古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

「にいちゃん、おんぶして」 (3)

2011年04月13日 23時45分31秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 30枚の児童用読物の3/3です。

 
 8月になると、篠山の町には『デカンショ祭り』のポスターがあちこちに貼られる。本通りの商店街では、どの店の軒先にも提灯がつけられる。篠山の人たちは、この祭りの提灯を「あんどん」と呼んでいる。
 本通りの三か所には、何十という提灯をつけたアーチが立てられる。近くの公園の広場でも踊りの練習がはじまり、17日18日に行われる『デカンショ祭り』の雰囲気が、だんだん盛りあがってくる。
 ぼくの家にも、踊りの練習をする音楽が聞えてきた。

  デカンショ    デカンショで
  はんとしくらす  よいよい
  あとのはんとしゃ ねてくらす
  よーいよーい   デッカンショ
 
 歌の意味はわからないけど、歌は覚えてしまった。ぼくは、お父さんにもお母さんにも、そのようすを手紙に書いて送った。そしてデカンショ祭りにはぜったい来てほしいとたのんだ。
 お母さんからは、「用事があって大阪に行く。8月7日には篠山に泊まる」と返事が来た。おばあちゃんはごちそうをつくり、ぼくは座敷をきれいに掃除して、ふとんを日なたに干した。
 お母さんから、7日の昼まえに「急用で行けなくなってしまった」と電話がかかってきた。お母さんは電話のむこうで「ごめんね。せいちゃん。ほんとにごめんね。ごめんね」と、何度もいった。泣いているようだった。ぼくは「仕方がない。またこんど来てね」といったが、お母さんはもう来ないような気がした。
 お父さんからは手紙の返事は来なかったけど、8月9日になって「お盆には墓参りに帰るから」とおばあちゃんに電話があった。
 ぼくは、にいちゃんに「お父さんがお盆に来るから、篠山に来てほしい。いっしょにデカンショ祭りを見たい」と手紙を書いた。
 14日は学校の水やり当番だったので、芦田さんや山田くんと学校にいった。当番が終わってみんなと別れ、ひとりでお濠ばたの細い道を歩いていると、後ろからバリバリバリと大きな音をたてて、単車が走ってきた。
 ぼくはビクッとして、道ばたに寄った。単車はぼくを行きすぎてから、キキキーッととまった。単車には二人の男の人が乗っていた。後ろに乗っていた人が単車をおりてぼくに近づいてきた。
 頭の髪を茶色にそめて、鏡のようにキラキラするサングラスをかけている。ジーパンをはいて、派手なもようのシャツを着ている。ぼくはこわかった。その人のほうを見ないで、お濠ばたの桜の木にかくれるように立っていた。
 男の人はそれでもぼくに近づいてきた。そしてサングラスをとった。
 博史にいちゃんだった。
「誠司、いま帰るところか。元気そうやな。またおばあちゃんの家にも行くからな」
「……」
「びっくりした顔しとるな。どうや。にいちゃんのかっこ、似合うか」
 にいちゃんがあんまり変わっていたので、ぼくはなにもいえなかった。にいちゃんはまた単車の後ろに乗った。単車はバリバリッとすごい音をたてて走りだした。やかましいクラクションも鳴らした。
 にいちゃんはどうなってしまったんだろう。とうとう、ぼくはひとりぼっちになってしまったのだろうか。
 家に帰ると、おばあちゃんが「お父さんがあした、この家に来るよ」とうれしそうにいった。それを聞いてもぼくがうれしそうにしないので、おばあちゃんは「どこかぐわいがわるいの?」と心配そうな顔をした。
 ぼくは「大丈夫」といって自分の部屋に入ってしまった。
 お父さんが篠山に来た晩、警察から電話があった。「貝塚博史を保護したので、引き取りに来るように」という連絡だった。
 にいちゃんはふてくされた顔をしてお父さんといっしょに帰ってきた。ぼくは話かけようと思ったけど、なにをいったらいいかわからないから、だまってにいちゃんのそばにすわっていた。
 お父さんはひと晩だけ泊まって高松に帰ってしまったが、にいちゃんは20日まで泊まることになった。でもにいちゃんは座敷でテレビを見たり寝てばっかりで、話ができなかった。
