古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

草刈りの美学

2009年08月30日 03時24分56秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 8月になって二度目の草刈りが終わりました。写真は刈りたての土手です。いままで坂の下から土手を見上げるように写真を撮って、「こんな高い土手の草を刈ったんだよ」と伝えたかったんですね。今回は坂の上から土手の写真を撮りました。
 ちょっと写真の説明を。借りた田んぼの道路沿いの土手は、道路に沿っていません。途中で田んぼに食い込むように曲がっています。耕地改善をするときにどうしてこんな土手にしたのか不思議でした。でも雨が降ってみてわかりました。
 上から流れてくる雨水は土手下の側溝だけではあふれてしまい、下の家に流れ込みます。そこでV字谷を流れてくる水を一旦大きな枡で受けて、太い土管で道の反対側に流します。その枡の設置が土手の斜面を複雑にしているのです。
 刈りたての土手には、散髪したばかりの丸坊主のようなすがすがしさがあります。それが土手の微妙な曲面のおかげでとてもいい。「そうか。ぼくはこの刈りたての眺めが気に入っているんだな」ときのう気づきました。
 数年前、丹波の山奥に暮らす友を訪ねたときのことです。まだ田舎暮らしの空き家をさがしていた頃でした。谷間のいちばん奥の彼の家に近づくにつれてなんとなく気持ちがいい。それを彼に伝えたら、新聞に載った自分の詩を見せてくれました。
 スイスの高地を旅してあのなだらかな草地とすがすがしい空気に感動した。あの風景を自分の住む田舎に創りたい。手いっぱいの農作業の合間にしっかり時間をつくって草刈りに精を出している。そんな詩でした。
 草は刈ってもすぐ伸びます。また刈らねばならない。徒労感がないではない。しかし数日で消えてしまうあの刈りたての土手のすがすがしさはいいものです。ぼくも草刈りのキャリアは大豆畑トラストをやっていた頃から10年超。通りがかりの村人に「きれいに刈っておられますなー」と声をかけられたことがあります。
 草刈りのできる健康に感謝してお彼岸まえにはまた刈ることにしましょう。
 
 
コメント
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