どくだみの彩葉、紫式部、ひよどりじょうご
大好きだった野の花を生けること、が
私の人生を動かしてくれたことに感謝してもしきれないくらいです。
けれど今は
ほとんど
人前で花を生けることはありません。
いまでも
花は大好きです。
おうちの中になにがしかの花を必ず生けてはいます。
けれど
野に咲く花が手折れなくて
既に切られてしまって売られている花を求めるようになりました。
それでも
極力
花屋の花ではなく
直売所の農家の方の自然なものを求めるようにしています。
偏見でしょうけれど
花屋の花は直立不動、右向け右、のそんな子たちに感じてしまうからです。
農家の畑の隅で
思うがままに伸びて
多少お行儀の悪い、のびのびとした感じの子たちのほうがほっとするのです。
そんな私が今仕事としているのは
「言葉を紡ぐこと」「絵をえがくこと」
たくさん読んでたくさん出しています。
言葉を「光透波」として感じています。
思えば
幼いころから花のほかに、
絵を描くこと、詩を書くことが好きでした。
いまはそれが仕事になりだしているということのようです。
一つのことを一生続け、それを極めるという生き方はステキです。
けれど、幼いころに好きだったことを
ひとつひとつ満足のいくまで試してみるのも
また素敵なのではないかと
この頃は思うのです。
世間でいう「成功」ではなく
己の中の「人生の成功」が何なのか
しっかりと信じた時
それができるのではないでしょうか。
人の目よりも
自分の心の目、・・・ですかしら?
でもね、なぜかはわかりませんが
この頃、なんだか信じられるのです。
うん、私、
絶対この道もかなりのところまでいくことができるわ!!
で、時間はたっぷり、お金もたっぷり
ステキな仲間とたくさん笑って
いつもたのしくしあわせでいられるわ!!
ってね。
そして、そう思っただけ、すでにかなり幸せな気分なのです。
大好きだった野の花を生けること、が
私の人生を動かしてくれたことに感謝してもしきれないくらいです。
けれど今は
ほとんど
人前で花を生けることはありません。
いまでも
花は大好きです。
おうちの中になにがしかの花を必ず生けてはいます。
けれど
野に咲く花が手折れなくて
既に切られてしまって売られている花を求めるようになりました。
それでも
極力
花屋の花ではなく
直売所の農家の方の自然なものを求めるようにしています。
偏見でしょうけれど
花屋の花は直立不動、右向け右、のそんな子たちに感じてしまうからです。
農家の畑の隅で
思うがままに伸びて
多少お行儀の悪い、のびのびとした感じの子たちのほうがほっとするのです。
そんな私が今仕事としているのは
「言葉を紡ぐこと」「絵をえがくこと」
たくさん読んでたくさん出しています。
言葉を「光透波」として感じています。
思えば
幼いころから花のほかに、
絵を描くこと、詩を書くことが好きでした。
いまはそれが仕事になりだしているということのようです。
一つのことを一生続け、それを極めるという生き方はステキです。
けれど、幼いころに好きだったことを
ひとつひとつ満足のいくまで試してみるのも
また素敵なのではないかと
この頃は思うのです。
世間でいう「成功」ではなく
己の中の「人生の成功」が何なのか
しっかりと信じた時
それができるのではないでしょうか。
人の目よりも
自分の心の目、・・・ですかしら?
でもね、なぜかはわかりませんが
この頃、なんだか信じられるのです。
うん、私、
絶対この道もかなりのところまでいくことができるわ!!
で、時間はたっぷり、お金もたっぷり
ステキな仲間とたくさん笑って
いつもたのしくしあわせでいられるわ!!
ってね。
そして、そう思っただけ、すでにかなり幸せな気分なのです。