幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

私の人生の中にも宇宙の法則 その3 すでに幸せ

2017年10月28日 08時33分58秒 | 波動
  どくだみの彩葉、紫式部、ひよどりじょうご



大好きだった野の花を生けること、が
私の人生を動かしてくれたことに感謝してもしきれないくらいです。


けれど今は
ほとんど
人前で花を生けることはありません。


いまでも
花は大好きです。

おうちの中になにがしかの花を必ず生けてはいます。

けれど
野に咲く花が手折れなくて
既に切られてしまって売られている花を求めるようになりました。

それでも
極力
花屋の花ではなく
直売所の農家の方の自然なものを求めるようにしています。



偏見でしょうけれど
花屋の花は直立不動、右向け右、のそんな子たちに感じてしまうからです。

農家の畑の隅で
思うがままに伸びて
多少お行儀の悪い、のびのびとした感じの子たちのほうがほっとするのです。



そんな私が今仕事としているのは
「言葉を紡ぐこと」「絵をえがくこと」

たくさん読んでたくさん出しています。

言葉を「光透波」として感じています。


思えば
幼いころから花のほかに、
絵を描くこと、詩を書くことが好きでした。


いまはそれが仕事になりだしているということのようです。



一つのことを一生続け、それを極めるという生き方はステキです。

けれど、幼いころに好きだったことを
ひとつひとつ満足のいくまで試してみるのも
また素敵なのではないかと
この頃は思うのです。


世間でいう「成功」ではなく
己の中の「人生の成功」が何なのか
しっかりと信じた時
それができるのではないでしょうか。


人の目よりも
自分の心の目、・・・ですかしら?



でもね、なぜかはわかりませんが
この頃、なんだか信じられるのです。



うん、私、
絶対この道もかなりのところまでいくことができるわ!!

で、時間はたっぷり、お金もたっぷり
ステキな仲間とたくさん笑って
いつもたのしくしあわせでいられるわ!!

ってね。




そして、そう思っただけ、すでにかなり幸せな気分なのです。

私の人生にも宇宙の法則  その2 お金

2017年10月28日 08時11分26秒 | 波動
  菊芋の花を英国のアンティークに


前回にアップしたのと同様
私がお花に夢中になっていたころの作品です。



このころ、和洋を問わずアンティークに夢中でした。

いっぱいいっぱい集めました。

そしてそれらに
大好きな花たちを生け
その姿を
写真に撮ることが大好きでした。



それこそ
今でいう

「大好きなこと」

「ワクワクすること」

「夢中でやる」

を無意識にやっていたのですね。


ほんと、今思っても楽しい日々でした。



ただ、時間をかけた割にはお金にはなりませんでした。

それはきっと
私自身がブロックをしていたのだと思います。


その頃の私は
お金さんのことを大っぴらに愛することができていませんでした。


お金さんがほしくてたまらないのに
お金を儲けることは「汚くないとできない」
とどこかで思っていたのです。


それをよくよく突き詰めれば
両親の
とくに父の在り方に影響されていたようです。


父は腕の良い職人肌の大工の棟梁でした。
でも、お金儲けの才はなく
我が家はいつもお金に窮していました。

「お金がない」「そんなお金がどこにある」

両親はいつもそのことで口喧嘩をしていました。

そして母は、そんな家計を助けるために
朝早くから夜遅くまで
身を粉にして働いていました。

二部制の紡績工場の女工、
三人の子供の母親、
田んぼと畑を耕すお百姓、

家事育児、田畑、仕事、

本当に独楽鼠のように働き通しでした。


それでも、我が家の家計は豊かではなかったのです。



私の中に染み付いたのは

「お金がない」という言葉

「お金をたくさん人からもらうのは悪いこと」

「お金は独楽鼠のように身を粉にしなければはいってこない」


ということでした。



それが、
「ワクワクしながら大好きなことに熱中している」私を
大きく飛躍させることから遠ざけていたのです。


時間を費やしている割には
お金にはならなかった原因がそこにあったことを今ようやくにして理解しています。

これもれっきとした宇宙の法則です。
こんな形でも
ちゃんと宇宙の法則は私の人生の中で成り立っていたのです。

私の人生にも宇宙の法則 その1 好きなこと

2017年10月28日 07時45分07秒 | 波動
 


                       花を生けることに夢中だったころの
                       お生徒さんのひとりの作品

                       もう、ずっと昔のこと


幼いころから花が好きでした。

美しい花は摘まずにはいられませんでした。

けれど
ものすごい田舎育ちの母にとっては
私の摘んできた花たちは「雑草」にしかすぎませんでしたから
家の中に生けてなどもらえることはありません。



時には
およその家の敷地の中からも失敬してくることがありました。

当時の田舎のこと
どこの敷地も
簡単に入れます。


でもその花を持ち帰れば
すぐに「盗んだ」ことがバレてしまいきつく叱られます。

どんなに母に叱られても
その美しい花がほしいという誘惑には勝てず
やっぱり摘んでしまう私でした。

それを途中の石垣に隠してまでも・・・。



そんな私は
30代、40代と
とにかく「雑草」と呼ばれる花たちを生けることに夢中だったのです。


ありがたいことに
それは
多少のお金にもなり
娘の学費の足しとなってくれました。



それだけではありません。

花を通して、
今の私につながる大切な出会いをいくつも頂戴したのです。


「大好きなこと、ワクワクすることをしていれば
 準備が整った時には
 必ず、必要な人や事柄がやってきてくれる!!」




ささやかな私の過去でさえ
振り返れば
ちゃんとこの宇宙の法則が成り立っていたのです。




そんな私でしたが
年を重ねるごとに
花を手折ることが苦になり始めました。


こんな思いが胸の中で大きくなっていったからです。


「はてな、甕にさして何になる。

 この花は折るまい」   木下杢太郎詩集より


「私は生きていることが好きだから

 ほかの生き物もみんな好きです」   熊谷守一