 17日の午後はデカンショ祭りのパレードがあった。昼ごはんを食べてからにいちゃんをさそったが、行かないという。ぼくはひとりで本通りに行った。ブラスバンドの行進のあとに、ミス・デカンショの女の人が乗った自動車がゆっくり通りすぎた。そのあとに、ゆかたを着たたくさんの人たちが行進していった。
 パレードを見てから、城跡にあがってみた。城跡には人の姿が見えなかった。ぼくは大きな木のほうに歩いていった。
 だれか男の人が、大きな木に寄りかかって立っていた。ぼくが近づくと、男の人は歩き出した。リンゴあめ屋のにいちゃんだ。アルミの杖をついた男の子は木の根元にいるだろうか。ぼくは木のまわりをまわってみたが、男の子はいなかった。
 ぼくは大きな木にもたれて、太い枝を見あげた。
 石垣の下の広場では、たくさんの夜店が準備をしていた。小さいトラックから荷物をおろして運んだり、屋根のテントを張ったりする人たちで、広場はごったがえしていた。みんなタオルを首にかけ、汗をふきふき仕事をしていた。お濠に近い広場のすみでは、数人の人が見世物小屋のお化けの看板をとりつけていた。
 リンゴあめ屋のにいちゃんがいるのだから、あの男の子も来ているはずだ。ぼくは夜店の準備をしている人たちの間を、荷物をよけながら歩いた。
 リンゴあめ屋の看板を見つけたが、見たことのない人が準備していた。だいぶん歩いて疲れたころに、見覚えのあるふとったおばさんが、リンゴあめの看板の布を張っているのを見つけた。 ぼくは、おばさんが仕事をするのを、しばらく見ていた。
 前掛けをしたおじさんが通りかかって、おばさんに声をかけた。二人は立ち話をしはじめた。
 ぼくはそばに寄って、ほかの店を見ているふりして話を聞いた。
「てるちゃんは、元気にしとるかいな」
 おばさんは、仕事の手をとめていった。
「輝夫は十日まえに死にました」
「えっ? てるちゃんは死んだか」
「医者は、病気がすすんで、三月まで生きるのは無理やっていうとりましたけど、あの子は五ヵ月も長生きしました」
「そうか。死んだか」
 おじさんはだまって空を見あげ、タオルで汗をふいた。
「てるちゃんは、ようがんばったんやなあ」
 おばさんは、石垣の上を指さした。
「輝夫は、篠山に来るのを、たのしみにしとりました。『あの木はぼくの木や』ってずっというとりました。八月になって、もうじき篠山に行けるっていうときに、死んだです。にいちゃんは輝夫をかわがっとったもんで、泣いて泣いてくやしがりました。『輝夫の骨はあの木の下に埋めたるんや』って、さっき出ていきよりました」
 ぼくは歩きだした。夜店の準備をしている人たちの間を、荷物をよけながら歩いた。
 暑い日だった。汗が背中を流れているのがわかった。おでこから汗が流れて、目に入った。目がぴりぴりした。
 ぼくは、とつぜんわーんと泣きだした。一度泣くと止まらなくなった。あとからあとから涙が出てきて、泣きながら歩いた。
 家に帰って、顔を洗い、部屋に入って昼寝をした。
 晩ごばんを食べていると、花火のあがる音が聞えてきた。
「にいちゃん、いっしょにデカンショ踊り見にいこう」
「行ってもええ。だけど人が多いらしいから、迷子になるなよ」
「篠山だったら、ぼくのほうがよう知っとるから大丈夫や。にいちゃんこそ、迷子になったらちゃんと帰ってきてよ」
 それを聞いて、おばあちゃんが笑った。
 本通りは、人でいっぱいだった。デカンショ節が、大きな音でスピーカーから流れ、たくさんの人が、おどっていた。夜店のある広場は、満員電車みたいに人が多かった。にいちゃんはぼくの手をにぎって、人をよけながら歩いた。
 ぼくはふいに、にいちゃんの手を両手でぐいっと引っ張った。にいちゃんが体をかがめた。ぼくはにいちゃんの耳もとに口を近づけていった。
「にいちゃん、おんぶして」
 にいちゃんはしゃがんで、びっくりした顔でぼくを見た。それから、ニヤッとして、おでこをぼくのおでこにコツンとくっつけ、背中をむけた。
 にいちゃんは、ぼくをおんぶして「よいしょ!」と声をかけて立ち上がり、人ごみの中をゆっくり歩きだした。      
                           おわり 


 長い話を読んでいただき、ありがとうございました。

 
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