虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

清河八郎は秀吉ファン

2008-11-27 | 読書
「西遊草」(岩波文庫)をペラペラめくってみたら、八郎は、秀吉好きなことがわかる。八郎にとって、秀吉は英雄の中でも別格、いや、ひょっとしたら、一番好きな英雄かもしれない。

八郎は、秀吉の誕生地、尾張中村まで訪ねている。そこの太閤山という小さなやしろにいき、秀吉が幼年のとき、手植えしたひいらぎの木や産湯をつかった井戸などを見ている。そこは今も太閤山常泉寺という寺があるそうだが、聞いたことがなかった。八郎は書く。「いずれにしても、英雄の降誕せしところなれば、志ある者は必ずとむろうべきなり」。

京都東本願寺の飛雲閣を訪ねたときも、飛雲閣はもともと秀吉の聚楽殿にあったのを引き移したものだとかで、秀吉の感想。

「それ、太閤は、百姓の卑賤よるいでて天下を掌握し、その身死して豚児、家を継ぐことあたわず。つにその業を失うも、これまた天のしからしむるところ、大丈夫、なんぞ、彼をひきてこれをとがむべきや。ただそれ、百姓の卑賤よりいでてその業滅亡するとも、片々隻々の垂跡も人の称美にあずかる。天下に志あるものここにいたりて、あに扼腕せざるべし」

大阪の安治川を舟で渡っているときも、堤に秀吉が植えた松を見て、また秀吉を思う。
「太閤は元尾州の土民の子として、少年より大胆、人を驚かし、闊達大度、細事を治めず、一村のにくしみにあいたる悪少年なりしに、一旦、時のいきおいに乗じ、天下を掌握し、海外に威名をとどろかし、大世界中の四大将のうちにいるは、まことに古今稀有の英雄、漢の高祖よりもまされり。」
まだ続くが長いので、とちゅう、省略。
「ああ、人は同じく人なり。わずか5尺に足らぬ短男子なるに、胆の大小によりて或いは太閤のごとき不世出の人のあるは、人間ほどへだてあるものは世にあらじ。」
とちゅう、略。
「時のまわり合いといえども、志さえ確然たるときは、たとえ太閤の功業はいたらずとも、英名を天下にとどろかし、一世の大人といわるるは及びがたきにあらず。有志の者、太閤の事を片時もわするべからぬことなり」

秀吉では評判の悪い朝鮮侵略についても八郎は弁護する。どこかの自衛隊幹部が聞いたら喜びそう。
「浅き慮見の者は、何の益もなき人を費やしたるように謗り笑うも、さにあらず。事の成否はとにかく、日本の威光を万国にあらわし、今にいたるまで万国のわが日本を軽蔑せざるは、あに太閤の威光をあらわしおきたる功にあらずや」

他のところにも太閤への思いを書いたところはあるけど、長くなったのでこのへんで。

秀吉は草莽の志士にまで影響を与えているのですね。徳川幕府、なにものぞ、という八郎の意識は秀吉の存在も大きい。そうう意味では、「太閤記」という書物は江戸時代は危険な書物だったかもしれない。

画像は哲学の道