母の顔を見に寄りました。週に一度は顔を見に行くつもりですがこのたびは9日ぶりでした。親身にお世話してもらい、ありがたいことだとつくづく思います。
道子さんはいまイチゴのランナーから苗をとっていますが、とても足りません。で、ホームセンターのナンバで「宝交」の苗を十数株買い足しました。レジに並んで後ろの人を見ると、いっぱい苗の入ったケース二つをカートに載せています。100株くらいか。
「夏、親株を枯らしてしまったので」と笑っています。うちは道子さんが草を抜き、水をやり、世話していたのですが、苗はまだまだ足りません。(3畝で180株はいります)ランナーの苗が育つのをもう少し待ちます。
昭和二十年八月十五日 朝鮮の山奥で (20)
向うの小船には兵隊が二人いて、こちらから跳び込む人を受け入れるように抱えてくれるのであるが、その間には青く深い海がある。波が立つ為にその両方の船が近くなったり遠くなったりする。その上高さも高くなったり低くなったりするのでなかなか跳び込めない。それに大きな荷物を持っているのでその跳び込みが一層むずかしくなる。中にはあわや海に落ちかけて、腰から下を水にぬらした者もあった。
私も思い切り跳び込んだが、その拍子に頭をぐゎんとぶつけてその場に倒れてしまった。すぐ立ち上がってやれやれ、助かったのだなと思った。次から次に続いて小船に跳び移るので、私は頭をさすりさすり奥の方に詰める。小船が一杯になると夕方近い緑の山を目指して、小さな蒸気船は進む。いよいよ日本に着くのだという安心感と嬉しさで心は勇み立った。
とうとうあれほど憧れていた日本の大地をしっかり踏むことができた。
懐かしの日本の山河。見なれた建物があり、周りの人の話もみんな日本語である。
港のおばさん達が、
「ようこそお帰りになりました。ご苦労様でした」
と迎えてくれた。
夜の十二時に汽車が出発するという事であるので、それまでどこか休息できる宿を見つけなくてはならないとあちこち尋ねて廻ったが、そんな宿はどこも満員で入る事ができなかった。
駐在所のところまでくると、たくさんの人々が長い列を作っている。何事だろうとそこまで行ってみると、食料のもらえる食券がもらえるというのである。私もその列の後に大分長く待たされて、やっと一人前の食券をもらうことができた。その食券を持って辨当屋に行くと、そこの人がおむすびを一つくれた。
何分にも今朝から腹に入ったものはリンゴ二つだけである。だからお腹はペコペコでその一個の握り飯のうまい事うまい事、御飯がこんなにうまいものだとは知らなかった。そして腹の底から暖まる思いであった。一つだけでは空腹は満たされないが、一つしかないのだから仕方がない。駅の構内の材木に腰を下ろして、汽車が出発するまで待つことにする。
駅の構内のあちらこちらでは、鍋や飯盒もないので、米をかじって水を飲んで腹を太らせていた。街に何か売っているものはないか、と思って街を歩いてみたが、食べ物は何も売っていなかった。十二時までの長い間、眠るのでもなく、材木に腰を下ろして時を過ごした。
私のとなりにいた夫婦の人は、夜通し話し続けていた。
「お前の実家に落着いてから、俺の家に行こう」
「私の家に寄らなくても、一気にあなたの家へ行きましょう」
「でも帰る途中に、お前の家の駅があるではないか」
「でも帰るとき、あなたの家へ帰る約束だったんですもの」
「だけど帰ってみると、お前の家が途中にあるのだもの。寄って行けばいいではないか」
「私は私の家へ帰りたくありません。私はあなたの家へ行きます」
「勝手にするがいい。俺は俺の勝手にする」
夫が大きな声で怒鳴る。
二人は暫く黙っている。だがまたすぐ前のような問答をする。そうしてこの二人はとうとう汽車に乗り込んで行った。果たしてどうなった事か。二人とも引揚げのみすぼらしい姿を、家の人々に見せたくなかったのである。
私達も十二時出発の汽車に乗った。そのときも、我先によい席を取ろうと戦争のような争いが演じられた。私はやっと汽車にもぐり込む事ができたが、座る場所もないので、背のリュックを下ろしてその上に腰を下ろす。 (つづく)
