブルを木の下に置いて、弁当やお茶が用意してあります。「写真は下からがいい」と道子さんがいうので玄関先から上向きに三脚を構えました。セルフタイマーは10秒。押してから段段を上り、木の下まで走るのは、足を引きずるぼくには無理です。道子さんがシャッターを押して走り、10秒ギリギリでイスに座った写真をどうぞ。

 木の下は暗いけど、道子さんが満足してお昼を食べている記念写真です。
 さて「前の畑」の排水工事ですが、はじめに考えていたより広い排水路をつくります。65坪の畑に降る雨は全部この隅に流れます。
 きのうは木工工事を完成したところまで。あとはマスをつくって、そこに流れる土砂がたまるようにします。

 右はイチゴのネットハウスです。アライグマは、夜にはイチゴのにおいに引き付けられて、出没しているはずです。しかしネットハウスに挑んだ形跡はありません。さすがに歯が立たないか。
 今日はマスのセメント工事をします。
 母の葬儀から49日が過ぎました。仏壇は、独り暮らしの弟が2年前に亡くなってから、花を絶やさないようにして毎朝手を合わせます。「身内の人」や「親しい友人」で亡くなった人たちの写真も横に置いています。

 ぼくも写真の仲間に入ったほうが、たのしく、生き生きと、のびやかに、おしゃべりできる。
 と、思うときもあります。
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排水工事の目途はつきました。

2019年05月03日 23時10分18秒 | 古希からの田舎暮らし
 イチゴはしっかり実がついています。

 これが数日で赤くなります。道子さんは「こんなにエネルギーをかけたことないわ」といいながら、きのうは一日かけてイチゴの作業をしました。
 120株のイチゴすべてを点検して、汚れた葉/枯れた葉/イチゴになりそうにない実/を取り除きます。今年は花が多いので摘果もします。道子さんによると、大きな花は大きな実になり、小さい花は小さい実になるそうです。小さい花を摘果します。去年までは摘果しなかったけど、今年は摘果が必要です。
 地面にしゃがみ込んで一株ずつ調べていく根気のいる仕事です。手伝うこともできません。
 ご苦労さまです。
 ぼくは畑の隅の排水工事をしました。セメント工事で排水溝をつくるつもりでしたが、取り掛かってみると次々と考えが浮かんできます。フェンスの支柱は、途中は土の斜面に打ち込んであります。あまり荷重をかけられません。しかし隅の支柱はセメントで固めてあります。そこで支柱を頼りにして、写真のように畝を伸ばしました。突き当りのブロックと畝の間に雨水が流れるようにします。

 たったこれだけの工事ですが、小屋から木材や工具を取ってきたり、必要なネジを取りに行ったりします。足を引きずりながらゆっくり歩きます。時間がかかります。前の自分では考えられないペースで、仕事が進みます。そのペースに、心が慣れてきました。
 焦りも達観もなく、ただ目の前の仕事を、少しずつこなしていく。

 母の葬儀から49日。きのうは果物のお供えを買って、お経をあげました。CDを入手したので、音を聴き、お経を見て、声を出して、道子さんのリードについていきました。
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フェンス外の草を刈りました。

2019年05月03日 01時51分52秒 | 古希からの田舎暮らし
 オオデマリの花盛りです。

「畳の部屋の窓から眺めてる写真を撮ろうか」と道子さんにきいたら「いらない」って。でも近隣で一番の枝ぶりと咲き方です。道子さんはとてもうれしそうに眺めます。
 さて、一昨日は「安全ベルトらしきものをつくろう」とホームセンターに買い物に出掛けました。どうしてそんなものが必要か。

 この斜面の草を刈るためです。「防草シートを張って草が生えないようにしよう」と去年の秋から思っていました。しかしグズグズしているうちに草が伸びてしまいました。いまの写真を見るとカラスノエンドウや笹やヨモギがしっかり伸びています。
 フェンスの外に出て、幅30センチほどの石垣の上を歩いて、草を刈らねばなりません。石垣は高さ2メートルくらいかな。もともとは湿地でしたがいまは丈の高い笹が生い茂っています。落ちても死ぬことはありませんし、大きな怪我をすることもないでしょう。
 80歳を越すと筋力が落ちます。グラついたときに姿勢を立て直すネバリがなくなります。グラついたらそのまま、モノが倒れるように「ポテッ!」と倒れてしまいます。落ちて這い上がる筋力もなくなります。それと草むらにはマムシがいます。死にはしないだろうけど入院が必要です。
 あれこれ心配するとキリがない。
 そこで自作の命綱を腰につけて、道子さんにフェンスの内側から綱を持ってもらって、草刈り機で草を刈りました。足を引きずりながら。バランスはとりにくい。でもなんとか刈った。ヤレヤレヤレ!!

 草が乾いたら集めて、防草シートを早めに張ります。
 草刈りはわずかな時間でしたが、大仕事をした気分です。

 道子さんは今年1月に、2つの四斗樽に仕込んだ味噌を、別の容器に小分けしました。米麹24キロ煮た大豆24キロと塩で50キロの味噌ができつつあります。新味噌はふつう秋から食べはじめるのですが、うちでは5月から食べます。これがまた、実に美味しい。
 あちこちにあげたり、子たち孫たちが持ち帰ったりしてこの10年ほど消費してきました。
 しかし下の畑はお返ししました。大豆は少ししか作れません。これからは味噌の仕込みも自家分だけになります。苦労しながら毎年作ってきて、有終の美を飾りつつあるところです。

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雨水をどう流すか思案しています。

2019年05月01日 01時11分02秒 | 古希からの田舎暮らし
 前の65坪の畑は、北西から南東へ、少し傾いています。畑には真砂土を入れてもらったので、いくら降っても雨がやめば、畦間がぬかるむことはありません。すぐ畑仕事ができます。
 問題は雨水の流れです。

 写真は南東の隅です。ここにすべての雨水が流れるように畝を立てています。畝立てはうまくできました。畝間に水溜りもできません。しかしこの流出口をなんとかしないと、土砂が流れ、崩れます。
 これが悩みの種で、コンクリートブロックを使うか、鉄筋とセメント工事で形を整えるか、ずっと思案しています。
 足を引きずって畑の隅に行き、写真の現場を見て考えるのですが、イメージが浮かびません。イメージが浮かばないと仕事はできません。
 もう少し時間を掛けて思案するしかないですね。

 ところで元号が変わりました。
 ぼくは〈昭和12年=1937年〉生まれです。戦争に負けたのは1945年でした。しかし〈1945年8月〉と言われてもイメージが浮かびません。〈昭和20年8月〉というと「あの敗戦のイメージ」が浮かびます。昭和35年=1960年は〈60年安保〉というイメージ。そのあたりから昭和という元号より西暦が身近になりました。1970年=大阪万博/70年安保。1975年=75春闘。
 元号が変わって、〈平成5年〉と言われても〈平成18年〉と言われても、何のイメージも浮かびません。1995年には地震があった。(平成でいうと7年)1997年には退職した/父が亡くなった。(平成でいうと9年)平成でなく西暦感覚で時間の流れを感じています。
 三木市に移住したのは2006年12月/下の畑を借りたのは2008年4月/前の畑を手に入れたのは2018年8月/ ……。「平成に直すと何年になるかというと …… えーと …… 」と考えもしません。
 この西暦感覚が元号感覚に戻るのは無理です。
 
 
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