※ 父の手記は明日で終わります。
道子さんはいまイチゴのランナーから苗をとっていますが、とても足りません。で、ホームセンターのナンバで「宝交」の苗を十数株買い足しました。レジに並んで後ろの人を見ると、いっぱい苗の入ったケース二つをカートに載せています。100株くらいか。
「夏、親株を枯らしてしまったので」と笑っています。うちは道子さんが草を抜き、水をやり、世話していたのですが、苗はまだまだ足りません。(3畝で180株はいります)ランナーの苗が育つのをもう少し待ちます。
昭和二十年八月十五日 朝鮮の山奥で (20)
向うの小船には兵隊が二人いて、こちらから跳び込む人を受け入れるように抱えてくれるのであるが、その間には青く深い海がある。波が立つ為にその両方の船が近くなったり遠くなったりする。その上高さも高くなったり低くなったりするのでなかなか跳び込めない。それに大きな荷物を持っているのでその跳び込みが一層むずかしくなる。中にはあわや海に落ちかけて、腰から下を水にぬらした者もあった。
私も思い切り跳び込んだが、その拍子に頭をぐゎんとぶつけてその場に倒れてしまった。すぐ立ち上がってやれやれ、助かったのだなと思った。次から次に続いて小船に跳び移るので、私は頭をさすりさすり奥の方に詰める。小船が一杯になると夕方近い緑の山を目指して、小さな蒸気船は進む。いよいよ日本に着くのだという安心感と嬉しさで心は勇み立った。
とうとうあれほど憧れていた日本の大地をしっかり踏むことができた。
懐かしの日本の山河。見なれた建物があり、周りの人の話もみんな日本語である。
港のおばさん達が、
「ようこそお帰りになりました。ご苦労様でした」
と迎えてくれた。
夜の十二時に汽車が出発するという事であるので、それまでどこか休息できる宿を見つけなくてはならないとあちこち尋ねて廻ったが、そんな宿はどこも満員で入る事ができなかった。
駐在所のところまでくると、たくさんの人々が長い列を作っている。何事だろうとそこまで行ってみると、食料のもらえる食券がもらえるというのである。私もその列の後に大分長く待たされて、やっと一人前の食券をもらうことができた。その食券を持って辨当屋に行くと、そこの人がおむすびを一つくれた。
何分にも今朝から腹に入ったものはリンゴ二つだけである。だからお腹はペコペコでその一個の握り飯のうまい事うまい事、御飯がこんなにうまいものだとは知らなかった。そして腹の底から暖まる思いであった。一つだけでは空腹は満たされないが、一つしかないのだから仕方がない。駅の構内の材木に腰を下ろして、汽車が出発するまで待つことにする。
駅の構内のあちらこちらでは、鍋や飯盒もないので、米をかじって水を飲んで腹を太らせていた。街に何か売っているものはないか、と思って街を歩いてみたが、食べ物は何も売っていなかった。十二時までの長い間、眠るのでもなく、材木に腰を下ろして時を過ごした。
私のとなりにいた夫婦の人は、夜通し話し続けていた。
「お前の実家に落着いてから、俺の家に行こう」
「私の家に寄らなくても、一気にあなたの家へ行きましょう」
「でも帰る途中に、お前の家の駅があるではないか」
「でも帰るとき、あなたの家へ帰る約束だったんですもの」
「だけど帰ってみると、お前の家が途中にあるのだもの。寄って行けばいいではないか」
「私は私の家へ帰りたくありません。私はあなたの家へ行きます」
「勝手にするがいい。俺は俺の勝手にする」
夫が大きな声で怒鳴る。
二人は暫く黙っている。だがまたすぐ前のような問答をする。そうしてこの二人はとうとう汽車に乗り込んで行った。果たしてどうなった事か。二人とも引揚げのみすぼらしい姿を、家の人々に見せたくなかったのである。
私達も十二時出発の汽車に乗った。そのときも、我先によい席を取ろうと戦争のような争いが演じられた。私はやっと汽車にもぐり込む事ができたが、座る場所もないので、背のリュックを下ろしてその上に腰を下ろす。 (つづく)
※ 父の手記は明日で終わります。